春、満開の桜と共に真新しくて少し大きめの制服を着た新入園児たちが、期待と不安と緊張を綯交ぜにした表情で幼稚園のバスに乗り込む姿を見るのは、手元に幼稚園児のいない今でも楽しい、そして可愛い。
その幼稚園バスのそばには少し心配そうな園児のママとときにはパパ達が、それでも笑顔で手を振って見送っている。
長男を初めて3年保育の幼稚園に叩き込んだその昔、私もそんな幼稚園バスのバス停で
「ウチの子大きくなって…」
我が子の成長に涙をこらえながら手を振る、その日を楽しみにしていた。
乗り物が大好きな息子は喜んでバスに乗り込んでくれるだろうと思っていたから。
そんな初めての登園日。
初登園の園児達を迎えに来た天使のイラストも可愛い幼稚園のバスが長男含む3人の年少さんの前に停車して、バス担当の元気な先生がさあ、みんな順番にバスに乗って幼稚園に行きましょうねと促したその時。
同じバス停にいた年少さんの内2人は、はあいと元気にお返事をし、先生に手を引かれて意気揚々とバスに乗り込んでいったのに、残った1人の園児が
「イヤだ!行かない!ママがいい!」
傍らの母親の足にしがみついた。
それが、ウチの長男、その時3歳になったばかりの、3月生まれの甘えん坊。
その日、私の足にセミかコアラかとにかく渾身の力でしがみついた息子は
「アラ!どうしたの~幼稚園楽しいよ!ホラホラ!」
バスに園児を乗せて並べて多分ウン十年、ベテランの剥がしの先生によってバスの中に連行、そのまま幼稚園に運ばれて行った。
が、その2時間後、そう、4月の初めは幼稚園も慣らし期間でお昼前にまたバスに乗せられた園児が自宅近くのバス停に送り返されてくるのだ。
その時の長男は涙のアトが両頬にくっきりとついた挙句鼻水は垂らし放題、そして幼稚園の貸し出しのパンツと制服の半ズボンをはいて、朝履かせたパンツとズボンをお土産に持って帰宅した。
オマエときたら初日からそんな。
それより何よりそれはそれは恨みがましい目をしながら
『なぜなぜどうしてママは幼稚園に一緒に来ないの』
『ボク待っていたのに』
というような事を訴えた。
怒り心頭の長男の口から漏れ出した言葉の断片をつなげると多分そういう事を。
彼はどうもそれまで私が散々言葉を尽くして説明してきた『幼稚園』について全然理解していなかったらしい。
本人は幼稚園という場所はプレ保育の時代同様ママと妹と楽しく遊びに行く場所の筈で、実は子どもだけが集う場所だとは思っていなかったのだ。
なんでや、なんでママが朝のご挨拶とともに3歳児と歌い踊らなあかんねん。
とにかく本人は1人での登園も1人でバスに乗り込む事も想定外だったという事で、相当にご立腹。
そんなこと言わないで、滑り台もあるし亀さんもいるし幼稚園楽しいよというママの口車に一切乗らずこう宣言した。
「イカナイ!」
そして床に脱いだ制服を叩きつけた上ご丁寧にも踏んづけてキレ散らかし、その様子に私は頭を抱えた。
言葉が遅くて、トイトレが未完了で、甘ったれの長男は、その赤ちゃんが抜けきらない様子と面構えに反して本気で言い出したら聞かない、そしてスーパー癇癪もちの男だったのだ。
なにそれつらい。
翌日から私と長男の格闘の日々が始まった。
しかし、ここでくじける訳にはいかない。
我が子の健やかな成長の為、そして何よりこの暴走特急をこれ以上自宅で母1人、しかも8ヶ月の長女とともに養育しとけとか無理、ママ倒れちゃう。
それで私は一計を案じた。
朝、寝起きの長男はとりあえず「ようちえんヤダ」という割に目の前にある危機にはそこまで気づいていないというか、比較的機嫌が良い。
そこでだ
「長男くん、いちごあるよ!」
「長男君、ホラホラよしお兄さんが踊ってるよ!」
「さ~電車達もテレビ見るかな!」
好物の苺などを用意し、好きなテレビ番組をつけ、大好きなプラレールを机に並べて登園のその時間まで機嫌を保つ。
そして登園準備の為の時間ギリギリのデッドラインに達したその時一気に
「ハイハイハイ!制服着ようね!コレはいブラウス!ズボン!」
「ヤダ!ヤダヤダヤダ!」
「コラコラコラ逃げるな!」
それまで着ていたパジャマを剥ぎ取り、逃げる13kgを捕まえて抑え込んで制服を着せ、そのまま暴れる95㎝を左腕で横抱きにし、靴とカバンと帽子はまとめて右に抱えて自宅から駆け出すという奇襲作戦を決行したのだ。
尚、当時まだ自立歩行できていなかった長女はあらかじめ背中に背負われていた。
もう荷物扱い、ごめん長女。
その時の私の様子は同じバス停のママ達に
「手負いのクマ」
「凄いとれとれ ピチピチ感」
「そういうCM見たことある、関東のヤツやけど 」
そう表現され、バス停の名物になった。恥ずかしいわ。
お陰様でこの頃、私の上腕二頭筋は最高にマッスルしていた。
だって長男が暴れるんですもの渾身の力で、3歳も本気出すと相当強い。
しかし、そんな奇襲作戦で幼稚園バスに放り込んでいられたウチは良かった。
3歳児もそうそう同じ手は食わない。
この長男、連休明けの5月には毎日見ているEテレの画面がお兄さんの体操の時間になるとママが制服を持って襲い掛かって来るという事を覚えてしまったのだ。
意外と賢い。
長男は時間になると渾身の力でパジャマを死守、そして制服をひったくって部屋の外に投げ、終いにはトイレに立てこもった。
そして
「だれかたすけて―――――!」
「いやだあああああ―――!」
とか叫ぶもんだからもうこれ通報案件、違うんです近所の皆さん、ウチの子ちょっとまだ通園慣れしてなくてと窓を開けて叫びたかったが、そういう訳にもいかず。
この自宅の中心でSOSを叫ぶ作戦を長男が編み出したその日、長男は初めて幼稚園を休んだ。
ママ、3歳児に完敗す。
そしてパジャマの長男を背後に、キッチンの床に放り出された制服を拾いながら私は考えた。
もしやまさか良かれと思って決めた3年保育は、長男には早すぎたのか。
大体この子3月の末の生まれでその上予定日は4月の中旬、本来なら次年度の入園だったのだし、言葉も遅くて他の園児より幼くて、幼稚園が全然楽しくないのかもしれない。
うすうす感じていた事を脳内ではっきり言葉にしてしまうと、今度は長男に申し訳ない気持ちになってしまい、欠席連絡を入れた幼稚園で、担任の先生にその頭に浮かんだ不安と後悔と懺悔、それをそのまま電話で訴えた。もう涙声で。
『ほかのクラスのお友達は楽しく幼稚園生活をスタートさせているのに、ウチの子はどうしてこうなんでしょうか、何かどこかおかしいんでしょうか』
今思えば朝の登園時間にそんな事をいちいち相談するとか、向こうにしたら迷惑千万だっただろうに 担任の先生はうんうんと言って聞いてくれてそして
「お母さん、長男君、保育時間が始まってしまえば楽しそうに遊んでますよ」
「確かにみんなと同じ事を上手にできているわけではないですけど」
「1月2月3月生まれちゃんは、みんな春はそんなもんです!」
そして先生は、長男が朝大暴れしてしまうのは、ママと別れるその数分の時間に拒否感があるだけで、もうそれは慣れです、実際幼稚園に行けば楽しくお友達と遊んでいるんですからと説明してくれた。
「ママが大好きすぎてお別れの一瞬が自分ではどうよしうもなく寂しいんですよ!」
そして明日からの事を
「もう着てくれないなら制服着せなくていいです」
「幼稚園で着せますから制服持たせてパジャマのままバスに乗せてください。それで大丈夫!」
この先生は、当時新婚、まだ若くてティンカーベルか妖精かみたいに華奢で小柄で可愛い人だったがものすごく豪快な人だった。
そう、かの業界の先生方は皆、ファンシーなキャラクターのエプロンをつけて童謡を歌い踊るその姿に反して皆豪快にオトコマエなのだ。何故なんだ。
「とにかく何でもいいから連れてこい、幼稚園を大好きにしてやる」
「私達に任せろ」
長男の登園拒否はこの先生の励ましに支えられ、そして言葉通り私は次の日、本気でパジャマ姿の長男を園バスに放り込んだ。
で、その後の長男がどうなったのかというと、パジャマ姿で担がれてバスに放り込まれること数回、その自分の様子がどうにも
「コレ、恥ずかしくない?」
という事に気が付いたのか、それとも、担任の先生とクラスメイト達に毎日盛大に励まされたのが功を奏したのか、登園拒否の様子は『マシになった』。
ハイこれ『楽しく登園するようになった』訳ではないところがポイントです。
やはり朝は制服に袖を通したがらず
「ようちえんイヤだなあ…」
とか布団の中でつぶやかれた日にはもう退園か休園しようかと思った事もない訳ではないが、幼稚園ではやりたい放題楽しそうにしているというのだから、本気でよくわからない。
最終的に長男が『嫌だ行かないママといる』という主張を完全に捨てたのは年長児になってからの事で、ちょっと遅すぎ感は否めないが、私と繋いでいた手を自分から離してバスに乗り込んだその日、毎日共闘したバス担当の先生と私は固い握手を交わしたものだった。
「いやー長くかかりましたね」
「見事な頑固者でしたね」
そして、発進するバスの中、先生は窓から親指を立てて私を見下ろし、それに私は手を振って応えた。
カッコいいかよ、アメコミのヒーローかよ。
幼稚園の先生という人達は本気で超頼りになる。
あの当時、私は本気であの先生方に支えられていた。
かのオトコマエ集団は、初めての幼稚園、初手から登園拒否をキメ込む我が子に涙目になっていた新米幼稚園児ママを思い切り励まして援護してくれた。
だから、この春、色々あって予定が大幅に変更、想定外のもしくは遅れての幼稚園生活・保育園生活スタートになってしまったママ達パパ安心して、貴方の園にもアベンジャーズは待っている。
多分。