2015年の春、私は詰んでいた。
その当時、我が家はまだ2人兄妹で、年齢は2歳5ヶ月離れている。
学年で言うと3学年の差がある。
そしてその2015年の4月は長男が小学校に入学する年だった。
この頃の長男と言えば、幼稚園の年長児になっても朝のお祈りの時間に先生の静止を振り切って職員室前の亀に挨拶に出かけ、お遊戯の時間に明後日の方向をむいて鼻をほじっていた。
そしてこの長男の通っていた幼稚園は、紺のブレザーにサスペンダーの半ズボンに白いブラウスとベストの、世にも可愛い制服フル装備の園だったが、何回教えてもとうとう卒園式の朝のその時まで自分で制服を完璧に着ることが出来なかった。
つまり
「アンタ、ホンマに小学生になれんの?大丈夫なん?」
両肩をつかんで詰問したくなるような状態だったのだ。
本当に心配で、年中のときから入学準備の為に徐々に予定に入ってきた就学前検診、入学説明会はいつもいつでも『一言も聞き漏らしませんよ私は』そんな鬼気迫る態度の母親になっていた。
あの当時の圧、説明に立っていた校長先生は相当怖かったと思う。
何しろ、3歩あるくと何かを無くし、そして集団行動からは3m位は離れて参加します、幼稚園の体操服は後ろ前に着るのが基本です。
という長男の事、幼稚園はそれでも何とか
「長男君たら~」
「ほらほら一緒にいこうか」
と言って、間違いを指摘してくれたり、手を引いてくれたりして何とかなっていたが、その優しくて行き届いた幼稚園の先生や補助の先生は小学校にはもう居ない。
上に兄弟のいるお友達のママから言わせると小学校は
「幼稚園や保育園のぬるま湯の世界とは違うんや、本人がしっかりしとかな…」
空恐ろしい世界だと言う。
私は震撼した。
何それ超怖い。
恐ろしすぎて、私は長男の入学準備には相当な時間と熱量を費やした。
学校から指定された2Bの鉛筆一本一本に名前を付け、荷物をまとめるという概念を持たない長男の為に説明会で言われたものより一回り大きな手提げ袋を用意し、右左がわかるようにマジックでしるしをつけた上靴。
長男の進学先の公立小学校は制服ではなかったので、前後を間違えないように出来るだけ前にしっかりと柄やプリントのあるTシャツやトレーナー。
ママが居ない小学校でもしっかり1人でやっていくんやで
長男の目を見て滾々と諭していた2015年の年明け、長男は
「来年もE先生がいいな!」
当時の幼稚園の担任の先生と来年も楽しく遊ぶのだと親に宣言してくれたものだった。
うん、来年小学校やん、幼稚園卒園するやん、それとも何か、幼稚園の段階で留年する気なのかオマエは。
心配すぎて心臓が痛くなる状況の中
私はすっかり忘れていた。
この長男の妹、長女もまた幼稚園入園だという事実を。
まず一言断っておきたいが『忘れていた』というのは、3年保育の幼稚園に入れようと思っていた長女の入園申し込み手続きすべてを忘れていたわけではない。
勿論、秋にきちんと入園の申し込みをし、形式的なものとはいえ試験を受け、入園説明会に参加し、制服も園用品一式も既に手元にあった。
が、そこまでで記憶が途切れていた。
私には1つの事に集中すると他の全部を忘れ去るという、社会人として親としてどうなのそれはという恐ろしい欠陥がある。
そしてこの長女というのが、長男の対局にある性格で、穏やかで大人しく協調性の塊、幼稚園に上がるのに特に何の心配も無いタイプの幼児だった。
が為に
私は本気ですべてを失念していた。
それで、すでに購入の済んでいる園の指定品以外の、実務を司る主任の先生が明言はしなくとも
「手作りしますよね?」
という結構な圧を感じる絵本バッグ、上靴袋などは忘却の彼方。
兄の入学準備がほぼほぼ完了していた3月、この事実に気がついた私は慌てて実家に電話をした。お母さん事件です。
何故実家の母かというとこの人がまた、孫の通園カバンから発表会のドレスまですべて私が縫います縫えますというハンドメイドばぁばで、時間が無い時に手作り品が必要になったその時、私は個人的な見栄とか矜持とかそういうものをかなぐり捨てて、いつも泣きついていた。
そして言われた
「アンタ何してんのよ」
ハイスミマセン、酷い母親だと思います反省してますそして何とかしてお母さん。
しかしこの母はその次にこう言ったのだった。
「私もアンタの、保育園の入園準備の時、お姉ちゃんの事が手一杯で忘れてたわ」
そう、実は私にも3歳上に姉が居て、母はさかのぼる事約30年前、姉の小学校入学と私の保育園入園が被ったその当時、少しおっとりしていた姉の入学に力を入れすぎて、2番煎じな妹である私の細々した入園のアレコレを忘れたという。
3学年差の落とし穴か、それともただの遺伝か。
兎に角母はその30年前の贖罪として長女の就園用の手作り用品一切をミシンで縫いまくるから近日中に郵送してあげると約束してくれた。
ありがとうお母さん。
そして30年前忘れてたんやな、超ひどい。
そんな話の顛末を、その日帰宅した夫に伝えたら、夫はこう言った。
「え、長女ちゃんて入園式いつ?」
長男が卒園して長女が入園する幼稚園は、入園式が4月1日だった。
ザ・新年度初日。
「えー!俺休めないよ」
「それに卒園式もあるやん、そんで入学式まで休みはちょっと」
鬼か。
「え、でも長男の入園にも入学にも出席しておいてそれは無くない、可哀相じゃない?」
自分の忘却の罪を無かったことにして訴えたが、会社の事情もある。
その日の夕方、裾上げとかしないといけないね!と言って買った時のままにしてあった制服と、長男のお下がり小物などを喜んで羽織っていた長女が若干不憫だったので
「じゃあ、パパ行けないけどごめんねって言ってよ!」
そう夫にきつく言い伝えた。
凄い棚上げっぷりだと思う、我ながら。
それでも夫は、年度末の戦場から帰宅した疲労困憊即布団の身体を引きずりながら、長女のクレヨンに一緒に名前をつけてくれた。
「長女、怒るかな」
その辺はクレヨンの名前つけに免じてうまく言っとく。
そうなると入園式当日の4月1日は私と新入園児の長女と、長男の3人でという事になる。
大丈夫だろうか。
この『大丈夫だろうか』とは、新入園児・長女の事ではなく、長男がだ。
まともに小学生をやれるのかも怪しいが、妹の入園式に付き添えるのかが、まず心配だった。
前述のとおり、幼稚園卒園も小学校入学もよく理解しているのかしていないのか、その境界のあいまいなまま入園式に帯同したら、卒園した筈の己の立場も忘れて新入園児の列に連なっていきそうで心配だ。
よしんばそれを先生方が阻止してくれても、窓の外に大好きな滑り台が見えたらそこに走って行ってしまいそうな気がする。
そんな懸念が拭い去れないまま、とりあえず迎えた長男の卒園式では、卒業証書を立派に園長先生から受け取り、この時は流石に涙が出た。
だって入園した3歳の時は110cmの制服がまだ大きくて袖や裾に上げをして着ていたのに、その制服がもうぴったりを通り越して
「いや、ちょっと短かすぎへん?」
という状態になっていたし、檀上で卒園の歌もちゃんと歌えていた。
しかし、園長先生のありがたいお話の最中はやはり鼻をほじくるわ、後ろを向いて誰かに手を振るわで、大丈夫か、本気で小学生になる気はあるのか。
そんな心配と心労の残る長男の卒園式。
そしてその約半月後、ついに長女の入園式がやって来た。
結果から言うと
長男は新入園児入場のその時、長女の手を引いて立派に父の名代を務めた。
本来なら新入園児の入場は母親が手をひくところだが、保護者席に長男を1人置いていくのもどうかと先生に聞いたら
「お兄ちゃんと一緒に入場したら?」
と取り計らってくれたのだ。
というかそういうのんびりした園なのだ。
長女は、今でこそ、おはようからおやすみまで些細な事で長男と超・喧嘩をしているが、この頃はスーパーお兄ちゃん子で、喜んで長男の手を取った。
「お兄ちゃんと行くの!」
と言って。
その様子を見ていた私は、半月前の卒園式の長男の様子よりもずっと、2人の我が子の成長みたいなものを実感して、私にしては珍しくきちんとお化粧した顔面が崩れ去っていって困った。
赤ちゃんだと思っていた長女はちゃんと制服を着て歩き、その手を兄である息子が引いている。
みんな大きくなっちゃうんだなあ。
嬉しいけど寂しいなあ。
いいものを見た、夫は来られたなかったが、怪我の功名と言うべきか。
長男もどんどんしっかりしていくのかなあ、と思った6日後、小学校の入学式ではやはり長男は先生の話を明後日の方向を向いて無視し、入学初日から上靴を何故か行方不明にさせていたがそれはさておいて。
親がどんなにうっかりな失念をしていようと、人生の節目の式典に何故か親じゃなくて兄がその名代を務めようと子どもはそれなりに成長していく。
今、ものすごく色々棚に上げてまとめた。
でも本当だ。
そして、こんな騒動はこれきりかなと思っていた最近、私は気づいてしまった。
長男が中学1年生になる来年の春。
この入園忘却騒動の3年後に生まれた次女が幼稚園に入園することを。
そう、なんとウチは長男と長女が3学年差、その長女が次女と6学年差、という事は長男と次女が9学年差、学校の節目節目が丸かぶりのきょうだい構成なのだ。
計画性とは。
そして最近、幼稚園入園を失念されてしまった経歴を持つ長女は、それを知っているのかいないのか私にこう言った。
「ねえママ、そろそろ、次女ちゃんの幼稚園の制服出して見ておいた方がいいんじゃない?」
え、まだ1年あるのよ。
でも、ハイ、次は忘れません。