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公開 2020年02月11日  

お風呂も食事も制限だらけ…幼児の入院、それは親を削る壮絶な無理ゲー

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初めての付き添い入院。
その時親は、どこで寝るのか何を食べるのか、そして、石鹸で洗髪はするものではありません。

長女5歳、入院初参戦その時の記録というかもう愚痴です。


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長期休みあるある…?

それは長女がまだ幼稚園の年中児だった夏休み。

長女はお盆の始め頃から、ひどい咳をしていた。

咳をしているのだから、早急にさっさと病院に連れていくべきだったのだけれど、時は、人皆休みのお盆どき。

発熱もしていない長女を盆暮れ正月は野戦病院と化している地域の休日診療に連れていく気になれず、某キャラクターの咳止めシロップを飲ませて急場をしのいでいたのだけれど、一向に某キャラのシロップは愛も勇気もその効能も発揮してくれる気配が無く

『何か変な咳やねえ…』

何か普通の風邪とは違うのではないかこれは…と思う頃にはお盆が明けた。

「やっといつもの先生の病院に行けるね~」

そう言って小児科医院に出かける準備をしていたその時の長女の体温40度。

体の頑健さが売りの長女の、人生最高値の高熱に驚愕した私は、こけつまろびつ駆け込んだ小児科医院で

「お母さん!なんでもっと早く連れてこなかったの!」

先生に超怒られた。


いえなんか変な咳だなと思ったんですけど…というボリューム最小の私の言い訳にかぶせて先生は

「変だと思ったらすぐ連れてこなくちゃ!」
「ホラ!血中酸素濃度94%、多分肺炎だよ、マイコプラズマ肺炎!流行ってるでしょ?」

長女はこの年、大流行していたマイコプラズマ肺炎ではないかというのが先生のお見立てだった。

4年に1度律儀に流行するという、オリンピック的なアイツ。

「とりあえず紹介状書くから、今すぐ大きい病院行って」

先生に持たされた紹介状を持ち、走り込んだ公立の総合病院でレントゲンを撮り、ハイお母さん肺炎ね、肺が真っ白よ、病棟にこのまま上がりましょう、抗生剤の点滴と内服して大体症状が落ち着くまで1週間位かな。

酷い咳の風邪だとばかり思っていたのが突然の肺炎、からの入院。

人生一寸先は闇。

しんどい思いさせて本当にごめんね長女。

そして何より、子どもの様子が『おかしい』と思ったら即病院に行け自分。

こうして、私の人生初の「子どもの付き添い入院」の幕はあいた。

拒否権はあたりまえだが、ない。


前途多難な入院準備

人生初の我が子の入院。

私がまず驚いたのは小児病棟の入院というものが、それが特に乳幼児の場合、24時間付き添いが基本であるという事。

勿論それは病院に強制されるものではないけれど、病床にある幼児が、成人の入院患者のように大人しくベッドに仰臥して日がな一日過ごせるかと言われると、無理ですねそうですねママとパパの付き添いが必要ですよねと頷くしかない。

兎に角入院が決まった以上、まずはこの子の着替えや、アレが無いと寝られないアザラシちゃんのぬいぐるみ、その他身の回りの物を自宅から持ってこなくては、そう思って夫に

「長女ちゃんが肺炎で入院になっちゃって」
「それでパパ、早退できる?出来たら家で長女の荷物、パジャマとかそういうのまとめて持ってきてほしいんやけど…」

電話したら、夫ときたら何て言ったと思いますか皆さん。

「えぇ~ちょっと無理~」

今でこそ、入院中の超絶ぐずる幼児の扱いに長けた病児のプロ父たる夫もこの頃は、健康が過ぎる健常な2児の父でしかなく

『ニュウイン スグ カエレ』

の妻の涙の一報も『風邪ひいちゃったから帰りにプリン買って帰ってくれない?』位のお願いにしか響いていなかったらしい。

当然私はブチ切れて

「入院なんだよ?入院!わかる?1週間付き添いの!」
「今家で留守番してる息子はどうすんの?パパが帰るまで放置する訳?」
「それとも今から電話して富山のばぁばに来てもらえってか?片道5時間やぞ?わかったらとっとと帰ってこい!」

あの時は私も若かった。

夫は私の剣幕と、たまたま私の怒号響く電話の内容を近くで聞いていた同僚のマザーたちに

「夫君、アンタが悪い」

と叱られ、即・早退。

プリンと長女の寝間着その他身の回りのものを詰め込んだカバンと共に病院に駆け込んできてくれた。

この時、入院の荷物を指示する電話で

「まず長女ちゃんのパジャマね。箪笥の2段目の…」
「え~どこ~?」

「それと、タオルとバスタオルと」
「え~どれ~?」

「あざらしちゃんと、あと幼稚園から毎月貰ってる絵本を…」
「え~そんなんあんの?」

本気で要領を得ないやり取りがあった。

この頃夫は仕事が本当に繁忙を極めていて、子どもの日常を全く把握していなかったとは言え、こんな不測の事態があるのだから情報共有はどんな形でもしておくべきだったと電話口で私は激しく後悔したものだった。

ほうれんそうは仕事の基本・育児の基本。


付き添い入院界の洗礼

小児病棟の4人部屋に落ち着いた長女は、左手に点滴、指にSPO2の計測モニター、鼻には酸素の吸入といういで立ちでまだ熱も高い。

普段そんな物には縁のない生活をしていた私は、それを横目に長女の荷物を病院の、あのテレビと冷蔵庫と収納棚が一体化した床頭台という備え付け台に片付けながら、少しだけ涙した。

あの時面倒だとなとか、こども風邪シロップがあるやん、とか思わずに早めに病院に連れて行ってあげればよかったなあ。


そうして、ちょっとだけご飯食べられそう?
ご飯来てるよと、長女に病院の『児童食』を食べさせ、薬を、これジスロマックという超苦い抗生剤が処方されたのだけれど、子どもは飲みませんからチョコアイスに混ぜるといいですよと言われ、走って売店に買いに行ったソレに混ぜ込んで飲ませて寝かせて夜8時。

私は自分がご飯を食べていないことに気が付いた。

あとお風呂と、それから私は今日何処に寝るのでしょう。

ナースステーションで忙しそうにしている看護師さんに上記2点、お風呂と就寝場所について聞いてみると

「シャワーは予約制なんですけど…もう使用時間が終わってて…」

気の毒そうに返されて、そして寝る場所については、静かに長女の寝ているベッドの隙間を指示された。

「簡易ベッドの貸し出しもあるにはあるんですけどこれも予約制でもう時間が…」

との事で、私は階下の売店で唯一手に入れられた『おにぎり・梅』をちまちま食べながら思ったものだった。

子どもの入院付き添いサバイバル訓練やん。

1日目にして過酷やん。


入院2日目には、なんという事でしょう、抗生剤の内服と点滴が功を奏した長女は平熱になり、親の目からすると完全復調、元気に朝食に出されたパンにイチゴジャムをたっぷり塗ってムシャムシャしているではないですか。

先生もう家に帰っていい?あと数日大人しくさせておきますから。

回診に来てくれたドクターにそう訴えてみたものの、この時担当してくれたドクターは無慈悲も私にこう告げた。

「今入れてる点滴、1度始めちゃったら1週間抜けないのよねぇ」

なんやて先生。

この『そこそこ全快に近いですよ?』という状態の長女を抱えて、あと5日の残留決定。

つらい、純粋に。


長女の身の回りのあれこれは、覚束ないながらも夫に自宅から持ってきてもらっていたものの、母個人のものは寝間着、着替え、そして簡易な洗面道具のみ、シャンプーもリンスも手持ち無しという、ほぼほぼ無課金ユーザー状態だった私はこの時『石鹸で髪の毛を洗う』という青春・中学野球部員!みたいな真似をし激しく後悔した。

キシキシになる、髪が。

あと、就寝場所の幅が狭すぎて寝返りが打てない、安定の腰痛と肩こり。

何より4人部屋、食事代わりのせんべいを食む音にも気を遣う。

そして、ほぼ元気になっているとは言え、持続点滴1週間の長女の点滴のお守りは付き添い親の役割で、点滴の『閉塞』『終了』のアラームが鳴ると即、アラームの停止ボタンを押しナースを呼び、トイレの折には点滴台を押して長女に追従するという、お付きのばあやの役割をこなした。

私はスタッフか。

そして自宅に置いてきた長男の様子が心配ではあったが、何しろ夫婦2人で乗り越える長女の入院という試金石、息子とゆっくり電話をしている暇は無く、メールでひたすら夫に

学校からの手紙は必ず出させろ
忘れ物が酷いから連絡帳のチェックはマスト
水筒は毎日洗え
服は油断すると全部後ろ前に着ていくから気をつけろ

という指示を出し続けた。

この時初めて夫は『長男てホンマになんでも無くすんやな…』という事実を実感したらしい。

息子、この時8歳、気づくのが遅すぎやしないか、夫。

あの時程自分が2人欲しいと思った事はない。

ただ1つの救いは

「入院て、一体全体なんぼかかりますのん」

おどおどびくびくして待っていた病棟事務さんからの入院費のお知らせが

『1000円でおつりがくる程度』

だったこと。

これについては、神よ、そして何より日本における健康保険制度よ、自治体よ本気でありがとう。

かの日々を振り返って

点滴にはつながれているものの、普通に元気な状態の長女はベッド上安静の長い一日に退屈し、パパに普段はそう買ってもらえない楽しいおもちゃや工作キットのついた幼児雑誌を山盛り買ってもらったり、一応感染症だからと入室は許可されなかった病院のプレイルームから家にはない楽しい玩具を貸し出してもらって一日中遊んで過ごした。

今これを書くために、長女に

「幼稚園の時に入院したの覚えてる?」

と聞いたら

「あぁ~あれね、結構楽しかったよね~」

という返事が返って来て、本人的にはしんどかったのは1日半くらいで、あとは沢山絵本を買って貰えて、おもちゃで遊んでママは一日中傍にいて面倒を見てくれるし結構楽しかったらしい。

そうか、よかったな。

お母さんはあの時風呂に入りそびれる事数回、長女が寂しがるのでトイレに行けず、食べるものが全部炭水化物になって太るし大変だったのだよ。

あんなに大変な思いをして、更に体重増加とか何の罰ゲームや。

そして、帰宅の途に着いた私は、自宅の荒れ様に腰を抜かした。

だって、入院の日の朝に沸かして冷やしておいた麦茶がそのまま残ってて、乾いた洗濯物が山になってたんですよ!どうもその中の物を発掘しながら着用して生きていたらしい。

私はこの時本気で

『長男に家事を仕込もう』

と思ったものだった。

それでも

「いや~やっぱりおうちが一番やね~」

と大阪のおばちゃん的発言をする長女とともに退院・帰宅したあの日は、今元気に8歳を迎え、風邪も滅多にひかなくなった長女を思えばそれもまた愛しくて尊い日々だ。

だからね、もう二度と入院しないでね、しょっちゅう入院ばっかりしてる次女ちゃんと二人同時入院とか、

お母さん卒倒しちゃうから。





※ この記事は2024年10月20日に再公開された記事です。

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