初めて妊娠して出産に臨む時、妊婦の感情の成分の99%位は、不安に占められている気がする。
私が初めてのお産に挑んだ11年前は大体
陣痛って自覚的に判断出来るんだろうか
ただの腹痛だと思って全然気が付かなかったらどうしよう
そして噂に聞く痛みには耐えられるのか
何か途中でとんでもないアクシデントに見舞われたら
そして何より無事我が子を産むことができるのか。
普段から健康で、かつ妊娠中に取り立ててトラブルの無かった妊婦の私でさえこう思ったのだから、色々山と谷を越えてきた妊婦さんの胸中にはもっと物凄い物が渦巻くと思う。
多分、そうですよね。
でも、あとの感情成分1%は、私に関してはこういう事だった。
「で、生まれたら子どもの顔は私に似ているのかな、それとも夫?」
それで初産としては比較的安産の範疇、陣痛24時間、分娩室入室約2時間で世界にお目見えした第1子、長男の顔面を助産師さんから
「おめでとうございます2890gの男の子ですよ」
という言葉と共に拝した時、私の口から出てきた言葉はこうだった。
「夫を産んでしまった…」
長男の顔面は一部の隙も無く夫の遺伝子が占有していた。
健康な我が子を自分の体の無事と共に神様から頂いたのだから、つまらない事で文句を言うのは筋違いというか、贅沢なのは重々わかっているけれど、私は新生児の息子の顔面を見るたび、何か腑に落ちなかった。
妊娠中のつわりとか、体調不良とか、飲酒禁止とか、貧血で満員電車通勤とか、様々の艱難辛苦を乗り越えてきて、生まれてきたのが夫が細胞分裂して生まれたかのように夫成分100%の顔なのは、いやこれは明言すると良くないのかもしれないけど、頻回の授乳とオムツ交換に疲れ果てて暗黒面に落ちつつあった新米母の内面にこんな感情を湧き上がらせた。
「なんか、つまらん…」
新生児期を経て、顔や体にフクフクと肉がついてきた長男は、日を追うごとに益々夫そっくになり、よく見ると爪の形まで夫と同じだった。
その夫は長男が誕生した当時はまだ20代、知人友人の中では割と早く子どもを持った方で、周囲で乳児が珍しいのも手伝って色々な人達が手土産持参で長男の顔を見に来てくれた。
その人達はまずベビーベッドに転がる乳児の顔面を見て
「うわ、夫君おるやん!」
大笑いしてくれて、これがもてなしのひとつになった。
素晴らしき出オチ感。
超羨ましい、私もそんな風に言われてウケたい。
笑われたい。
同じ親なのになんたる格差。
それで、この長男誕生の2年5ヶ月後、長女を出産する時に私は期待をしていた。
女児である長女はいくら何でも私に似た部分を少しは持って生まれて来てくれるだろう。
それでこの世界にお目見えした長女の、分娩直後のその顔を凝視して確認したら
「長男の生まれた時にそっくりや…」
これが少し不思議なのは、夫にそっくりな長男に似ているからと言って、長女が夫にそっくりという訳ではないという事だ。
そして更に不思議な事に長女が成長して、その面影にじわじわ現れてきたのは、私の姉、長女には伯母にあたる人で、今9歳になった長女は本気で留保抜きに私の姉に似ている。
長女は長男同様、私に全然似ていないのだ。
これは隔世遺伝とは言わないのだろうけれど、じゃあ何なのだろうか、遺伝子もちょっと遊びすぎじゃないだろうか。
そして姉は自分と長女が親子のように似ていると周りから言われる事については、素直に嬉しいと思ってくれているらしい。
それで3度目の正直、第3子・次女を産んだ際には、今度こそという気持ちがあった。
次女出産のこの時39歳だった私は、年齢の仕業なのか出血過多で軽く貧血になるし、血圧が突然跳ね上がって目の前に星は飛ぶし、お産というものは何歳で何人産んでも一大事だ。
でもやっぱり初めて我が子の顔を確認する時の(似てる?どっちに?)というあの気持ちはお産の後の大きな楽しみ。
その時も私は助産師さんにハイどうぞと次女を見せられて生まれたての新生児を凝視し、そして思った。
「長男の生まれた時にそっくりや…」
この次女は、兄である長男によく似ていてそして、夫にも似ているという顔をしていた。
この子は少し事情があって、生まれた後暫くNICU(新生児集中治療室)で育ったのだけれど、そのNICU入院中、看護師さん達にも
「パパに似てるね~」
そう言われて、その当時会社の帰り、次女の待つNICUに日参しては次女を抱いてあやしていた夫はとても嬉しかったらしい。
そして昼間毎日次女の為にNICUに通い詰めていた私は、その点だけは少し面白くなかった。
私の遺伝子、負けすぎでは。
そして今、もう直ぐ3歳になる次女は夫よりは長男にとてもよく似ている。
長男が3歳だった時代の幼稚園のお遊戯会のDVDを掘り出して来て見せてあげたら、次女は画面を見て嬉しそうに
「次女タン!」
「違うよ、これは長男君だよ」
「チガウデショ!次女タンデショ!モウ!」
この制服を着て踊っているのは自分だと言って聞かなかったし、長男本人も「これは並べると見分けが付かないのでは」と言っていた。
どれだけ似ているのか今ここでお見せできないのが本当に残念です。
その位似ていた。
なんだそれは羨ましいぞ。
ところで、知人に血縁のないお子さんを育てているご夫婦がいる。
私はそのご夫婦の事情を何も知らなかった時に、その人からお子さんの、確か幼稚園の制服が可愛いから見てというので、その子の写真を見せてもらって、写真の中の当時3歳のお子さんが可愛らしく微笑んでいる表情についてごく自然に
「~ちゃんはお父さん似かな」
という感想を知人に伝えた。
お子さんの顔と、写真を見せてくれたお母さんに当たる知人の顔かたちに共通するものがあまりなかったので。
私の言葉には何の他意も無かった。
子どもは父か母どちらかに似るものだろうと思っていたから。
でも私のその言葉への返事はとても意外なもので
「ウチは養子なんです、言ってなかったっけ?だから私にもダンナにも顔は全然似ていないの」
その時私はあまり聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がして申し訳ない気持ちになり、何となく謝ってしまったのだけれど、 知人はその事情については完全にオープンにしているそうで、その子の事はきちんとした団体のサポートのもと、産みの母に当たる人とも連絡を取って皆で育てているのだそうだ。
それを聞いた私は素直に、そういうのいいですねえ、お子さんは幸せですね、と言った。
実際とても幸せそうなご家族なので。
私のあずかり知らないところで、考えもしない何かもあるのかもしれないけれど。
それで、そのままお子さんの話になった時、知人の口から出てくるそのお子さんの、仕草と言うか言動が、とてもその知人、お母さんに似ているのですごく面白かった。
ちょっと慎重派で
大勢の人の前では大人しく
それなのにやたらと面倒見は良くて
細かい事にはこだわり抜く
だから困るのよというそれが、いちいち親切で、普段はとても穏やかなのにいざとなったら相当頼りになる知人にそっくりで、血縁が無くてもずっと育てていると外見は似ていなくても、性格とか仕草、長じて雰囲気なんかが似てくるものなのかと思ったものだった。
親子が似るというのは遺伝子の力だけではない。
それで、今11歳になった長男と、9歳の長女、そして来月3歳になる次女はそれぞれ顔面は相変わらず私に全然似ていないのだけれど、長女のちょっと猫背気味の姿勢はどこか私に似ているし、次女が興味のあるものをとっかえひっかえした挙句、部屋をどんどん散らかてしまうその落ち着きの無さは言いたくないけれど多分私由来の成分ですねそれ。
そして、思春期を前にますます夫の顔面に酷似してきて、並んで歩くと見ず知らずのおばあちゃんにさえ「ま~お父さんにそっくりね」と言われてしまう長男に
「ねえ、長男君とお母さんで似ているとこってどこだと思う」
と聞いてみたら一言
「え、性格」
そう、長男のいちいちどうでもいい事を調べては面白がって長文でそれを人にアツくプレゼンして、好きな事に熱中すると風呂も食事も忘れ、そして宿題とか提出物を割と真面目にやる癖に、いざ登校する際にうっかりそれを忘れて出かけてしまう性格は確実に私のものだ。
お母さんはそれで割と苦労したので、この件についてはあまり嬉しくない。
うそ、ちょっと嬉しい。