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公開 2020年04月08日  

登園渋りがすごい。泣き叫び、動かなかった娘が、卒園後に放った「まさかの一言」とは?

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生来のおせっかいが、暴走しそうになる春です。

新入園児のママを、ひとりひとり、心の中で全力ハグしてる。


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あれは、長女が幼稚園に入園したばかりの頃。


4月の風物詩と言われたら、そうなのかもしれない。

長女は毎朝それはもう、すごい剣幕で泣いていた。

朝起きるところから闘いは始まって、まず、布団を剥いだら長女は寝たふりを決め込んでいる。

固く目をつむって、起きまいと身を小さくまとめて丸まっていた。

どうにか起こして、朝食を食べさせても、着替えない。

園の制服を着るのが嫌で、家中を子ねずみみたいに走りまわって逃げていた。

小さい子どもしか、入り込めないような隙間に、身体をぎゅっと詰め込んで、引っ張り出すのに難儀した。

無理やりパジャマを脱がせて、泣き暴れる長女の腕にブラウスの袖を通す。

さて、反対も、と袖を通したら、さっき通したはずの袖がもう、もぬけの殻だ。

右を通せば左が抜け、左を通せば右が抜ける、永久運動だった。

どうにかどうにか、制服を着せても、最後の抵抗で、靴下を履かない。

身体をくの字に器用に折り曲げて、足を死守するのだ。

履かされまいと、知恵をこれでもかと振り絞って、嗚咽を漏らす長女が愛しいやら、切ないやら、時間がせまるやら。



制服をぐちゃぐちゃに着せて、車に乗せて、園まで走る。

車の中でも、もちろん長女は泣いている。

ドナドナの気分である。毎日かなりシリアスなテンションで、「こんなのドナドナじゃないか」と本気で思っていた。

園についたからって安心はできない、車から降りない。頑として降りない。

ここでも身体をぎゅっと丸めて、今度はチャイルドシートのバックルを死守する。

例え、子どもでも火事場の力は強くて、私も本気を出さないと太刀打ちできない。

しっちゃかめっちゃかになりながら、死闘を繰り広げていると、見かねた先生が駐車場まで来てくださって、さすがに観念した長女を、先生は米俵のように、たくましく担いで、連れ去っていく。


さらに言うと、長女が泣くのは朝だけではなかった。

夜の寝つきがうんと悪くなり、しかも夜泣きまでするようになった。

ワンセット40分というコースらしく、短くても40分、延長する場合はツーセットで80分、という具合だった。

ごく稀に、大サービスのスリーセットがあって、言わずもがな、120分泣きとおす。

限界がそこまで来ていた。


「そうまでして通わせないと、いけないんだろうか」


長女の泣き声を聞きながら、毎日そんなことを思った。


「長女にはまだ集団生活は早かったんじゃないか。こんなにママを求めてくれているのに、私はどうして、こんな思いをしてまで、幼稚園に通わせているんだろう」


思いつめた毎日に、「退園」のふた文字が、いつだってちらついていた。



長女が2歳の時に息子が生まれて、その時にほんの2か月ほど、保育園のお世話になったことがあったのだけど、はっきり言って、その時もものすごく難しかった。

最初の頃は「すぐに慣れますよ」と、にこやかだった先生の表情も、次第に硬くなり、しまいには、「給食を食べさせに来てくれませんか」と、ご依頼があった。先生も、相当頭を悩ませたんだろう。申し訳ない。


そんな過去があっての、幼稚園入園だから、最初から不安がなかったかと言ったら、嘘になる。

けれど、あれから2年も経っている。長女もうんとお姉さんになった。

場所見知りも、人見知りもしなくなって、すっかり頼もしい4歳だ。

不安ももちろんあったけれど、それをはるかに上回って、「きっと大丈夫」だと、思っていた。

思っていたけど、やっぱりなんていうか、期待を裏切らない、ママっ子で慎重な長女は、凛としてそこにあったらしい。

信念を貫くタイプ。



どうにか持ちこたえ、一学期を終えた頃、もちろん長女はまだ毎朝、絶賛泣いていて、私のメンタルも持ちこたえているとはいえ、かなりぎりぎりだった。

そんな我々親子を見かねた先生が、「園バスを利用しませんか」と、提案してくださったのだ。


結論から言うと、園バスは大成功で、長女の朝のべそべそはずいぶんと軽減されたのだけど、事情があって、年中さんにあがるときにバスの利用をやめてしまうと、また長女はしくしくと泣くようになってしまった。


そして、驚いたことに、年中さんが終わるまで、程度の差こそあれ、別れ際にはほぼ毎日泣いていた。

年中さん当時は、2歳差の弟が未満児クラスに入園していたのだけど、その弟がけろっと教室に入って行く横で、私にしがみつき、永遠の別れを悲しむかのような悲壮感を漂わせて、しくしくさめざめとと泣いていた。



そんな風に、3年間の園生活のほとんどの朝を泣いて過ごした長女は、信じられないことに卒園式で、誰よりも大号泣をして、周囲を驚かせた。

泣きすぎて吐くんじゃないかと思うほど泣いて、みんながにこやかに写真を撮りあうあいだも、ずっと嗚咽を漏らして泣いていた。

ちょっと待って、あんなに登園渋りして泣いてたじゃないの。

先生ともども、呆気にとられた。

そして、ランドセルもすっかり板についた、新二年生は「幼稚園はほんとうに楽しかったなぁ。戻りたいなぁ」と、今、何度でも言っている。退園のことばかり考えていた、4年前の4月の私に聞かせてあげたい。


あれはいったい、なんだったんだろう。通過儀礼と言われたら、それまでだけど、ずいぶんと長い闘いだった。


春が来て、園の門の前で踏ん反りかえって泣いている、年少さんを見るたび、懐かしさで胸がきゅっとなる。

そして、げっそり疲れ果てている、お母さんひとりひとりをひっつかまえて、大丈夫だからね、毎年のことで先生も慣れてるし、泣きすぎて泣きすぎたうちの子だって、フェンスを登って脱走を企てたうちの子だって、自分のロッカーに引きこもって出てこなかったうちの子だって、今は「幼稚園楽しかったなぁ」って何回でも言ってるからね、と声をかけたくなる。

だけど、そんな春の名物お母さんになる勇気が生憎なくて、彼らに微笑みを向けて、心の中で渾身のエールとハグを送るのが、もうほとんど、春の定期。


※ この記事は2024年10月19日に再公開された記事です。

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