高校から帰ったら、母が大騒ぎしていた。
なんだなんだ、一体どうした。
「良太が万引きしたかも」
良太とは、私の3歳下の弟だ。
生まれつき、ダウン症という病気で、知的障害がある。
大人になった今も、良太の知能レベルは2歳児と同じだ。
ヒトの細胞の染色体が一本多いと、ダウン症になるらしい。
一本得してるはずなのに、不思議ね。
「良太が万引き?あるわけないやろ」
ヒヤリハットを、そういう帽子だと思っていた母のことなので。
「ちゃうねん!あるんやて!」
ニコラスケイジを、そういう刑事だと思っていた母のことなので。
この手の岸田家大騒動は、本気にしてなかった。
どうせ勘違いだろうと。
でもね、母が言うには。
中学校から帰ってきた良太が、ペットボトルのジュースを持って帰ってきたそうで。
お金はビタ一文持たせていなかったそうで。
文無しだったそうで。
(息子を文無しって言うのも、どうなん?)
私は昔、拾った空のペットボトルに、泥水と雑草を絞った汁を混ぜて「ジェネリック綾鷹」を作り、 いじめっ子を騙して遊んでたんだけど。
どうやら、そういう話でも無いようで。
「ほうほう。で、良太は?」
母のお縄についた、我が弟に目を向けると。
口をへの字にしてた。
めちゃくちゃ、への字にしてた。
「お前これ冤罪やんけ!」ってくらい、見事な冤罪フェイス。
え?そんな顔できたん?
ビビった。
これは姉の威厳を、見せる時ですばい。
「お願い良太。いい子だから、よ〜く聞いて……」
ハリウッドの良い女を演じてみたけど、びくともしないの。
姉のユーモアが、かっぱ寿司のすし特急のようにただ滑りしていく。
そしたら、良太が気まずそうに紙を取り出した。
コンビニのレシートだった。
「良太お前これ大丈夫なやつやんけ!」
万引きじゃなかった。
岸田家に、一筋の光が差した。
レシートの裏面には「お代は、今度来られる時で大丈夫です」と書かれてた。
……大丈夫ちゃうやんけ!!!!!!!!
焦りに焦って、コンビニへと馳せ参じる母。
すし特急のように気持ちが先走りすぎて、「お詫び 今すぐ 緊急」でGoogle検索したら「コンビニで買える菓子折り10選」が出てきた。
コンビニへお詫びに行くのに、コンビニで菓子折りを買えとな。
童話「マッチポンプ売りの少女」って感じ。
到着するなり、母が「すみません、すみません」と頭を下げた。
それはもう、めちゃくちゃに下げまくった。
上を下への大騒ぎ。
のちの、神戸市北区の赤べこ事件である。
弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった
33,588 View執筆した記事は月に100万PVを誇る、作家・エッセイストの岸田奈美さん。知的障害のある弟さん、車いすユーザーのお母さんとの日々を描かれています。そのなかから、岸田さんが高校生の時に起きた事件をユーモラスに綴った、「弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった」をご紹介します。
そしたら、あーた!
店員さんってば
「息子さんは喉が乾いて困って、このコンビニを頼ってくれたんですよね?」
「え?」
「頼ってくれたのが嬉しかったです!」
って。
え?天使?
この時の店員さん(オーナーだった)の笑顔を、母は一生忘れないと言った。
帰ってから良太は、赤べこからバチボコに叱られてた。
めでたし、めでたし。
で、こっからが余談。
赤べこん事件のあと、良太はお金を持って、コンビニへ行くようになった。
なんと、おつかいまでこなすようになった。
「牛乳と食パン買ってきて!」って私が言ったら、ドヤ顔で買ってきた時、母はちょっと泣いた。
すごい、すごい、ありがとう、って。
一方、私は。
ご存知の通り、人としての器が刺身醤油皿ほどしかねえので。
弟だけが褒められるってのは、ろくすっぽ面白くねえわけで。
「ほんまにおつかいしてるんか?」と疑い、一度だけ、弟の後をこっそりつけたことがあった。
コンビニに入った良太は「こんにちは!」と言った。
店員さんが、良太に気づく。
「おー!良太くん、久しぶりやね。何か取ろうか?」
「だいじょうぶー」
「そっかそっか。いつもありがとうね」
店員さんとの会話まで成立していた。
姉もちょっと泣いた。
良太の発音は、不明瞭でとてもわかりづらいのに。
コミュニケーションがしっかり成立していた。
店員さんが、いつも耳を傾けてくれたからだと、思う。
元気よく「こんにちは」「ありがとう」って挨拶するように、一生懸命良太に教えた、母べこもすごい。
しかし、姉べこは目撃した。
母べこから「お釣りで好きなもん買ってええで」と言われた良太は、ギリギリのギリまで、自分のおやつを買っていた。
1,000円札を持っていって、会計が1,101円だった。
すると店員さんがこっそり「これ減らしたらちょうど良いよ」って。
商品を抜いて。
998円とかになっていた。
母べこに返すお釣り、2円。
稲葉浩志が生まれなかったら「ギリギリchop」という歌は、良太がしたためていたと思う。
そんで、姉べこは。
鬼の首を取ったかのように「良太、ズルしてたで!それに比べて、私やったら完璧におつかいできるわ!」と言ったら、母べこは引いていた。
姉べこだって褒められたいもの。
そんなこんなで、今日も良太は、生きている。
一人で散歩し、バスに乗り、コンビニで買い物している。
でも、本当は一人じゃない。
だって良太には、できないことがたくさんある。
それを補ってくれているのは、地域の人たち。
バスの運転手さん、コンビニ店員さん、犬の散歩をしているお爺さん。
暖かく見守って、つまずいたら手を差し伸べてくれている。
その度に、赤べこ家族は、お礼を言いに行く。
皆は口を揃えて「こちらこそ嬉しかった」と言ってくれる。
「障害のある人とどう接したら良いか、良太くんから教えてもらった」とも言われた。
良太の小学校の同級生のお母さんから
「この子、良太くんと一緒のクラスになってから、自分の弟にも優しくなったんです」
と言われた時、赤べこの親子は、わんわん泣いた。
そして、神戸市北区の新しい工芸品となった。
相手が気を遣って言ってくれたのかもしれないけど、ちょっとだけ私は、優しい世界を期待したい。
そんでもって。
助けられてばかりの良太だけど、良太だって人を助けてる。
母は車いすに乗ってるから、気軽にコンビニへ行けない。
そのくせ、脈略なくいきなりどん兵衛を所望する。
だから、おつかいに行ってくれる良太は、ヒーローだ。
車いすの押し方だって、私より良太の方が上手い。
街中で車いすの人が困っていたら、良太はきっと、誰よりも先に駆けつけると思う。
さあ行け、良太。
行ったことのない場所に、どんどん行け。
助けられた分だけ、助け返せ。
良太が歩いたその先に、障害のある人が生きやすい社会が、きっとある。
知らんけど。
(編集:コノビー編集部 岡田)
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