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公開 2020年01月28日  

「言葉が遅い」に焦る気持ちは、新米母の自信のなさの表れだった。

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「とにかく早くお話ししてほしい」
私はどうしてあんなに息子の言葉が聞きたかったんだろう、そしてどうしてあんなにアイツは話さなかったのか…。


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10歳の息子は今日も騒々しい

今現在10歳の長男は、朝枕から頭が上がると当時に

「おかーさん!世界で一番大きい生物は何か知ってる?」
「おかーさん!TPPって何の略?ハイ言って!ハイ言って!」
「おかーさん!ギガントピテクスって何で絶滅したと思う?」

脳にホップアップした情報をそのまま口から流し続ける生き物で、平たく言うと、相当煩い。

おばあちゃんなんかがよく話す一般論に

「女の子はよく喋るでしょう~男の子は全然話してくれないわよね~」

というものがあるけれど、ウチには全然該当しない。

この兄に比べたら絵描きと読書が好きな8歳の長女の寡黙なことよ。


しかし、そんな長男の話し始めは遅かった。

会話成立までの道のりも長かった。

今回は待てど暮らせど話さなかった長男との日々をつづりたい。

因みに、上記質問の解答は「オニナラタケ・環太平洋パートナーシップ協定・パンダとの食料争奪戦に負けたから」です。

「早い成長」がよりどころだった

長男が1歳6ヶ月を迎えようとしていた当時、私は焦っていた。

地域の1歳半検診が迫っているというのに、息子が全く話をしてくれないのだ。

話というか、単語自体が出ない。

発語というものが無い。

手元の育児本によれば「1歳ごろから喃語が『ママ』『パパ』という意味のある単語となり、大体1歳6ヶ月ごろから二語文を話しはじめます」という事なのに。

この時、私はこの本の「言語発達は個人差の大きいものです、焦らずおおらかな気持ちで…」という次の文章は完全に読み飛ばしていた。

何なん、この子大丈夫?

これでは確実に1歳半検診でひっかかってしまう。

私は長男に兎に角はやく話してほしかった。

何故かと問われれば、理由は2つある。

まず、自分に話し相手が居なかったからだ。

「それ触っちゃダメ!」
「はーしーるーなー!」
「ママおこるよ!」

まだ一人っ子で、元気ハツラツな1歳児の長男にひたすら注意喚起と叱責を繰り返す毎日。

唯一の成人同居家族の夫は夜いつ帰って来て、朝いつ出て行ったのか、判然としない。

作り置きの食事が無くなっていることが

「よし、生存確認!」

という有様の生活。

だから私は、日常のちょっとしたことを

「今日はお天気がいいねぇ」
「あそこのスーパーのキャベツ2玉で198円とか意味わからへんよな?」

という世間話にそうだね~そうかもね~くらいの返事をしてくれる相手が欲しかった。

2つ目は、第一子に込めすぎた期待と自己満足と、私個人の自己顕示欲。

早く大きくなること
早く単語を発すること
早く二語文を話すこと

何しろ毎日子ども一人しか向き合う相手がいないので、評価指標がそこにしか無い。

確実な、むしろ少し早い位の発達発育の階段を上ってくれる事、それこそが『ちゃんとお母さんをやれている事』なんだと思い込んでいた。

ホラ、ウチの子はこんなに話すのが早いんですよ、もう二語文で話しますよ。

という順調な発達と発育で周りから評価されたかった。

それが発語の遅れ、発語の遅れで地域の検診に引っかかるなんて本気でやめてほしい。

そう思っていた。

失意の1歳半検診

そして挑んだ1歳半検診。

息子は保健師さんが発達を見るための面談で当然、ひっかかった。

保健師さんから息子に向けられたすべての質問にそっぽを向き、渡されたクレヨンを放り投げ、型はめ遊びを促されて個室から遁走をキメ込んだのだから、当然といえば当然だ。

保健師さんは、廊下に飛び出た息子を抱えて戻ってきた私を別室に案内し

「すみません、いつもはこんなんじゃないんですが」

軽く大嘘をつく私に、とてもやさしく

「お喋りは個人差が大きいから」
「長男君はせまいお部屋がちょっと嫌だったかな?」

ニコニコと話しかけ、いつも絵本を沢山読んであげているの?

いいわね~興味のあるものを沢山読んであげてね、あとは本人が指差ししたものをいろいろ説明してあげるといいですよ。

色々とアドバイスをしてくれた。

そして

「今後の発達の様子を見させてほしいので、また数か月後のこの日に来られますか?」

小さな紙を渡してきた。

『発達相談』

かなしい。


私はその日、本気で肩を落として俯いたまま保健センターを後にした。

そしてその日から、長男が興味のある本、といえば『のりもの図鑑』『新幹線』『特急・在来線図鑑』なのだけれど、それをひたすら経本のごとく読み聞かせたものだった。

結果、この数か月後に初めて明瞭な発音で言葉にした単語、それはパパでもママでもなく

「ひかり!」

であった。

東海道新幹線。

言葉は増えても不安も増える

それから1年、特急在来線新幹線がそのボキャブラリーのほとんどを占めるという謎の状態で迎えた2歳6ヶ月。

私は焦っていた。

またかよ。

2歳の秋、長男には人生初めてのお受験が待っていた。

といっても『御三家を受けますのよウチの坊ちゃまは』みたいな本格的なアレではなくて、地域の普通の幼稚園なのだけれど。

一応願書を出し、親子での面接があるというもので『保育園に地域の子ども達全入園当然!』みたいな田舎の出である私はこれに大層慄いていた。

二語文はおろかトイレトレーニングも何それ食えるの?位に進んでいないこの子を園長先生の面談に立たせたら最後、人生初の受験で人生初の敗退を果たすのではないだろうか。

私はそのXデーを前に、ど真剣に

「お名前は?」
「…ひかり!」
「違います!お な ま え は ?」
「…のじょみ?」

という不毛な特訓を続けたものだった。

この時私は後悔したものだ。

長男の名前を「ひかり」とか「のぞみ」にしなかったことを。

長男は、受験の前日になっても、二語文が出るどころか、自分の名前を聞かれても答えられず、お返事「はーい」を促しても明後日の方向を向いて鼻をほじる始末。

私は

「もういい…落ちたら、毎日電車見に行こう、JRとか阪急とか京阪とか阪神とか…」

力なくつぶやいた。

当時、ヒアリングはかなりしっかり出来ていた長男は母の口から漏れ出た関西の各種鉄道会社の名前に大いに喜んでいた。

君、喜んでる場合じゃないぞ。

最終面接、その時私は、そして息子は。

そして迎えた受験日当日。

『子ども達を5人ほどのグループに分けて円形に並べた椅子に着席させて、幼稚園の先生のおはなしを聞き「いい子にできたので飴ちゃんをあげますね、一人一個取りに来てね」と順番に先生の指示に従う』

という形式の簡単なグループ面接があった。

しかし長男はおはなし中、椅子から立ち上がって教室内をウロウロした挙句、先生が持っている棒つきの飴の入ったかごに手を突っ込んで飴を鷲づかみにしてそれを万遍の笑顔で私の所に持ってきたのだった。

この時私は

『落ちたな』

と思った。

これはあかん、もう最終の個人面接に行く必要なし、来年1年ひたすら長男と鉄道見学行脚をするのか…。

そうは思ったが、じゃあ途中で「帰ります」という訳にもいかない。

「次の方どうぞ~」

促されて個人面接の教室に入った時、初めてお会いした園長先生は

「ドウモ、コニチワ~」
「ダイジョブ、ダイタイ、コトバワカッテマスカラ~」

外国人だった。

しかも日本語が片言の。

志望した幼稚園はカトリック教会に併設されていて、園長先生は代々そこの司祭が兼任するのだという事を、私はこの日まで知らなかった。

まさか遠い異国から来たラテンなヨーロッパ系外国人園長先生と差し向いで面接をうける羽目になるとは思っていなかった上に、先生はヒアリングは大丈夫、言ってることはわかります状態ではあったけれど日本語を話すことにかけては、二語文が出かけの長男といい勝負で。

気が抜けた私は、この長男が今日もオムツを履いている事、落ち着きが無くて集団生活が心配な事、そして言葉が遅くて新幹線の名前ばかり話すことを出来るだけゆっくり園長先生に伝えたが

「ダイジョーブ」
「ニホンゴハムツカシイカラ~」

ノープロブレムのあの両掌を広げて肩をすぼめる「おお!外国の人」な動きをしながらニコニコし、そっぽを向いて鼻をほじくっている長男に

「ヨーチエン、ハイリタイ?」

とだけ聞いた。

長男はこの時だけ

「ハーイ」

を小声でやってくれた。

そして受かった。

何事か。

それから、それから。

結局、長男が同学年のお友達と同等にお話が出来るようになったのは、年長児になった頃だったか。

それは私が「発達や発育はできるだけ他の子より早くあってほしい」という親としての自己顕示欲的な欲求を忘れた頃と同じ時期だったと思う。

長男は、朝のバスには乗り渋ったが、毎日幼稚園でお友達と楽しく遊び、確かに速度はゆっくりだったがだんだんとできる事を増やした。

長男が年長児になる頃には当時お世辞にも「日本語お上手ですね」とは言い難かった園長先生も、学期末の懇談で四字熟語を操るレベルに日本語が上達していて、私たち保護者の度肝を抜いていたものだ。

子どもはそれぞれに自分の速度で発達していくものなのだけれど、私はあの時はとにかくそれが待てなかった。

今、毎日書籍やタブレットを駆使して新しい語彙と知識を獲得して

「おかーさんコレ知ってる?」

の応酬をしてくる「ちょっと今、黙っててくれる?」な長男を考えれば、あの幼児期の長男の完全黙秘ないしは電車オンリーのボキャブラリーは、その後高く跳ぶための屈伸みたいなものだったのかもしれない。

そして、あの時、何もかも同級生とは発達周回遅れの長男を快く受け入れてくれた幼稚園は、この度病気の為に、今度は本気で運動や情緒の発達の遅れている次女の入園を「前向きに検討します」と言ってくれている。

あの時の園長先生は、もう日本語のネイティブである長男より日本語が上手だ。

※ この記事は2024年09月20日に再公開された記事です。

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