「現代の親」をとりまく社会環境はまさに変革の過渡期。
仕事にもとめることや育児に向き合う姿勢も変化する現代において、親たちは人生の中の大きな存在である「働く」をどのように見つめているのか。
決して特別ではない等身大の日々を生きる方に、人生の分岐点となった出来事を語っていただく『あの日の選択』。
第2回はキャリアコンサルタントの仕事に携わる赤谷麻愛さん(39歳)にお話を伺います。
出産前は企業のマーケティング部門で忙しく働いていましたが、長男(小3)の出産直後に30歳で「リウマチ」を発症。
持病を抱えながらもフルタイムで復帰し、仕事で成果をあげるため奮闘。入社時の夢を叶えることができました。
そんな中、長時間労働が良しとされる社会への違和感や、体力的な限界も感じたという赤谷さん。
2人目の長女(現在4歳)育休復帰後に36歳で退職を決め、新たな道へ踏み出しました。
今、当時を振り返って思うことについて、お話を伺いました。
長時間労働が良しとされる社会で、子育てしながら働くこと
16,470 View小学3年生と4歳、2児の母である赤谷さん。第一子を出産した直後にリウマチを発症し、その後に職場復帰。必死になって働く中で、入社時の夢を叶えるも、どこかで無理をしていると気づいたといいます。その後、赤谷さんが選んだのは…
憧れのあの人の元で働きたい
―― 新卒の入社時には、「憧れの存在」がいたと聞きました。
はい、そうなんです。
就職活動をしていた頃、とある雑誌の記事で、この人みたいになりたい!という女性を見つけました。
マーケティングの第一人者として企業で重要なポジションにつき、子どもを産んで働いているというのが素敵だなと憧れて、ぜひ彼女の元で働いてみたいと思いました。
彼女が勤める企業の市場調査室に入るぞ!と、目標を設定して入社し、マーケティングリサーチの仕事にも就くことができました。
入社した企業は、ダイバーシティや女性活躍を割と早く打ち出していました。
なので、ここなら女性でも活躍できるんだろうなと漠然と思っていました。
仕事が一番のっている時に出産
―― 入社から子どもを産むまでの、お仕事の状況は?
夫は学生時代の同級生で社会人になってからもお付合いを続け、28歳で結婚しました。
会社の組織の中でこうすれば仕事がうまく行くんだ!と30歳手前ぐらいで、すごくわかった瞬間があって。
仕事が面白くなってきて、海外とのやりとりもあったので、まさに24時間働いていました。
でも、子どもは欲しいと思っていて、自然にまかせ妊娠したときが産み時だと思っていました。
そして妊娠したのが30歳。
妊娠中の経過は順調すぎるという感じで、バリバリ働いていましたね。
でも、産後に身体がおかしくなってしまったんです。
産後にリウマチにかかり、寝たきりに
―― 産後に何が起こったんですか?
最初は授乳で寝不足なのかな?腱鞘炎?くらいに思っていました。
それにしては、体中が痛く、動けない…というようなひどい状況になっていき、「関節」「痛い」で検索してみたら、「リウマチ」が出てきて、あぁこれだなとすぐに分かりました。
リウマチは体中の関節が炎症を起こす病気です。
赤ちゃんも抱っこどころじゃなく、1ヶ月健診にも行くのがやっとでした。
病気になったことや、とにかく痛いこともショックでしたが、調べれば調べるほど、30代の女性がなりやすいということが書いてあり、そういうことを全く知らなかった自分にもすごくショックでした。
これまでマーケティングもやっていたし、教養みたいなところも含めて情報を集めて知ってるという自負があったんです。
それなのに健康という一番大事なことについて何も知らなかった自分のことも、こういう事を誰からもどこからも教わらなかったということもショックでした。
本当にひどい時は、立てないし歩けない。
少し回復して保健所のイベントに行くも、皆と同じように一緒にべたずわりもできない。
薬の影響もあり、完全ミルクだったので、母乳の話にもついていけず置いてけぼり。
じっと痛みに耐えることしかできなくて、泣けました。
健康じゃないと、本当に生きていけない。
働く事も出来ない。
ベースがゆさぶれたことで、健康の意味を改めて考え直して…。
それが今の原体験になっている気がします。
―― そのあと、フルタイムで復帰されたんですね。
幸い早期に治療ができ、薬がきいたのもあって、けっこう元気な状態にもっていけたんです。
私個人の考えですが、時短で自分らしい働き方ができるイメージが、当時はありませんでした。
私の中で、時短の働き方は、いつも夕方になるとバタバタと退出し、大変そうな印象。
それより必死になって働きたい、という気持ちがありました。
だから、まずはフルタイムで復帰して、やってみて大変だったら時短にすればいいかな…くらいな気持ちだったんです。
必死に働くと覚悟を決めた復帰面談
―― 実際、復帰してみてどうでしたか?
息子が1歳になるとともに復職しました。
復職前は、子どもがいて、しかも病気まであると言ったら、仕事を与えられないのではないかと葛藤していました。
悩んだ末に復職面談で、上司に病気のことを打ち明けることに。
「一日の私の様子はこんなかんじで、病気もある。でも、仕事はしたいから、仕事をふるのをセーブはしないでください。」と伝えました。
結果、ほとんど病気に対しての反応はなく、「こちらも、セーブとか配慮とかしないから、なんかあったら言ってちょうだい。」という風に言ってもらって。
そこで、お互い覚悟ができましたね。
―― 覚悟を決めて、働いてみてどうでしたか?
今でこそ病気との付き合い方も覚えましたが、当時は、自分がここまでやったら体調悪くなるとかわからなくて。
風邪を引くと免疫抑制の薬のせいか、1ヶ月くらい長引くんです。
風邪が悪化して、副鼻腔炎になることもよくありました。
当時は、病院の指導で体調記録をつけていたんですけど、しょっちゅう風邪をひいていましたね。
でも、頭のどこかで、2人目が欲しいし1人目の復帰中に何かしら実績をつくりたいという気持ちもありました。
また、そういう私の気持ちをうまくのせてくれる上司だったので。
つらかったけど、どこかでエンジョイしていた自分もいました。
大変でしたが、とにかく頑張るって最初に覚悟したからやり切ろうと思っていましたね。
そして、復職して2年目に、憧れていた女性役員のアシスタントに抜擢されたんです。
――入社当時の夢が叶ったわけですね?
そうなんです!
会社に入る前から憧れていた方のそばで、ずっと働けるのは願ってもない事でした。
2歳の息子に「頑張ってるね」と言われて
――その当時の子育てで、印象に残ってることはありますか?
当時は仕事も忙しく子どもも小さくて、毎日夢中で過ぎて、記憶が断片的にしかないんです。
どうしても長時間労働になりがちでした。
息子が2歳頃でしたけど、いつものようにベッドの横で、パソコンを開いて仕事をしている私のことを見た息子が、「お母さんって、すごく頑張ってるんだね」って言ったんです。
号泣しました。
息子なりの寂しさの裏返しだったかもしれないけど、それでも頑張っていることを認めてもらえたような気がしたのかもしれません。
―― 家族の協力はどうでしたか?
リウマチは、朝、特に症状がつらいんです。
朝ごはんを作るのがつらかったので、「朝ごはん作るの無理だから、作ってほしい」とお願いし、朝食作りは夫が担当してくれたり。
私の通院の間の子どもの世話や、痛くてつらい時はおむつもミルク作りも、全て夫にお願いしていました。
病を得たことをきっかけに、早いうちから、できないことはお互い頼んでやりくりする協力体制が築けたのはよかったなと思います。
とはいっても、夫も激務だったので、復帰後は実家にも助けてもらいました。
両親にまかせすぎじゃないか…と思わなくもなかったけど、私が必死で頑張ることへの応援体制がとれていた分、もう頑張るしかない!という風にも思っていました。
刺激的な日々。でも、どこかで無理してた
――仕事でも夢がかなって、順風満帆だった?
刺激的な仕事ですごく楽しかったけど、どこかで無理をしている自分にも気づいていました。
アシスタントとして役員達を見ていると、並外れた体力があったり。
知性と能力にたけていて、私が果たしてここに何十年もいて、こういうレベルになれるのか?と思うと、頭打ち感も感じていました。
それに長時間労働は、何より体力的にきつかった。
あの時、色んな意味で会社の様々な現実を知ったのは良かったなと思います。
ここで自分はそこまでできるのかな?とか、自分のエネルギーをどこにつぎこむべきかな?と考えました。
2人目がずっと欲しいと思っていたし、産休に入ればこの無理な生活を一旦立て直せるのでは、と思うようになりました。
――2人目の妊娠で、少し落ち着いた生活ができるようになりましたか?
2人目の育休中に色々考えました。
当時、私は持病を得たこともあって、健康と生き方そのものという意味でのキャリアが大事ということもよく考えていました。
そして育休中だし勉強しようと思い、キャリアコンサルタントの資格をとりました。
育休中に私はなぜ今の会社に入って、この仕事選んだのか?と振り返ってみたんです。
すると会社でやりたいと思っていたことが、すでにもうできている事にも気づきました。
やり切ったなと思えたら不思議とすっきりして、2人目の復職の時には、薄々、会社を辞めることは決めていたんです。
2回の復帰で気づいた”我慢の連鎖”
―― 2人目の復帰の時はどうでしたか?
2人目の復帰は時短での復帰にしました。
さらに週に一度は在宅勤務をする事にしました。
1人目の復職時はフルタイム&残業もしていたので、2人目の復帰はすごくゆとりがあり、幸せ!!と思うほどでした。
今までのがむしゃらな長時間労働ではなく、限られた時間の中で成果を出す方法を考えて働くようにしたり。
当時いた部署は時短勤務者が少ない状況だったので、上司に思い切って困りごとを相談するようにしました。
相談するのは勇気がいりましたが、直接伝えることでしか上司には知り得ないことがあると気づけました。
――1人目の復帰時は、がむしゃらな長時間労働だったということですが、振り返ってみてどうですか?
1人目の復帰後の出来事で、今でもよく思い出すことがあるんです。
私がマネジメントしていたチームに、共働きで子どもがいる男性スタッフがいました。
能力も経験もある彼には、重要な仕事を担当してもらっているのに、子どもが病気、お迎え、と言って急に休んだり、早く帰ってしまうことが多発していたんです。
私は、子どもが病気であろうと、どんな時でも仕事ができるように、常に会社のパソコンを持ち歩き、いつも必死なのにどうして?と当時は思っていました。
自分が頑張れば頑張るほど、彼の姿が、お気楽に見えてしまったのです。
その様子を見た部長がある日、彼に対して言いました。
「会社はワークライフバランスとかいうけれど、でもやっぱり仕事をしてもらわないと困るんだ!」
同席していた私は内心、「そうだそうだ!」と同調していました。
そして「働く母親としては、しょっちゅう休んだり早退したりしていることをよく思わないかもしれない。」と言ってしまったんです。
そんな風に言ってしまったことを、いまはとても後悔しているんですけど。
当時を思い出すと、自分がこんなにやっているんだから、相手も同じ痛みを味わうべきと考えてしまったのかもしれません。
長時間労働はよくないと多くの会社は言っています。
でも、やはり長く働ける人の方が評価されるという実態がどこの会社にも、あるのではないでしょうか。
当時のわたしは、多分、既存の長時間労働を良しとする体制に無意識に合わせていたんだと思います。
でも合わせると、体力的にもきつかった。
そうやって自分が犠牲をはらっているから、相手に同じことを求めるということが起こってしまったのかもしれない。
だから我慢の連鎖はいけないんだということは、今すごく思ってることです。
―― 退職して今、どうですか?
2人目の復帰後、半年ほどして退職を決意しました。
退職して、自分自身の理解も深まったなと思います。
ダメだなと思うことは素直にだめと言うとか、誰かの力を借りるとか、昔よりできるようになったし、身体との付き合い方もわかってきて、うまく制御できるようになりました。
辞めた後は、育休中に知り合った女性が代表をつとめる会社に参画し、私と同じように育児と仕事のはざまで悩む女性のためのキャリアコンサルティングを行っています。
「女性が健やかに幸せに働ける社会」を実現したいと退職時に思っていたことが、ようやくパズルのピースを埋めるみたいにできるようになってきました。
こうなるまでに時間も必要で、時間が解決した所もあったかなと思います。
我慢の連鎖をたち切るために
―― "我慢の連鎖"という言葉が身に染みました。
働く女性たちの話を聞く中で感じることは、「どこかでみんな我慢している」ということです。
あくまでも私の場合ですが、フルタイムのときは、常にどこかで我慢していたので、それが子どもに対しても、「ごめん、遅くなった」「ごめん今日、お母さん仕事…」という姿勢になっていた気がします。
今は、環境を変えたことが心の余裕につながり、子どもとの関わりも以前より良い関係に変わったなと感じるようになりました。
たとえば、「病気があるから働きにくい」とか、「フルタイムだと体力がもたない」「時短で働くことで出てきた新たな悩み」などの課題を自分一人で抱えてしまっていた時は、つらいし、うまく行かない事も多かった。
でも、それを上司や周りの人に思い切って伝えることで、意外と周りの人も同じことで悩んでいたり、賛同してもらえることもよくありました。
悩みを一人で抱え込まずに周りに共有すると、皆で考えられる課題になるし、自分も楽になるという経験も沢山してきました。
そうは言っても、独りよがりになってしまうこともあるし、反省することもありますが、一人で我慢することは解決にはならないんだなと感じるようになりました。
そうやって我慢せず声をあげていくことで、子育てだけではなくて、介護をしながら働いたり、病気の治療しながら働くなど、多様な働き方を当たり前に選択できる世の中になっていくといいなと今、願っています。
赤谷麻愛
株式会社MYコンパス(https://mycompass.co.jp/)取締役・キャリアコンサルタント。キャリア講座「MYコンパス・アカデミー」の運営や、受講する女性たちのキャリアコンサルティングに従事。1980年東京都出身、2児の母。
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