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公開 2020年06月24日  

お風呂に入ることが、なぜこんなにも難儀になってしまったのだ。

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お風呂って、めっちゃ面倒くさくないですか。

私は、その存在がもう面倒だと思うくらいには、面倒です。


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お風呂に入るのが、難しすぎる。


ゆっくりお風呂に入るなんて、もう何年していないだろう。

お風呂がリラックスタイムだったことなんて、今や昔のおとぎ話だ。


夕方、疲れた3人を風呂にいざなうのが、もう面倒だ。

都合よく、「お庭でズボンが濡れちゃった」とか、「ころんでお膝が汚れちゃった」とか、風呂場に直行したくなる理由がある日は、ラッキーデー。

夕方に限っては、いっそお漏らしさえも、ラッキーシグナルになったりする。

「お風呂できれいにしようね」と言えば、すんなり服を脱いでくれる。

だけれど、毎日が、そんな都合のいい汚れにまみれているわけでもないから、帰宅した子どもたちが、うっかりテレビを見始めたりなんかしたら、もう気が重くなる。

3人ひとりひとりを、機嫌よく湯場までいざなうのが、気が遠くなるほど面倒。

準備しておいた夕飯を仕上げているうちに、お風呂に入ってもらいたいのに、みんな、とっても腰が重たい。

お味噌汁を温めながら、お風呂に入っておいで、と声をかける。

私ってそんなに声が小さいのかしらと思うほど、誰も振り向かないし、お返事もしてくれない。さみしいじゃないか。



フライパンで焼いているお魚の具合も、お味噌汁のお鍋の具合も、気にしながら、何度でも、「ほらお風呂にはいりなさい」と声をかけてかけてかけ続けて、ひとり、またひとりとお風呂へ流れていく。

最後のひとりがお風呂に入るころには、最初のひとりがびしょ濡れの髪を滴らせて、「ママー拭いてー!」と呼ぶんだから、せわしない。


私も一緒に入る、というパターンももちろんあるのだけど、それこそ大儀が過ぎる。

ひとりないし、ふたりならなんとかなる感じもあるんだけど、ママが入るなら、我も我もと全員一緒に入りに来る。まさに芋の子。

洗い場を奪い合って、ひとりずつ洗って、お風呂のおもちゃでアイスやさんごっこをして、いい加減ママも洗いたいよ、というか湯舟に一瞬だって浸かってないよ、と思っているうちに、誰かしらが「もうあがるー」とお風呂の扉を開ける。

開けた瞬間に、噴出しているシャワーが、脱衣場にびゃーって侵入するのなんて、もう何回みたかしら。


泡だらけの身体を持て余しながら、そこ、いつものそこにタオルあるでしょ!ちゃんと拭いてからお部屋に行ってね!!と声をかけたそばから、びしゃびしゃのままバスマットから脱出する誰か。いやうちの子なんだけど。

「このタオルじゃなくってぇ、ほらこれがよかったの!」

お気に入りらしいタオルを持ち上げてにっこり笑う。かわいい。かわいいけど脱衣場も、君がこれから着る予定だった下着もパジャマも、飛び火を受けて濡れてるじゃん。

いいんだ、私が着るわけじゃないんだ。



私が、必死で身体や頭を洗う後ろをすり抜けて、どんどんお風呂を終えていく子どもたち。

それぞれに、とりあえず肌着だけでも着なさいよ、と声をかけて、長女の長くて細い絡まりやすい髪の毛にトリートメントを揉みこんで、ドライヤーをあてる。

こうしないと長女の髪はすぐに絡まってしまう。

自分のドライヤーなんて、大昔に銭湯にあった頭を突っ込むタイプの、あのドライヤーような大胆さで済ませているというのにね。

というか、ほぼ自然乾燥なのにね。


長くなったけれど、こんな具合で、子どもたちと入ると、お風呂上りにどっと疲労を感じる。

今すぐお布団に直行したい気持ちが、高まりすぎる。



かといって、子どもたちが寝た後、ひとりでゆっくり入ると決めた場合、これもまたこれで厄介だ。

そもそも、寝落ちしないことが、高すぎる壁なんだけど、そのことについて書き始めると長くなるので、奇跡的に生還した前提で話を進める。


そおっとお布団を這い出して、お風呂場へ。

でもその前に、やっぱり少しのんびりしたいじゃない?ね?

けれど、気持ちと理性はお風呂に直行しているのに、脱衣場に小さくかがんで、どれどれとおもむろにスマホを開いてしまったりする。

あら、長女の新しい水筒はこれがいいんじゃないかしら。そういえば、息子のハーフパンツが破れたんだった、どれどれ。



いやいやこれではいかんよね、とお風呂場のドアを開けて、湯船のふたを開ける私の右手、の反対の手にはスマホが握られて、しつこく湯船につかったまま、ついそのままSNSだとか、通販サイトだとかを巡回してしまう。

こんなことしている場合じゃない、と胸の中ではざわざわ焦っているのに、ページをめくる手が止められない。

こんなことしている場合じゃないのに、こんなことしている場合じゃ……ええい、と、ようやく理性的な方の私が勝って、洗い場に出たら、ほら来た。

耳をすませば聞こえる、誰かの泣き声。

地の果てから「まーーーーーまーーーーー」と泣いている。

寝ぼけながら、手探りでママを探して、どうやらお布団にママがいないらしい、と悟った誰か(たいていは末っ子か真ん中長男)が、呼ぶ声。

夫が同じ部屋で安眠しているはずなんだけど、どうして双方、気が付かないんだろう。夫が起きたらいいと思うし、子どもたちもパパがいるから、いいじゃないか。


ぐずぐずお風呂に入らなかったり、頭を洗わなかったりした私が、もちろんいけないんだけど、「ちくしょう」と、ほんの数ミリだけ思ったりする。

とりあえず、バスタオルを身体にぐるんと巻いて、二階の寝室に向かって駆け上がる。

泣いている子が末っ子なら、トントンをして、長男なら私の二の腕を握らせて、二回目のおやすみなさい。

すっかり冷えた体で、お風呂場に舞い戻って、さっきまでの自堕落な自分を恥じながら洗う身体は、なんだかひと回り小さい。

しょんぼりと、お風呂場を後にする。

こんな具合だから、夜中のお風呂は、焦りと隣り合わせな上に、後味が悪い。



だいたい、私のお風呂はこんな具合にしかならないんだから、お風呂のハードルが上がるばかりだ。

独身の頃、あんなにお風呂が大好きだったのに、もはや、「お風呂=めんどい」としか思っていない。

なんならいっそ、服を脱ぐことすら面倒くさい。

日本人は、いったいいつから、毎日お風呂に入る文化が根付いたんだろう。

ここがケニアの砂漠の真ん中だったら、毎日こんなに身体を清めなければと、思うはずなんてないのに、すべての面倒はこの極東の島国で生まれたことによる、副産物なのでは。

面倒が高まりすぎて、気持ちがどんどん、はるかな方へ向かっていく。

そんなことを思う暇があるなら、さっさとお風呂に入ればいいのにね。


※ この記事は2024年11月22日に再公開された記事です。

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