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公開 2020年06月10日  

自分が倒れるまで気付かなかった。「できる」ことと同じくらい「できない」ことを、認める大切さに。

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ぶっ倒れてからというもの、ちゃんとすることと、同じ重さでちゃんとしないことも大事にしてる。


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「ちゃんとしたお母さん」を手放すのに、うんと時間がかかってしまった。


長女が産まれたとき、私は「ちゃんとしたお母さん」になりたかった。

ちゃんと授乳をして、ちゃんと寝かしつけをして、ちゃんと離乳食を作って、ちゃんと遊ばせて、ちゃんとおむつを外せるお母さんになるのだと、思っていた。

いったいなんの呪いなのか、当時の私はそうするのが、当たり前のことだと思い込んでいた。

背伸びだとか、虚栄とかそんなたいそうなものでもなく、学校の宿題は提出するのが当たり前なのと同じくらいに、子が生まれたら出生届を出すのが当たり前なのと同じくらいに、そうするべきだし、そうするものだと思っていたのだ。


出産を終えれば助産師さんが、検診や予防接種に通う頃になれば小児科の先生が、支援センターに行くようになれば、支援センターの先生が、みんながその時々で、「こうするといい」何かを差し出してくれる。

私は、そのすべてをご丁寧にきちんと受け取って、それを子どもに反映させようと一生懸命だった。

産院や、支援センターでもらう冊子、なんならいっそ母子手帳まで、全部を舐めるように読んで、参考にした。

だって、初めての子育ては、塩梅もさじ加減も、なにもかもがさっぱりわからないことだらけだ。

答を探すより、やり方がなにひとつわからない。

ショッピングモールの、助産師相談というものに足を運んだこともあるし、フリーダイヤルで助産師さんに質問ができる、というものを利用したこともある。

今思うと、あらゆる場所で教えを乞うていた。

そして、なにかしらの返答をもらえると安心して、またそれを頼りに子育てをする、そんな調子だった。



間違っていないはず、そのことが孤独な育児を支えていたから、それもあながち悪いことだった、とは思っていない。

あの時は、そうすることで不安を抱えずに、健やかでいられると思ったのだし、実際その通りだった。

根が心配性だから、ひとつの不安が。100の心配を呼んでくる。

不安は、小さいうちに摘み取るしかなかった。


長女を産んだあの当時、子育てに関する発信って今に比べると、とても少なくて、そして同時に、子どもを産んだ芸能人やモデルさんが「キラキラママ」と呼ばれて、ちらほらとSNSに登場し始めた頃だった。

そして、彼らが、なにかちょっとした不備をブログに書けば、あっという間に炎上する、そんな時代でもあった。

今思うと信じられないのだけど、たった1歳か2歳の子が、机の下でイチゴを食べている写真をアップするだけで、「お行儀が悪いと思います」とか、「今はよくてもそのうち…云々」とか、簡単に炎上していたのだ。

そして、後日、謝罪するという面倒な構図が、そこかしこで起こっていた。


そんな様子を見ていると、インフルエンサーでも、有名人でもないのに、いつどこで誰が見ていて、矢を放ってくるかわからない、そんな気持ちにさせられたりもした。



そのうち2人目が産まれると、生活の難易度はぐんと上がった。

赤ちゃんが泣けば、上の子の遊びに付き合ってあげられない。

食事の時間がずれ込むことだって、寝る時間が遅くなることだってあった。

食事が簡素になったり、寝る前の絵本を読んであげられなかったり、私が「ちゃんとしたお母さん」になるために、こなさなければいけないあらゆるタスクが、ぐずぐずに崩れていく。

ちゃんと子どもを育てられていないような気がして、自己嫌悪が自分の中に溢れかえっていた。

「できない」気持ちを受け止めきれずに、しぶとく「できる」自分にしがみついていた。

長女はイヤイヤ期、息子は離乳食、今思うと、この時期が一番むずかしくて、記憶がほとんどない。

「だいじょうぶ、できてる」と何度も自分を励まして慰めて、必死に生きているうちに、長女は幼稚園に入園して、じきに3人目を妊娠した。



3人目を、無事出産して、1歳を過ぎた夏だった。

はっきりと、倒れてしまったのだ。

布団から起き上がることができなくなって、食事の支度も洗濯も、なんにもできなくなった。

そのうち食べることもできなくなって、どうにかして病院へ行ったら、受付で診察券を出すと同時に、過呼吸で倒れてしまった。

ベッドに寝かされて天井を見ながら、どこがいったい悪いんだろう、と不安に駆られた。

こんなに体調が悪いなんて、とんでもない病気なのかもしれない、と思った。

けれど、医者から告げられたのは、思いもよらない言葉だった。


「お母さん、休もう」


そう言って、メモの切れ端に電話番号を書いて、私の手に握らせた。

託児所の電話番号だった。

先生は、体と心が密接に関係していること、今の体の不調は断定できないけれど、おそらく心の問題が関係していること、このままでは悪くなることはあっても、よくはならないないこと、を丁寧に説明してくれた。

大きな病院を紹介されて、あちこち検査をするんだろう、その間子どもたちはどうしよう、思考がぐるぐる巡っていた私は、あっけにとられた。

けれど、もしそうなったら少し休める、思わずそう思ったのもまた事実だった。

紹介された託児所を利用し始めて数日たったころ、自分でも驚くほど体が軽くなっていた。

少しずつ食事がとれるようになって、力が湧いてくるのがわかった。

なんだか、目の前がさあっと開ける心地だった。

その日一日、子どもたちの責任を手放せることが、こんなに自分を解放するとは思わなかった。

今思うと、私は長女を妊娠してからというもの、お腹にも、目の前にも、子どもがいない生活を、もうずっとしていなかったのだ。

託児所にお世話になって、およそ6年ぶりくらいに「自分ひとり」を経験した、ということになる。

そこを境に、自分ができないことから目を背けることを、やめることにした。

だって、できないんだから。



長女を産んでから、あっという間に8年が経って、子育てを取り巻く環境は大きく変わってきているな、と感じている。

Twitterで「お弁当は、心を込めて唐揚げをチンします」と書いて、何万イイネがつく時代だ。最高すぎる。

私の目には、彼らがほとんどジャンヌダルクのようにすら、映っている。

私だって、よくよく考えたら、子どもを産む前の20数年の人生を振り返って、ちゃんとしていた時期なんて、全然なかったのだ。

朝は弱くて遅刻ばかりしていたし、宿題を忘れたことなんて、数えきれない。

OLをしていたころなんて、何度プリンターを詰まらせたっけ。

なにをいきなり母親になったからって、ちゃんとしようとしていたんだろう、と正気に戻るまでに、長い時間がかかってしまった。

できないことは「できない」と受け止めることが、びっくりするほど難しかったらしい。


もちろん、必死に足掻いて「ちゃんとしたお母さん」になろうとした自分も、とびきり愛おしいし、真正面から褒めてあげたいけれど、今となっては「できない」も、同じ重さで肯定していく所存。


できないもできるも、用法容量をまちがえずに適切に使いたいな、という教訓のようなそうでないような。


※ この記事は2024年11月15日に再公開された記事です。

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