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公開 2020年05月21日  

障害じゃない、個性だから。発達検査を受ける決意ができなかった、あの頃。

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子どもが「発達障害児」と診断されるケースが増えているように感じます。その中には、シングルマザーの家庭も。私もその一人です。今回は息子が発達障害と診断された時のことを中心にお話しします。


あれ?この子はお兄ちゃんとちがう?


我が家は母子家庭で、離婚歴は10年。

現在、長男(13歳)と次男(12歳)、年子の息子たちを育てています。

年子といっても1歳8ヶ月離れた子どもたちは体格の差もかなりあり、一見年子には見えないとよく言われます。


今回お話する発達障害児は次男です。

診断名はADHDと自閉症スペクトラム。


38週で誕生した次男ですが、誕生時は3,200グラムを超え、出産自体も長男に比べてスムーズでした。

しかし乳幼児期は体が弱く、10ヶ月の時に高熱で急性髄膜炎を疑われ、検査のために髄液を取り出す全身麻酔を受けたりもしました。

離乳食や寝かしつけなど長男ではかなり大変だったのですが、次男は全くと言っていいほど手のかからない子どもでした。

そんな中での育児で、何となく長男とは違うなぁと感じたことがありました。


1.成長過程で起こる「人見知り」がないこと

人見知りがないので誰に抱かれてもニコニコしていました。

後追いもなく「あんなに苦労した長男は何だったんだ!」と思うくらいでした。


2.じっとしていることが難しい(落ち着きがない)


落ち着きがないなと感じたのは1歳半検診です。

他の子が落ち着いて座って遊んでいる中、走り回るようにして動き回っていました。

言葉は2歳くらいまではなかなかうまく出ませんでした。

しかし私自身は長男もなかなか話そうとせず、保健師さんに「お母さんがなんでも話す前にしてやるから、この子は話さないんだ」と言われたこともあり、「この子も遅いんだろう」とあまり気にしていませんでした。

思っていた通り、言葉については成長に伴って徐々に改善していきました。

しかし、一番大変だったのが落ち着きがないことでした。

普段次男と買い物に行っても、すぐに手を離していなくなってしまう。


ショッピングモールなどでは、なんとかカートに乗せても上手に抜け出す始末。

駐車場でも「いつか車にひかれるのではないか」と常にハラハラしていました。

しかし、こちらの心配をよそに、その後の検診でも何も言われず、「長男と次男が違うのはただの個人差、次男は個性があるんだ!」と、どこか自分で自分を無理矢理納得させていたのです。


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意を決して病院へ


次男の個性ととらえていた事が、保育園に通うようになるとどんどん気になり始めます。

1歳6ヶ月で参加した次男初めての運動会。

選手入場の時、同年代の子どもたちが保育士さんの後に続いて入場してきたのですが、そこに次男の姿はありません。

「どうしたのだろう?」と思っていると、保育士さんと手を繋いで一番後ろからの入場。

保育士さんが手を離せば、その場から走って逃げて行ってしまう状態でした。


離婚後、引っ越しを経て3歳児クラスで新しい保育園に入園しました。

年齢が上がるに連れて、何かとトラブルが多発する次男。

友達とうまく関われない。

毎日連絡帳は保育士さんからのメッセージが真っ黒に記入されている。

「やっぱり次男は何かが違うのかもしれない」

そう感じながらも、それでも個人差がある!と譲らなかった私はそのまま次男が年長になるまで、通院はしませんでした。

何度も保育士さんに「お母さんが気になるのであれば~」と通院を勧められましたが、どうしても受診する気にはならない。

なぜなら、次男は学習面などは何の問題もなく、家庭の中ではコミュニケーションも取れていたからです。

長男より落ち着きがないだけ、好奇心旺盛なだけなんだと考えていました。

しかし、小学校は集団生活。

1人だけ別行動はできません。

小学校就学を前に決心し、意を決して病院へ行くことにしたのです。

この時はまだ、「個性なんだと証明してやる!」という気持ちが大きかったように思います。


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発達障害診断から小学校入学まで


次男年長の秋。

私たち親子は病院にいました。

診察室では、いくつかの質問と症状を聞かれました。

次男の様子をみながら、これから主治医になるであろう先生が私に告げたのは「ADHDの疑い」という診断でした。

小学校入学前にADHD疑いの診断を受けた次男。

ずっと「どうしてなんだろう?」と考えていたことが「そうだったのか!」に変わっていきました。


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母も子も変わる


その後は、次男を理解したい、と考えてたくさんの本やネットで情報収集をしました。

たくさんの事例を調べながら思ったのは、発達障害とひと口でいっても、その子ひとりひとりで対応が違うということでした。

診断を受けてから入学に向けての半年間は、就学前検診などで保健師やコーディネーターと何度も話をしました。

そして、小学校に入学後は、市役所の窓口で紹介された放課後デイサービス(障害児童用の児童館のようなもの)を利用することにしました。

次男が利用した施設に通う人は、障害の程度は人それぞれ。

そのため、次男が他の利用者をお手伝いをすることもありました。

はじめは、公園で遊んでいた時に小さな木の棒を持ち帰れなかったことで癇癪を起こして呼び出しを受けたこともありましたが、この施設を利用をすることで、次男は他者に優しくすることを覚えていきました。


まもなく小学校を卒業する次男。

これから先も、まだまだ大変なことは続くと思いますが、自分が人と違うことを理解し、その中でどうやって生きていくか。

現在も一母子で模索中です。


※ この記事は2024年09月10日に再公開された記事です。

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