小さなお子さんをもつ親御さんの中には、我が子に対して「この子はなんて愛情深いのだろう」と感嘆したことがある方も少なくないだろう。
子どもは時に、「あの小さい体はすべて優しさと愛でできているのではないだろうか」と錯覚するほど愛情深い言動を見せることがある。
そんなとき、本来であれば子どもたちに愛情を与える役目であるはずの私たち大人はなすすべもなく、その屈託のない無償の愛情にただただ包まれるしかないのだ。
「自分のせいで…」落ち込む母を5歳の娘が抱きしめてくれた<第三回投稿コンテスト NO.14>
5,914 View「自分のせいで次女にケガをさせてしまった…」落ち込むmotteさんを救ってくれたのは5歳の長女でした。
運命のそのとき、私は家のトイレにてこの上なく無防備な姿で座っていた。
すると、およそ今まで家の中では聞いたことがないような大きな音とともに、これまた初めて耳にするほどの次女の激しい泣き声がした……。
もしも「こんなときあなたならどうしますか」とアンケートをとったなら、おそらく98%以上の人が「慌てて飛び出す」と答えるであろう。私も例外ではなかった。
まるでゼンマイを巻きすぎたおもちゃのような素早さで、慌てて目の前のドアから飛び出す。
そんな私の目に飛び込んできたのは、口の中を真っ赤に染めたまま階段で泣きわめいている次女の姿だった。
どうやら自分より大きなおもちゃを2階からおろそうとして、階段を踏み外して転倒したらしい。
つい先日、「おてんばな次女はチャイルドゲートを乗り越えそうだから、逆に怪我をする可能性がある。設置は見送ろう」と主人と決断した矢先の事故だった。
次女の口の中の色とは裏腹に、私の顔は真っ青。震える手で救急車を呼び、ただただ「どうしよう、どうしよう」と叫んでいた。
そんな私の姿をおびえたような目で見つめていたのは、1階のリビングで絵本を読んでいた5歳の長女だ。
「次女ちゃんが怪我をしたから、今から病院に一緒に行くからね」と、必死に説明をした。
普段はお調子者ながら、私のただならぬ気色に気おされたかように静かに頷く長女。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになった母親を目の前にしたら、いつものようにおちゃらけるわけにもいくまい。
病院で診てもらった結果、次女は前歯を4本失った。
抜けた乳歯はすべて次女の口の中に残っていたそうだ。
洗浄したそれを医師が私に手渡してくれたとき、強い目眩に襲われた。
震える私の手の中にあるものは、まぎれもなくつい1時間前までは次女の口の中にあった身体の一部なのだ……。
(なんて取り返しのつかないことをしてしまったのだろう)
気づくと次女を抱えて、「ごめんね、ごめんね、ママがトイレなんかに行ったから。ごめんね、ごめんね」と必死に呟いていた。
「お母さん、不幸中の幸いですよ」。
その言葉に顔をあげると、医師は安心させるようににっこりと笑って、
「頭をぶつけていたら、後遺症が残ったかもしれない。目だったら失明していたかもしれません。でも乳歯なら、そのうち永久歯が生えてきます。数年の辛抱です」。
反射的に「ありがとうございます」と答えると、先ほどの私の呟きを聞いていたのであろう医師は続けた。
「お母さんのせいじゃありません」。
それに対して私が何も答えられなかったのは、激しい嗚咽のせいではない。
次女が歯を失ったのは、確実に私の監督不行き届きが原因だと信じていたからだ。
それから数日間は、まるで家の明かりが消えたかのような静けさに包まれた。
前歯がないことで、咀嚼に問題が出たらどうしよう。
発音に支障は?
顔の骨格に影響はあるのか?
永久歯が生えてくるまでの対処法は?
素人がひとりで考えたところで答えなどでない問題をぐるぐると考え続け、いつも帰ってくるところは同じところ。
「私のせいで次女は歯を失った」。
そこに帰結するたびにぐずぐずとすすり泣く日々を過ごした。
主人をはじめとして、両親も義両親も、誰ひとりとして私のことを責めなかった。
しかし、私の中の自責の念は日に日にむくむくと膨み、私自身を押しつぶすかと思われるくらい大きくなっていった。
雲の切れ間から太陽が急に照らすように、光は突然差し込むものだ。
ショッキングな事故から数日経ったある日、長女が私におずおずと話しかけてきた。
「わたし、あのとき、リビングで本なんか読んでいなければよかった……」
不思議に思って理由を尋ねると、
「だってわたしが次女ちゃんと一緒にいれば、次女ちゃんはきっと怪我をしなくて済んだから」。
妹思いな優しいお姉ちゃんの一面を持つ長女の優しさに癒されながら、私は答えた。
「それは違うよ。次女ちゃんが怪我をしたのは、長女ちゃんのせいじゃないよ」
「本当にそう思う?」
「そうよ。長女ちゃんは絵本を読んでいただけでしょう。事故が起こることなんてわかるはずがなかったんだから、長女ちゃんは何も悪くないよ」
「ママ。本当に本当にそう思う?」
何度も念を押す長女の言動を不思議に思いながらも、長女の頭をなでて私はなおも繰り返す。
「うん、長女ちゃんは全然悪くないんだよ」
すると長女は私に抱きついて言った。
「絵本を読んでいただけのわたしが悪くないなら、トイレに行っていただけのママだって全然悪くない! 誰も悪くない!!」
そのあとのことは恥ずかしながらよく覚えていない。
気が付くと、私は長女の胸に顔をうずめてワァワァと声をあげながら号泣していた。
長女はというと、私の頭をなでて「だいじょうぶ。だいじょうぶよ」と繰り返し呟いていた。
のちに大学病院で詳しく診察してもらったところ、件の歯は乳歯であったこと、また損傷したのが下の前歯であったことが不幸中の幸いで、咀嚼や発音などに大きな支障はないとの診断。
ひとまず家族全員が胸をなでおろす結果であった。
目まぐるしい毎日に追われていると、ついいろいろなことを忘れてしまう。
生まれたばかりの赤ちゃんの香りも、初めての離乳食で見せた表情も、上手に発音できていなかった言葉たちも、残念ながらこれから少しずつ、鮮明には思い出せなくなっていくのだろう。
しかし私は、母親である自分を救ってくれたあの日の長女のひと言だけは、どんなにおばあちゃんになってもきっと忘れない。
すっかり大人になった娘たちに、「ママったら、またあの話をしているわ」と苦笑いされる日を夢見て、今日も育児に励もうと思う。
(ライター:motte)
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