とある朝の出来事。
小学校1年生の双子が、スイミングスクールに行くための準備をしていたのですが、娘が突然「プールのカードがない!」と言い出しました。
娘の言う「プールのカード」というのは会員証のことで、普段はカードケースに入れてプールバッグにつけているのですが、それが見当たりません。
「外してどこかに置いちゃったんじゃない?よく探してごらん。」
そう伝えてしばらくそっとしておいたのですが、娘は部屋の中グルグルしながら「カードが無い。カードが無い。」と焦っている様子。
もはや、心ここにあらずといった状況でした。
かたや息子はその様子を見て、「この前プールに行ったときに外したんじゃない?」と冷静。
「あっちの、かばんを置いてる棚を探してくれば?」というアドバイスもしていました。
そんな2人の様子を見ながら、私にはひとつ分からないことがありました。
それは「娘がなぜ、プールのカードがないことに対してそんなに焦っているのか」ということです。
息子に言われた通りかばん置き場を探してみたものの、やはりカードが見つからなかった娘は、こんなことを口にしました。
「なんでないんだろう。プールのカードがみつからなかったらどうしよう。プールの入口でカードを出さなきゃいけないのに。プールに入れないかもしれない。今日はテストなのに、テストも受けれないかもしれない。」
その言葉を聞いた時、私はハッとしました。
娘にとって問題なのは、「今、プールのカードが手元にない」ということだけではなく、その先にある行動のひとつひとつに対する心配がぎっしりと詰め込まれていたのです。
大人である私は、これまでの経験に基づいてある程度の見通しが立てられるため、「カードがない」ということをもっと軽く考えてしまっていました。
プールのカードが見つからなければ、スイミングスクールの受付に行って「カードを忘れました」と伝えれば良い。
もう小学校1年生だから、それぐらいのことはできるだろう。
そして、もしもこのまま見つからなくても、再発行してもらえるだろう。
…でも、娘にとっては、「カードがない」ということはそんなにシンプルなことではなかったのです。
そんな娘の様子を見ていて、私はふと、自分が子どもの頃に父から言われた言葉を思い出しました。
「あれやこれやと、起こってもいないことを想像して悩まなくていいんだよ。」
当時の私が、何か心配なことを話した時に父から言われた言葉だったのですが、それ以来様々な場面でこの言葉に救われてきました。
今考えている心配事は、もう起こってしまったことなのか?
それとも、私の頭や心の中だけで起こってることなのか?
…このように整理する癖がついたことで、「起こってもいないことに対して、必要以上に心配することはやめよう」と思えるようになった気がします。
(正しくは、そう思うようにしようと心に決めた…ということなのですが。)
そんなことを思い出したので、娘にもこのことを伝えたいと思いました。
まず、今娘に起こっていることは「スイミングスクールのカードがない」ということ。
プールに行くためにはカードが必要だけど、忘れてしまった場合やなくしてしまった場合は、受付の人に言えばプールに入れること。
そして、テストも受けることができること。
順を追ってひとつずつ説明すると、娘はホッとしていたものの、やっぱりカードがないことは気になる様子。
そこで、まずは気持ちを楽にして、焦らないで探しものをする方法を考えることにしました。
昔テレビで紹介していた「何か単語をつぶやきながら探す」という方法を思い出し、「焦らない、心配しない、きっと見つかる」と言いながらカードを探してみると……?
さっき息子に言われて探したはずのかばん置き場に、カードケースがぶら下がっていたのです。
やはり、心配事で頭がいっぱいの時は、どんなに探しても見つからなかったりするもの。
何か心配なことがある時は、まずはなるべく冷静に「心配事の中身」を整理し、落ち着いて対処することが大切だと痛感しました。
そんな出来事があってから少し経った頃、娘が「宿題のプリントがない」と言い出した時のこと。
「よく探してみてごらん」と伝えると、「焦らない、心配しない、きっと見つかる」とおまじないのように唱えながら探す娘の姿がありました。
あの時のことがきっかけで、娘は自分なりに「心配事が起こったときの心の持ち方」を見つけつつあるのかもしれません。
心配事があまりに膨らんでしまうと、本来できるはずのこともできなくなり苦しい思いをするかもしれない。
でも、一見すると「心配性だなぁ」というようにも見える娘は、「心配事の中身を想像することできる」という点で、これから生きていく中で長所として活かせることがたくさんあると思うのです。
子どもたちには、いろんな角度から「自分の心と付き合う方法」を知ってもらえたらな…と思っています。