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公開 2020年02月08日  

自転車にのった姿に、数えきれない君の「はじめて」を思い出した<第三回投稿コンテスト NO.112>

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現在6歳の娘さんを育てられている、サトウカエデさん。娘さんが、はじめて補助輪なしの自転車にのれた時、これまで見守ってきた「はじめて」が、たくさん浮かんできたそうです。



子どもと一緒にいると、いつの間にこんなに大きくなったのだろうと、目を細める瞬間がなんどでもある。

我が家の娘は6歳。

笑うと頬にえくぼができてかわいい。

朝から寝る前まででその日を楽しんでいる、毎日が楽しくてたまらない年ごろだ。

はじめてハイハイで動いた日。

ふるえる二本の足で立った日。

舌足らずな声で「まんま」と言った日。

どれも忘れられない。

記憶のなかの小さい娘を、心からいとおしいと思う。

そのなかでも、ひときわ私の心を揺さぶるのは、小さな娘の背中が、もっと小さく、あっという間に追いつけない距離まで行ってしまったあの日。

私は足を止めて目を細め、いつか巣立つ日の娘を思った。



「ほじょりんじゃなきゃ、いやだ」

半年前、5歳半の娘は、背丈にあった紫と白の自転車の横で口をとがらせていた。

数週間前から乗るようになった自転車。

最初は補助輪つきで。

標準身長よりも小さいサイズの娘は、たとえ支えがあってもペダルを踏むのが一苦労だ。

ようやく進めるようになり、この日はいよいよ補助輪なしで挑戦する初日。

住んでいる街の、海沿いのサイクリングコースにやってきた。

とはいえ、親である私も夫も、無理に自転車の練習をさせようとは思っていない。

まず乗ってみて、だめならまた補助輪をつければいい。

軽い考えで娘を連れてきたが、もともと新しいモノに臆病な一面を持つ彼女は、いつもとは違う自転車に不機嫌そうだ。

夫が「お父さんが後ろを持ってるから大丈夫」とはげまし、さらに私が「転びそうになったらお父さんが支えるから」とサポートし、娘は1回乗ってみるとうなずいた。

105センチの小さな体が、自転車にまたがる。

よし、いくぞという夫の掛け声とともに、ぎゅっとハンドルに力を入れた娘が、ペダルを勢いよく踏み出した。


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大きなヘルメットをかぶり、黒とピンクのTシャツを着た背中が、少しずつスピードにのる。

最初は危なっかしく、でもすぐに軌道を修正し、娘を乗せた自転車は、サイクリングコースの先を目指して進む。

10メートルほど先まで行った時点で、後ろを支えながら走っていた夫が、ぱっと手を離したのがわかった。

風にのる自転車。

前だけを見ている娘。

小さかった背中が、どんどん、あっという間に届かないところまで進んでいく。

乗れた。

スマホのビデオを構えながら、私は心の中でガッツポーズした。なんなら、地面から数センチ飛び跳ねたかもしれない。

前だけを見てペダルを漕ぐ娘は、まだ後ろのお父さんが支えの手を離したと気づいていない。

あきらかに「自転車練習中」とわかる娘とすれ違ったご婦人が、「あら、おめでとう」とばかりに小さく手を振ってくれる。

画面のなかで米粒みたいなサイズの娘を追いながら、私は泣きそうになった。


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ただ自転車に乗れただけで、泣きそうになるなんて。

大きくなった娘が聞いたら、「恥ずかしい」ってきっと呆れるに違いない。

でも仕方ない。

だって私は、娘が「はじめて自転車に乗る」までに必要な、数えきれない「はじめて」のステップをいくつもこの目で見てきたのだもの。

身長49センチ、体重3010グラム。

生まれた日の娘は、両手にすっぽりおさまるぐらい小さくて。

用意していた産着に隠れて、ミニチュアみたいなサイズの手足はみえなかった。

はじめての出産。

はじめての育児。

知らないことだらけだった。

生まれたばかりの赤ちゃんの視界ははっきりしないこと。

おっぱいを上げても、数時間で空腹で泣くこと。

そのおっぱいすら、最初は上手に飲めないこと。

にっこり笑うまで、2か月はかかること。

手のひらを握って口に入れることが、手を使う練習だということ。

天井を眺め、ごろりと転がり、つかまり立ちをし、やがて二本の足で立って歩きはじめる娘の視界が、どんどん変わっていくこと。

はじめて自転車を一人で、手と足を使って、全身で前を見つめて進む娘にたどり着くまで、5年半のあいだ、いくつものはじめてを体験してきた。

その一つ一つの記憶が、ぶわっと胸のなかにあふれて、動画をとる私の涙腺を刺激した。

きっと、この先、何度でも、娘のはじめてを見たら私は涙してしまうのだと思う。

どうやったって、赤ちゃんだった彼女の姿が脳裏に思い出されて。

はじめて娘が自転車に乗った日。

小さな背中が、さらに小さく遠くなった日。

それは、お腹で命を育んで、付きっ切りで抱っこし、手をつなぎ、隣にいた日々を思い返す瞬間だった。

そしてこの先、5年、10年と、娘が育つ日々のなかで、この手を確実に離れ、巣立っていく日を見送るための練習の一歩だった。

ああ、いつか大きくなるんだな。

そんな当たり前の未来予想図が、スマホを握って駆け出した私の胸に振ってくる。

自転車を止めた娘が振り返り、はじけんばかりの笑顔で手を振るのが見える。

いつか旅立つその日まで。

輝くようなちいさなはじめてを、もっともっと心に留めよう。

そうすれば、頬を流れる涙だってきっとさみしいだけではなくなるから。

今日という日の、娘の成長の一歩を喜ぶ胸のあたたかさみたいに。



(ライター:サトウカエデ)



※ この記事は2024年10月20日に再公開された記事です。

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