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公開 2015年05月09日  

《Vol.2 為末大氏》「いつやめてもいいよ」という母の言葉で、いつも自分の気持ちを再確認できました

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今をときめく「気になるあの人」が、どのような環境で育ち、どのように親が関わったことによってその個性が磨かれたのでしょうか。その『原石の磨き方』を明らかにしていく当インタビュー特集。第2回目は、スポーツ、社会、教育、研究にと幅広くご活躍されている、為末大さんにお話しを伺いました。


シャーロックホームズやロビンソンクルーソーを愛読

僕の家の中には絵本が結構ありました。小さい時から親はよく読み聞かせをしてくれたし、本を読むことの多い子でした。



好きだった本は、ロビンソンクルーソーやシャーロックホームズ。ロビンソンクルーソーは、冒険心を刺激してくれたし、ホームズはスーツと相手の仕草から相手の職業を読み取るのがすごい! と思っていました。



父が新聞社に勤めていることもあり新聞記者になるつもりだったのに、まさかこんなにずっと陸上を続けるとは、思いませんでした(笑)。





4年生のときには「人間」という題で作文を書いたんです。



「原爆を落とすのも落とされるのも人間で、そして人間に違いがないというのは、一体どこで私たちは、罪を犯す側と犯される側に分かれるのだろうか」といった内容の作文。ちょっと深く考え込むタイプの子どもだったんでしょうね。

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誰よりも早く走れて楽しくてたまらない

陸上を始めたきっかけは8歳の時、3つ上の姉がはいった地域の陸上クラブに自分も入ったことです。



小学校のころは、体も大きく足が早かったから走るのがただ楽しかった。

中学生くらいになると、そんなに明るいばかりではない。もっと上に行ったらどんなことがあるんだろう、日本一になってみたいという気持ちになりました。



なれっこないという気持ちより、もしかしてなれるかもというのがだんだん強くなってきて、次第に日本一を目指すようになり、ついに全日本中学校選手権で優勝しました。

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努力が報われるとは限らない

ところが高校生になったころ、体の成長が止まってしまった。



一生懸命やっているんだけど、結果がでない。急に成長が止まるというのは、周りから見るとサボり始めたように見える。実際にそういうことを周りに言われたりしました。



一生懸命やっても結果が出るとは限らないということを、僕はこのころ悟ったのです。



自分に注目していた世間が、ガラリとそっぽを向くという経験も味わいました。

100mでは勝負はできないことを悟った僕は、400mハードルに転向、400mハードルならトップが狙えると思ったからです。

「いつやめてもいいんだよ」と母は言った

僕の母は、ごく普通の母親です。



ガーデニングなど、やり始めたら夢中になってやっているみたいなところがある。自分の人生に一生懸命なんです。だから僕の人生に対していろいろと働きかけようとすることはなかったですね。



10代の早い時期に日本一になり、その後結果が出なくて憔悴していた僕に対し、母は「陸上なんていつやめてもいい」と言っていたんです(笑)。



「やめてもいいよ」と母に言われると「そうか、別に陸上がなくても死ぬわけじゃないし」と思うことができた。



さらに「じゃあなぜ苦労してまで自分はやっているんだろう」と改めて自分に問うてみる。「自分は陸上が好きだから、自分がやりたいからやっているんだ」と再確認することができたんです。





僕の周りの人達はみんな「オリンピックだ」「世界レベルだ」と騒いでいて「もう君一人の意見で人生決められないよ」という雰囲気になってくる中、ひとりでも「いつやめてもいいよ」と言ってくれる人がいるのはとてもありがたかった。



他の家族も僕に過度な期待は持たないでくれて、いつも「へー。そんなことやりたいんだ」くらいの対応で、楽でしたね(笑)。

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なぜやるのか。徹底的に自分に問う

その後の現役時代、僕は何度も怪我などで戦線離脱しています。その度に、母に言われたころのように「なぜ陸上をしているのか」とか「本当は何がしたいのか」と深く考えて、そのうちに怪我が治って復帰するということが何度かありました。



定期的に内省の時間を取れたことが、現役時代が長持ちした一番の要因のような気がします。「自分がやりたいからやるのだ」と常に動機が自分の側にあるということはとても大切なことなんです。



「やらなくてはいけない」とか「コーチが言うからやる」という動機でやっている選手もいます。それは、3~4年なら持ちますが、大体25歳までには選手としては消えていきます。精神的にもたないからです。



自分がやりたいからやってきたと言い切れる選手は、30過ぎても現役を続けられているような気がします。

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大切なことは「自分はやれると思うこと」と「自分でスタートを切ること」

僕は今、「為末大学」という教室で、子どもたちにハードルやかけっこを教えています。かけっこそのものが人生にプラスになることはほとんどありません。職業として成り立つとも考えにくい。



一番大切なのは、かけっこを通じてほかのことにも応用可能な「何か」を学ぶということです。それは何か。



一番大切なことは「自分はやれる」と自信を持つことです。

もう一つは「自分でスタートを切る」ことです。



それだけ?そう、それだけです。

この二つが大事なことなんです。



自分がやりたいことをやる。挑戦したいからやる。

とにかく自分の側にモチベーションとか動機、意思決定があって、それをやり遂げられるという自信があるかどうかが、人生には非常に大事だというのが僕の価値観です。

子ども自身にスタートを切らせる

ハードルは、初めてのスタート前は気持ちがひるみます。こちらから背中を押したり脅したりして、スタートを切らせることはできる。ある程度、ハードルを上手にすることもできる。でもその子は一回も自分で挑戦をしたという体感を得ないで終わります。それでは意味がない。



だから子どもたちが自分でスタートを切るまで、僕は一切声がけなどはしないようにしています。

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挑戦した経験があれば人生を切り開いていける

僕のところに来ても、ハードルが怖いからやらないという子はそのまま放っておきます。一度も飛ばないでその日を終わる子もいる。でも、何度か来るうちに、飛ぶ。

その時には、大絶賛をします。



「君は君の意思でスタートを切ったんだ。それは本当にすばらしいことなんだ」とね。



その時の子どもたちの誇らしい顔がすべてなんです。



その時の誇らしい実感を知ることがあれば人生を切り開いていけるんじゃないか。そのくらいその瞬間を大切に思っています。

それこそ僕が伝えたいと思っていることです。

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子育てはギャンブル。悪いことだけ叱って、あとは言わない

僕も一児の親となりました。今思うことは、子育てはギャンブルだということ。思うようにならない。本人のなりたいようにしかならない。



してはいけないこと、例えば人をいじめるなとか、嘘をつくなとかは、親の価値観として「してはいけない!」と押し付けていいと思う。



一方で「こんなふうになって欲しい」ということを、親は言いがちですが、それはまあコントロールはできないんじゃないでしょうか。ほんの少しは影響を与えられても、それ以上は難しい気がします。



あとは、その子のエネルギーが、間違ったところにいかないよう信じることも大事じゃないかな。



今思えば、そういうことはすべて自分の親に教わったのだと思います。

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【プロフィール】

1978年広島生まれ。

中学3年生で全日本中学校選手権100m優勝、同じ年に100m200m400m走り幅跳びで中学ランキング1位となる。

その後400mハードルに転向、2001年、2005年に世界大会で銅メダルを獲得。シドニー。アテネ、北京オリンピックに出場。2012年引退。著書「諦める力」「走りながら考える」「走る哲学」など多数。





(取材・文:宗像陽子 / 写真:平林直己)

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