上の子優先でやっていたのに。やきもちを焼いたり、そうじゃなかったり。子育てって、面白い。のタイトル画像
公開 2020年05月27日  

上の子優先でやっていたのに。やきもちを焼いたり、そうじゃなかったり。子育てって、面白い。

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第2子が生まれたとき、長女にはそれはそれは遠慮していたのだけど、長女のやきもちは、とどまることを知らなかった。
かと思えば、かわいいのダムが大決壊してしまった第3子の産後、誰もやきもちを焼かなかったことの不思議。


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長女が2歳2か月のときに、長男が生まれた。

ひとりがふたりになるって、どんな感じになるのか、想像もつかなかった。

やきもちって焼くんだろうか、赤ちゃん返りってするんだろうか、赤ちゃんにおっぱいをあげているときに、長女が抱っこしてとか、甘えてきたら、さて、どうするのかしら。

あれこれ想像してはみたけれど、案じたところで、生まれてみないと分からないものでもあるし、そこまで深く考えていなかった。

そして、生まれてみないと分からないし、と言いながら、過信していた部分もあった。

こんなに愛情いっぱいで育てているんだし、きっと大丈夫。かしこいかしこい長女ちゃんだから、きっときっと大丈夫。そんな気持ちもどこかにあった。確かにあった。

長女は次第に膨らむお腹に、ほほを寄せてくれたりもしたし、産院でもらった小さなキューピー人形を「(あ)かちゃん」と言って、大事に持ち歩いていた。

私からすると、完全に弟をかわいがるフラグが立っている、と思い込んでしまう。



ところが、私と長男が退院してきたその日から、長女は弟にうっすら反発をしていた。

産院で私がつけていた、名前や血液型が書かれたリストバンドのようなものを、長女が欲しがったのであげると、それを弟の顔に無言でぎゅうと押し付けていた。

「あれ、なんか怒ってる??」

と思わないでもなかった。

けれど、その時の私は、そこそこの産後ハイでもあったし、都合よくそれを、ほほえましいファーストコンタクトとして、嬉々として動画に収めていた。

今、その動画をみると、長女の横顔の険しさが、すべてを物語っているよね、とはっきり思うのだけど。


弟が着ている肌着は自分も着たいし、弟が入っているクーハンにだって、入りたい。

そのくらいかまわないよ、と寛容に受け止めて、小さすぎる肌着を着せて、クーハンにも入れた。

けれど、そのうちおっぱいも飲みたいし、抱っこ紐にも入りたい、長女の要求はどんどん膨らんで、どれだけそれを満たしてあげようとも、彼女が満たされることはなく、弟が生後半年を迎えるころには、目を離したすきに弟の髪の毛を引っ張るやら、上に乗るやら、耳元で叫ぶやら、暴挙で溢れるようになった。

あああ、あの、愛くるしい、子うさぎみたいだった長女は、いったいどこへ行ってしまったんだろう、といくらでも気が遠くなった。

長女の前で、長男を愛でるなんて、想像するだけでおそろしくて、できなかった。


里帰り出産中、実家の母や、その友人たちが口をそろえて、「とにかく上の子優先で」と言っていた。

なので、当然そうするものだと思っていた私は、ひたすら長女を優先して、赤ちゃんの存在は、授乳とおむつ替えくらいと割り切って、なるべく今まで通り、長女に接していた。

だのに、結果はこう。あれ。思ってたんと違う。だいぶ違う。



長女の弟嫌いはその後、数年に渡ってゆるゆると、横ばいをたどり続け、長女には長く手を焼いた。

そして、あれよあれよという間に、第3子(次女)が誕生する。

この時の私の心配を、ご想像いただけるだろうか。

もし、長男が次女にやきもちを焼いたら、どうしたら。

さらに、長女が次女にまで、やきもちをやいたら、どうしたら。

今度こそ抜かりなく、彼らを最優先に、君らこそ我らが光、私の宝、と思わせねばなるまいな、と意気込んでいた。

のだけど、産まれてみたら、次女のかわいさがとんでもない。

誤解のないように書いておくと、もちろん、長女も長男も最高にかわいい。

それまでも夫と「かわいいという言葉の中には収まりきらない。新しい単語が必要なレベル」と言い合っていたほど、ふたりとも愛らしくてたまらなかった。

というのに、さらなる新境地の扉を開いてしまったかのようなかわいさを、次女ははらんでいた。

かわいいのだ。めためたにかわいい。常軌を逸しているレベルでかわいい。

「3人目は孫よ」なんて妊娠中によく言われたけれど、孫を育てたこともないのに何を言うのか、と思われそうなのだけど、やはり第3子は限りなく孫だった。



長女と長男の前では、決して公にするまいと思っていたのだけれど、こらえることができないのだ。なにを?かわいいと叫ぶのを。

なるべく、落ち着いた声音で、「かわいいね」と言うように努めてはいたのだけれど、喉の奥からせりあがってくる叫びを、抑えることができない。

抑えようとすると、呼吸も忘れてしまったのかと思うほど苦しくて、思わず叫んでしまう。

「かわいい」と叫び、手を鳴らし、次女に捧げる歌(自作)を大声(かなりの)で歌ってしまう。

長女と長男がやきもちを焼いたらどうしよう、と不安になる理性を、吹き飛ばすほどのかわいさ。


これはきっと彼らにとってよくないよなぁ、はっきりとは言わないけどやきもちを焼いているのでは、そのうち誰かしらが暴挙に出るのでは、と勝手な板挟みに苦しんでいたある日、いつものように辛抱が限界に達してまた、次女に捧げるいつもの歌(自作)を歌ってしまった。


ただ、いつもと何かが違う。

長女と長男が、満面の笑みで一緒に歌っていた。

正直言って、単純なのに珍妙な歌だ。

お外で絶対に、誰にも聞かれたくないと思うくらい、理性のかけらもない。

その、ずいぶんとアレな歌を、長女と長男が、それはそれは楽しそうに歌っていたのだった。

次女は「みんなのかわいい次女」だったらしい。



きっと各々の性格とか、その時のタイミングとか、いろんなことが関係しているんだと思う。

これは、なにがよくてなにが悪かったかという、ためになるお話じゃぜんぜんない。

あえて言うなら、なにがどう作用するかなんて、結果をみるまでわかんないよね、ということなのかもしれない。

もちろん、毎日みたいにつまらない喧嘩をしたり、末っ子が誰かの心ないひと言に泣くこともあるし、それを見て「いい加減にしなさい!!」と言うのも日常だ。

だけれど、三人が睦まじい時間が、やっぱり確かにあって、次女は今日も、長女に「かわいいいっ」と叫びながら抱きつかれて、長男に「じゃあ、にーにと一緒にこれであそぼ?」と甘い声で誘われている。

三人一緒に、おうちごっこをしている姿なんて、眼福以外のなんでもない。

好きで、きょうだいに産まれたわけでもないのに、仲良くしなさいなんて、よくよく考えたら押し付けがましいことなのかもしれない。

だけど、長女が、爪切りを振りかざして、長男に馬乗りになっていたあの日の残像がよぎると、やっぱり今が尊くて、つい連写してしまうのは、ほとんど反射または、必然だったりもして。


※ この記事は2024年09月27日に再公開された記事です。

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