私は3月生まれの次女として誕生しました。
1つ上には同じ3月生まれの姉が。
幼い頃から、服装や持ちものは姉とお揃いか、色違いでした。
成長の節目である七五三の着物や、ひな人形も姉と一緒。
もしくはお下がり。
「お姉ちゃんと一緒!」と嬉しかった時期もありますが、小学生になったころ、次第にお下がりが気になるようになりました。
この服も、この靴も…目につくものは全て姉からのお下がり。
私自身に新しく買ってくれたものは、ほんの一握りでした。
それも、年子だとどうしても使い回しができない学用品、例えばリコーダーや書道セットのみでした。
「お姉ちゃんのものじゃなく、私だけのものが欲しい!」
そう思うようになりました。
両親からすれば同性であり、着回しできるものを私にお下がりしていただけの話。
しかし、私自身はなんでもお揃いやお下がりではなく、自分だけのものを新しく買って欲しいと考えるようになっていきました。
姉との関係に悩んだ過去。母になり直面した”同性年子育児”に、生かしたい当時の思い
20,599 View私は、同性年子の妹として育ちました。その関係性に悩んだ時期もあります。そんな私が同性年子の子どもを育てることに。自身の体験から、気を付けていることをご紹介します。
「私だけのものが欲しい」という思い
同じ習い事を、同じ時期に
姉と一緒だったことの一つに、習い事もあります。
小学生のころ、姉がやりたくて始めたスポーツも、一緒に通うようになりました。
その頃、両親は共働きで帰宅するのが遅く、一緒に習い事をすれば送迎がまとめてできるという利点もあったと思います。
突然、自分の意思とは関係なく始まった競技生活。
なかなか気が進まないながらも、姉と一緒に汗を流す日々。
個人競技と団体球技の2つのスポーツを経験しましたが、個人競技は私にとっては少し辛い経験でした。
というのも、年子とはいえ幼い私はまだ体が小さく、姉とは身長7センチ・体重10キロ程の差がありました。
その個人競技のスポーツは、体格も必要であり、どうしても姉にはかなわなかったのです。
父もその競技の有段者でしたので、自宅の和室を利用し、練習づけの日々。
幼い私はいつも姉に負け、悔しくて泣いてばかりいました。
思春期をむかえて
中学生になった私は、両親から買い与えてもらうものの他に、自分でお小遣いを貯めて好きな服を買うようになりました。
この頃から、姉とは服の趣味が合わないようになってきたからです。
部活に関しても、姉と比べられないよう同じ部活は避け、自分がやりたいものを選びました。
当時は姉妹として周りに見られることに対して嫌悪感があり、髪型や服装など、あえて違うものを選んでいました。
その後、両親の希望もあり、私は姉と同じ高校へと進学しました。
決して姉妹で仲が悪かったというわけではありませんでしたが、常に「〇〇の妹」として見られる自分。
そんな環境のなかで、「自分は自分!〇〇の妹ではない!」という気持ちが強くなっていたように思います。
そんな気持ちを抱えながら成長し、成人を迎え、成人式の振袖は姉のお下がりを着ました。
不満がなかったわけではありません。
それでも、その頃には「両親に負担をかけたくない」といった思いも芽生え、両親には言い出せませんでした。
自分の子どもも、同性年子に!
大人になった私は、同性年子の子どもを妊娠・出産することになりました。
年子といっても、長男が4月生まれ・次男は12月生まれのため、2学年差になるくらい月齢が離れていますが。
次男を妊娠した頃、長男は歩き始めたばかり。
どこに行くにも目が離せませんでした。
なるべくお腹の赤ちゃんに負担をかけないよう、長男は座って抱いてあげることしかできず、申し訳ない気持ちでいっぱいになったこともありました。
それでも、なんとか無事に次男を出産。
長男が次男の顔をのぞき込み、ニコニコながめている姿に、兄弟を産んでよかったと感じたのを今でも覚えています。
こうして始まった年子育児は、想像以上にドタバタ。
一日があっという間に過ぎていきました。
最初の頃、次男に与えるものはやはり長男のお下がり。
新しく揃えるものといえば、生まれた季節に関係する、新生児のカバーオールなどだけでした。
必然的に長男のものが新しく、次男にはお下がりが多くなってしまう。
きっと性別は違えど、両親も同じような気持ちだったんだろうなぁと、年子を育てているうちにだんだんと理解するようになりました。
自分の経験を、子育ての教訓に
子ども達が保育園に通うようになった頃から、翌日着る服は子ども達自身で準備するようになりました。
あるとき、次男がお下がりでない服を持ってくる回数が増えた気がしたのです。
次男に聞いてみると、「この服が好きだから」という回答。
それでも、幼い頃の自分と次男が重なって見えて
「お下がりを気にしている?」
「自分だけの物がいいと感じているのかも」
という気持ちになりました。
それからというもの、長男のものを新しく購入する際は、出来るだけ次男のものも一緒に購入するように。
新しい洋服を受け取った次男はとても喜んで、翌日は必ず保育園へ着ていきました。
小学校へ上がると、学用品のなかでも体操着などは毎年のように買い直しになり、次男にはお下がりを着てもらっていました。
次男が気にしている様子はありませんでしたが、「新しいものが欲しくなったら、言ってね」などと一言声をかけるようにしました。
また、長男が学習塾に通うと決めたときに、次男を一緒に入塾させることはしませんでした。
あくまでも、本人が「やりたい!」となるまで待つことにしたのです。
こちらも自分自身の経験から、本人の意思を尊重したいと考えたからです。
次男の真意はわかりませんし、お下がりが悪いわけではありません。
また、習い事などは一緒に始めることで切磋琢磨するなど、良い面もあるでしょう。
ただ私自身は、自分の子どものころ感じていたことを教訓に、次男の気持にも気を配りたいと思っているのです。
これからは、兄弟のくくりから離れて
子ども達の進学先を考えるにあたり、「中学校・高校は別々がいいのでは」と思うようになりました。
「〇〇の兄・弟」というくくりではなく、個人として成長して欲しいと考えたからです。
しかし、それは本人達の気持ち次第。
やはり、子ども達がどうしたいかを一番に尊重することにしました。
「親に行かされた学校」では意味がないと感じたからです。
長男が小学校6年生になったときに、自分から中学受験をしたいとの申し出があり受験することに。
結果は、合格。
1年後、次男も受験したいとの申し出がありました。
続いて受験しましたがこちらは一歩及ばず。
しかし、どちらにしても、自分たちで決断し頑張った結果ですので、良い経験になったと思っています。
別々の中学校に通うことになった、2人の息子達。
学用品や制服など、そろえるものは全て別々。
親としては金銭的に大変な事もありますが、応援していきたいと考えています。
自分自身の経験から、兄弟だからと言って同じ道ではなく、自分の道を見つけ、進んでほしいと思います。
それぞれがどんな成長を遂げるのか今から楽しみです!
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