小学校低学年の頃、私は泳ぐことができませんでした。
今でも覚えているのは、小学校1年生の水泳の授業のこと。
泳げる子と泳げない子でチーム分けされ、泳げない子は浅いプールで伏し浮き(壁を蹴らずにその場で浮くだけ)の練習から始まりました。
顔を水につけるのも抵抗があり、「水に浮く」という感覚も分からず、とにかく水泳の時間が憂鬱で仕方がなく……。
授業の終わりには、キラキラのボールを拾うご褒美タイムがあったのですが、私にとってはその時間さえも地獄のようでした。
結局、小学校1年生の授業では、伏し浮きがやっとというレベル。
そもそも運動全般が苦手だったので、体育の時間自体が楽しいものではなかったのですが、2年生の夏もどうにかプールの壁を蹴って「けのび」ができるようになったところで終わりました。
転機が訪れたのは、小学校3年生の夏休みでした。
泳げないことが嫌だと母に相談すると、「水泳教室に通ったら泳げるようになるかもしれない」と考えてくれたようで、短期の水泳教室に通うことになったのです。
母はこの時、「短期間で集中して学んだ方が、力がつくのでは?」と考えたそうで、毎日通うコースに参加したのですが、この采配が的中。
2週間の教室が終わる頃には、私は少しだけ水泳が楽しくなっていました。
同じタイミングで、両親の仕事の都合により転校することになったのですが、せっかく水泳のコツをつかみ始めたこともあり、転居後に週2回のスイミングスクールに通うことになりました。
そのスイミングスクールでは、小学生は1年生から6年生までが同じ時間帯で、泳ぎの習熟度別にクラス編成されていました。
当然、一番下のクラスからスタートした私。周りは1年生の子ばかりです。
体は周りよりも頭2つ分大きかった3年生の私は、1年生と一緒のクラスにいることを「恥ずかしい」と感じ、早く進級したい一心でとにかく頑張りました。
水に慣れて恐怖心がなくなると、自然と肩の力も抜けて、浮くことが容易に。
そして浮けるようになると、あれだけ苦手だった「伏し浮き」や「けのび」もなんてことなくなりました。
そこからは、壁をキックして長い距離を浮けるようになり、スイミングスクールへ行くことが楽しくなっていたのです。
週2回通うことは、私にとってはメリットだらけでした。
練習量が多いことはもちろんですが、毎月の進級テストで1回目を失敗したとしても、2回目のチャンスがある。
そして合格が続き、順調にクロールのクラスまで追いつきました。
クロールが泳げるようになったことは、私の中で大きな自信になりました。
クロールを習得するためには、“段階”があります。
水に浮くことができて、バタ足ができて、腕と肩を上手に回せて、そして呼吸をマスターしなければなりません。
そのためにはコーチの話をしっかりと聞いて、自分のできない部分、苦手な部分を軌道修正する必要がありました。
この時、「教えてもらったことをやってみると、前よりうまくいく」という小さな成功体験を積み重ね、そのおかげで泳げるようになるということを、身を持って体感していました。
また、週2回通っていたため、コーチによって異なる説明の仕方や声かけをしてもらっていたことも、2人のコーチから習うメリットだったように思います。
クロールが泳げるようになってからは、背泳ぎ、平泳ぎとマスターし、最後はバタフライまで習得しました。
あんなに水が怖くて泳げなかった自分が4泳法をマスターし、小学校6年生の学区の水泳大会では、学校の代表に選ばれるまでになりました。
あれだけ苦手だった水泳が、大好きな水泳に変わったのです。
中学でも高校でも体育は嫌いなままでしたが、唯一、水泳だけは良い成績がとれるので、自分の得意分野になりました。
泳げるようになってから思ったのは、当時の私が泳げなかったのは、「泳ぐ方法を知らなかっただけ」ということです。
小さい頃の「できないこと」というのは、実はこのように「方法を知らないだけ」ということも、往々にしてあると思います。
習い事は、その点を補ってくれると思うのです。
スイミングスクールに通い、泳ぐためのコツを知ることで、どんどん「できること」が増えたのはとても良い経験でした。
「できることが増えると、楽しいことも増える」という良いサイクルも学びました。
泳げなかった小学校3年生の夏、「泳げないから水泳は嫌い」で終わらずに挑戦してみたことは、その後の人生にも大きく影響しました。
苦手だな、嫌だな、無理かも……と思うようなことに出会った時、とりあえず「まずはやってみよう」と考える。
今の私にこの習慣がしみついているのは、スイミングスクールに通った経験のおかげだと感じています。