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公開 2020年01月04日  

きょうがきのうを超えてくる。感動エピが思い出せないのは幸せだから<第三回投稿コンテスト NO.31>

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思い出そうとしても、子育ての感動エピソードが思い出せなかったという、ちょこははさん。その理由に気づいたとき、心が温かくなったといいます。



早いもので、長女は今月2歳になり、次女は生後1か月になった。

自分のことはそっちのけで、夫婦の会話も子供のことばかり。

毎日は子供たち中心に過ぎていく。

そんな中で、一番心に残っている出来事ってなんだろう。

足にまとわりついてくる長女を蹴り飛ばさないように注意しつつ、次女を抱っこでユラユラしながら考えてみる。



解読不明の謎の創作ソングを、ものすごい大声で歌いながら母の周りを走りまわる2歳児。

2年前は、今腕の中でみじろぎしている次女のように、フニャフニャの赤ちゃんだったのだ。

改めてその大きな成長に驚く。子供の2年って本当にすごい。

母なんて、2年間で変わったのは白髪が増えたことくらいなのに。



さて、初めての子供が誕生して、それが飛んで走って歌うまでに成長し、さらには2人目も生まれたのだ。

この2年の間には、それはそれは感動的なドラマがあったに違いない。

...のだが

おや、おかしい、母は何も思い出せないよ。

いやいや、初めての寝返り、立っち、一人歩き、初めて話した言葉、イヤイヤ期に赤ちゃん返り、いろいろ経験しているはず。何かあるでしょ。

頭を振って考えてみても、やはり何も浮かんでこない。


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正確にいうと、もちろんそれらは記憶にあるし、記録も大量にある。

親バカのご多分に漏れず、スマホのストレージは子供達の写真や動画で常にパンパンなのだ。

しかしながら、見返しても『これが一番!』と心が動くものがない。

懐かしくはあっても、なぜか『まるで昨日のことのように、目にも鮮やかに蘇る』『今思い出しても泣けてくる』というほどの感動がない。



たしかに、君たちの母は、昔からドライな方だった。

しかしだよ、まさか可愛い我が子のことにも心動かないなんて。

立派な親バカを自負しているのにどういうことか。


赤ちゃんのお世話による寝不足でぼうっとしているのかしら?

それとも、2年間、機械的に家事育児へ没頭するあまり、脳みそフリーズしてる...?



自分の心と脳みその健全性をを訝しみ、次女を抱っこしながら固まる母へ、長女が片言で話しかけてきた。

「ねぇねぇ、おたーたん」

舌足らずながら、おしゃべりが上手になってきた長女。

「あ、はいはい、なぁに」

我にかえり返事をする。

「おたーたんはねー、次女ちゃん抱っこしてー、の、長女ちゃんおんぶしてー、そのまま、あっちに、行ってー、パン食べるーの。お腹すいたー、の。」


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出た出た、最近被害が増加している長女の『お腹すいた詐欺』。

お腹が空いてもいないのにパンやら果物やらを欲しがり、一口かじってはポイして、また別の食べ物を要求してくる。

眉を寄せて、大層困った顔でお腹をポンポンするジェスチャー付きで、お父さんやじいじばあばをコロッと騙す巧妙な手口である。

母は騙されないぞ。しかも、今回は赤ちゃん抱っこしながら、君をおんぶするんかい。重っ。

「えー、さっきご飯食べたでしょう、ほんとにお腹すいて...」

...って、ちょっと待って。いつものように返事をしかけて、一拍遅れて長女の発言に驚いた。

君、今、ものすごく長い文章を話していらっしゃいませんでした?



『おたーたん』と母に呼びかけるようになったのは割りと最近で、たしか次女が産まれる直前、1歳10か月頃だった。

『みにゅ、のむー(水飲む)』と、二語文を初めて口にしたのは、たった1、2週間前。

それが、今のはどういうことか。

主語のお母さんを筆頭に、自分と次女も登場させた上、抱っこ・おんぶの動作に加えて、さらに移動してパンを食べると、要素テンコ盛り。



2歳になった途端こんなに話せるの?

まさか...!薄々感づいていたけれど…もしかして、我が子天才!?

そして、変なところにたびたび登場する、謎の『の』が可愛すぎるだろ。

天才な上に天使か。

一人取り乱す母。



この衝撃は、仕事で帰りの遅い夫にも絶対に伝えなければと、スマホを構える。

「長女ちゃん、もう一回!」

動画を回し続けるが、一向に喋らない長女。それでも粘る母に、さらに長女が一言。

「あ、次女ちゃん、笑ってるねー。次女ちゃんかわうぃーねー」

「そうだね、かわうぃーね...」

...と、またしても返事をしかけて、その光景に驚く。

ほんとだ、次女ちゃんが笑っているではないか!産まれて1か月、初めての満面の笑み!



次女の笑顔も写真に撮らなくては。

スマホを構えて連写するが、時すでに遅し。

結局、動画も写真も上手く撮れなかったので、夫にはひとまずメッセージで感動を伝えておく。

一息ついて、取り損ないの画像を見てみる。

スマホを奪おうと手を伸ばしてくる長女のドアップと、次女の見事な半目変顔写真の数々。

思わず吹き出し、この面白画像も夫に送って共有する。



ここでハタと気がついた。

今まさに、すごく心動いてた。

立派な親バカとして恥じることのない取り乱しっぷり、心の健全性は問題なさそうである。

ではなぜ、一番の感動エピソードが思いつかないのか。

その理由にも思い至った。


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長女が初めて寝返りしたとき、立ったとき、歩いたとき、次女が産まれたとき、もちろんどれも感動したけれど、それ以上に、今日の出来事が圧倒的な輝きで母の心に刻まれる。

日々感じる長女の大きな成長や次女のささいな変化、毎日『今日が一番』すごくて、過去を振り返っている暇もない。

毎日毎日が、昨日を軽く超えて、母の子育て史上最高に愛しい日に認定されているのだった。

ああ、何て幸せ…。



そんな考えに浸っているうちに、腕の中で大人しくしてい次女が、のけぞって泣き出した。

空腹に耐えかねたらしく、自分の拳を必死にしゃぶっている。

授乳するためにクッションを持って座ろうとすると、やきもちを焼いた長女がクッションを取り上げ、母が座ろうとした場所に突っ伏して、耳をつんざくような声で泣き出した。

母はしばし心を無にして長女が落ち着くのを待つ。

...史上最高の日にも、こんな瞬間はつきものだ。うん、想定内。

こういうの、日々キレイに忘れていかないと、身が持たない。

結果として、昨日までの記憶がどんどんどんどん薄れているわけで、脳みその健全性には若干の疑問が残ったものの、母はこれからも、君たちからもらう感動を毎日上書きで更新していこうと思うのだ。


(ライター:ちょこはは)


※ この記事は2024年12月10日に再公開された記事です。

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