今から4年前、まだ寒さの残る3月のある日に、母から緊迫した声で電話がかかってきました。
父の具合が悪いので病院に連れて行ったら、容体がかなり悪く、そのまま入院することになった、と言われました。
私は当時2歳だった娘を夫にみてもらい、可能な限り病院へ行きました。
本当ならば、目に入れても痛くないといわんばかりに可愛がっていた娘も連れて行きたかったのですが、病院の規則で娘は病室へ入ることができませんでした。
その代わりに、父が見やすいように大きな紙に印刷した娘の写真を、お見舞いのたびに持って行きました。
病室の父は、その写真を見ては目を細め、口元に笑みを浮かべながら眺めていました。
ささやかではありますが、厳しい現実に直面していた私たちにとって、それは貴重な癒しの時間でした。
いつもは私でないと絶対に寝かしつけられない娘も、このときばかりは夫の添い寝ですんなり寝ていたそうで、とても助かりました。
夜に急いで病院に向かうことも何度かありましたが、玄関で手を振って見送ってくれるなど、不安の中にいる私を気遣ってくれているかのようでした。
それから約1か月後、桜が満開の時期を迎えた暖かな日に、父は母に見守られながら旅立ちました。
真面目で寡黙だった父は、いざというときに頼りになる、芯の強い大きな人でした。
そんな父を失い、私は経験したことのない強い喪失感の中、悲しみの日々に体調を崩したりしながらも、夫や娘に支えられ、なんとか一連の法要を終えました。
桜が満開な日に旅立った父。娘が思い出させてくれた大切なこと<第三回投稿コンテスト NO.83>
6,340 View実父を亡くされ、落ち込む日々を過ごしていたという、ういろさん。娘さんの言葉に、大切なことを思い出したといいます。
その頃から、娘はたまに「じじはどこにいるの?」と聞くようになりました。
2歳の娘には、まだ「死ぬ」ということを理解できないと思った私は、「お空に行ったよ。」と、曖昧に返事をしていました。
散歩中に飛行機雲を見ると、「じじは、あそこ?」と聞き、リビングの片隅に飾った父の写真を指差して「じじは、ここ?」と聞いてくることもありました。
そのたびに私はしっかりと答えるわけでもなく、「そうだね。」などと答えていました。
今思えば、父を亡くした悲しさや寂しさを堪えることに疲れていた私は、気持ちが落ち着くまでしばらくの間、父の話題を避け、娘のふとした疑問にさえも正面から向き合うことができなかったのだと思います。
年月が経ち、娘は6歳になり、4つ離れた弟も生まれました。
娘は弟をとても可愛がる、面倒見のいい姉になりました。
ですが、以前はたくさんあった娘との時間も、下の子にまだ手がかかるためにずいぶん減ってしまいました。
そんな娘と私には毎日決まってすることがあります。
お風呂上がりに私がドライヤーで娘の髪を乾かすあいだ、娘は私の腰に抱きつき、乾かし終えると私を見上げて「ママ、だいすき!」と言ってくれるのです。
私も「ママもだいすきだよ!」と言って、日頃伝えきれていない愛情をこめて、しばしの間しっかりと抱き合います。
時間がない日も、憎たらしい口答えをされた日も、たくさん叱ってしまった日は長めに、しっかり抱き合います。
抱きしめられて喜んでくれる娘の可愛らしい眼差しに、一日の疲れも飛ぶ癒しの時間です。
先日、いつものように娘の髪を乾かしながら、ふと、娘もいつかは成長し、自分でするからいいよ、と言われる日が来るのだろうなと思い、少し寂しい気持ちになりました。
「いつまでこうやってママが髪を乾かせるのかな。」と尋ねるわけでもなくつぶやいた私に、娘が答えました。
「えっと、10歳まで!」
「え?早い!」
「じゃあ、14歳!」
「それも早いな~。」
「じゃあ、88歳まで!!」
「そんなの、ママはとっくに死んでるよ~。」
そう言った瞬間、死ぬなんて言葉を使ってしまったことを後悔しました。
ですが、娘からの返事は思いがけないものでした。
「じゃあ、心の中で髪を乾かしてね。」
言われた瞬間、思わず手が止まりました。
私がいつか死んでしまっても、娘の心の中で髪を乾かしてあげられると言うのです。
他界した祖父が、どこにいったのかをしきりに聞いてきた幼かった娘は、いつの間にか、大切な人は亡くなっても、心の中に生きていると、自分なりに答えを見つけるほどに成長していました。
私はこれまで、よく写真の父に語りかけてきました。
子供の成長や自分のこと、家族のこと。
困ったときや迷ったときは、写真の中の父が、大丈夫だよと言ってくれているように感じられ、安心することができました。
そうした私の姿を見てきた娘が感じ取ったことなのかもしれません。
そう思うと、じじはママの心の中で生きているよ、と言われたようで、ずっと埋められていなかった寂しさが救われた気持になり、あふれる涙をこらえきれず、娘の前で大泣きしてしまいました。
父が最後の日々を過ごした病院は、桜で有名な公園の隣にありました。
何度も急いで病院に向かった道は、当時満開の時期を迎えた桜が咲き乱れていました。
当然、当時は桜を眺める余裕もなく、ただ大きな不安を抱えながら往復するばかりでした。
あれ以来、桜の季節になると、父との別れが思い出され、落ち込んでしまうようになりました。
ですが、娘のその言葉に慰められた今は、今年の春、家族でまた桜を見に行きたいと思えるようになりました。
今は、新しい気持ちで桜を眺められるような気がしています。
そんな気持ちにさせてくれた娘に、心から感謝しています。
そして、娘の純粋で豊かな想像力に癒され、改めて実感しています。
子育ては、大変なこともあるけれど、素晴らしい!と。
(ライター:ういろ)
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