年末年始には、大阪にある私の実家に帰省することが恒例の我が家。
今年も、小学校1年生になった双子の娘と息子を連れて、年末から実家に滞在していました。
双子の祖母にあたる私の母は多趣味な人で、絵を描いたり手芸をしたりすることが得意。
母の部屋には、絵を描く材料やフェルトなどがたくさん置いてあり、工作が大好きな双子にとっては、それはそれは夢のような場所なのです。
この冬、小学生になった双子に初めて「おばあちゃんの顔彩を自由に使う」ことが許可されました。
これは母が絵手紙を描くために使っているもので、顔料と膠(にかわ)で作られた、日本画用の絵の具です。
今までは大人が見守っている時だけだったのが、初めて自分たちで自由に使えるようになり、双子たちはとてもうれしそうに絵葉書に絵を描くようになりました。
最初は果物や動物などを描いていたのですが、東京から大阪までの道中で新幹線から見た景色が印象的だったのか、そのうち富士山の絵を描くようになりました。
そして、最初は絵手紙サイズの絵を描いていたのが、だんだんダイナミックになり、大きな紙に絵を描くようになっていきました。
双子たちがひとしきり絵を描き終わり、別の遊びをしていた時のこと。
突然、母が黒い額縁を持って息子の前に現れました。
「息子くん、はいプレゼント。」と言って手渡されたのは、額縁に入った一枚の絵。
そこには、息子が描いた富士山の絵が入っていたのです。
ポカンとしてその額縁を見つめていた息子は、そこに自分の絵が入っていることを認識した瞬間、心からうれしそうに満面の笑みを浮かべました。
母は息子に「この絵、せっかくだから持って帰ったら?」と言ってくれたのですが、しばらく絵を見つめていた息子はこう返事をしました。
「これは、おばあちゃんのおうちに飾っておいてほしい。おばあちゃんにプレゼントしたい。」
息子が描いた富士山の絵は、リビングに飾られることになりました。
ちょうどお正月だったので、親戚からも「よく描けているね」という言葉をかけてもらいました。
そして、時折うれしそうに自分の絵を眺めている息子の姿が、とても印象的でした。
息子が描いた絵が、額縁に入れてプレゼントされた翌日のこと。
朝、私が起きた時には、息子はもう布団にいませんでした。
どこに行ったのかと探してみると…早朝だというのに、母の部屋の絵手紙スペースで黙々と絵を描いていたのです。
実は小さい頃から、娘はよく絵を描いていて、「絵が上手だね」と言われることが多くありました。
でも、息子はあまり積極的に絵を描くことがなかったのです。
それはそれで、「息子は好きなことが別にあるのだから、お互いに自分の好きなことに夢中になれれば良い」と思っていたのですが…。
もしかしたら、小さい頃から絵が上手だと言われる双子の姉の横で、息子も絵が好きだけれど少し表現を控えていた…という部分があったのかもしれません。
そんなこともあって尚さら、息子の変化には本当に驚きました。
この日以来、大阪を発つその日まで、息子は毎朝起きると布団を抜け出して絵を描き続けました。
額縁に入れられた、一枚の絵。
そのおかげで息子のやる気に火がついたことは言うまでもなく、毎朝黙々と絵を描く後ろ姿には、自信さえ感じられました。
振り返って考えてみると、母から息子に贈られた額縁は、「上手に描けているね」「キレイだね」の気持ちが、言葉の何倍も何十倍も伝わってくるプレゼントでした。
子どもが描いた絵や工作で作ったものを“ほめる”というのは、案外難しいもの。
私も「自分が受け取る側だとした場合、どんな言葉をかけてもらえたらうれしいだろう」と考えるものの、つい「上手だね」や「キレイだね」というありきたりな表現になってしまうことが多々あります。
「ここの色がいいね」「これは何をしているところ?」「美味しそうだね」「ここがかわいいね」「ここはどうやって描いたの?」というように、なるべく具体的に話すように心がけてきましたが、「すごいね」の伝え方はそれだけじゃない。
言葉ではない、“額縁にいれる”というアクションを通じて、「あなたの描いた絵、素敵だね」を伝える方法があったなんて。
今回の帰省中、一番の学びでした。
後日、息子にその時の気持ちを聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「上手な人の絵が飾られる場所に行ったような気持ちになって、うれしかった。」
7歳のお正月、絵を描くことに夢中になり、そして描いた絵を額縁に入れて祖父母の家で飾ってもらえた経験。
これは息子にとって、何よりのプレゼントになったように思います。