まいどおおきに!ベルギーで三姉妹を産み育て、早10年。
記憶力のなさには定評がある系オカン、さとえみです。
出産は一大イベント。
あの壮絶な苦痛という名のトンネルを抜けたら、そこは天国やった…みたいな。
ずっと会いたいと思っていた天使に会えて、感動に震えるような瞬間。
これはもう、人生のハイライトと言っても過言ではないわけで……。
自分の人生がいつか終わりを迎える直前、何度もフラッシュバックしてくる記憶の一つに、絶対に入ってくるって…って直感で思ったんですよね。
(まぁ〜、その天使のお世話で地獄のような眠れない日々が始まったり、天使が無限にイヤをくりかえす“悪魔”に変身したりもするんやけど、ここでは割愛します)
そういう瞬間のことを「走馬灯のように〜」って表現したりするので、人生のハイライト的な記憶を入れておく心のスペースを「走馬灯フォルダ」と名付けて大事に保存していこう…。
本当にそう思ってたんです。
ほら、年配の方々が言う「子どもの小さいうちなんてあっという間に過ぎるから、今のかわいい盛りを十分に楽しんで」っていう定型文があるやないですか?
そういう言葉をバカにせず、毎日の成長を見逃さないようにって、真に受けていたんです。
そして……
次女が生まれた時も、映画『ショーシャンクの空に』のジャケットのような感動感激の雨に打たれたんやけど……!
そして、それも「走馬灯に出るに違いない」って思ったんやけど……!
拭えぬデジャブ感。
私はちゃんと、長女と次女の出産を別々に思い出せるだろうか?という一抹の不安がよぎりました。
幸い、長女と次女は顔や性格がけっこう違っていたので、子どもの頃のエピソードはごっちゃにはなっていない。
私はまだ、子どもたちとの大切な日々を「心に」焼き付けておこうとしていた……!
三女が生まれて…もう、どうしようもないと思いました。
忘れることはなくても、3人の子どもたちの思い出が全部混ざってしまう危険性がありました。
いざ最期の時になって、フラッシュバックした記憶の赤ちゃんが誰なのかとっさに分からず、「長女?次女?三女?あわわ……」となってしまっては、やりきれない。
心に「走馬灯フォルダ」を作るにしても、「長女用」「次女用」「三女用」と別々に作るべきなのですが、自分にそんな器用さはないということを、3度目の出産でようやく悟り……。
そこで私は、以前からかきはじめていた「育児絵日記」に、いっそう力を入れるようになりました。
写真や動画だけでは「その時、自分がどう思ったか」ということまでは記録されない。
今でも、以前書いた日記を時々読み返すと、本当にキレイさっぱり忘れているエピソードがあって驚いたり……。
やっぱり、古来から伝わる日記なるものは、強いなぁと思うのです。
コノビーさんの記事も、ある意味「電子の走馬灯フォルダ」ですよね。
大切にずっとぐるぐる読んでいきたいし、他の人の記事もぐるぐる読みたい。
そう思いました。
ほなまたね!