これは私個人のとても悪い癖だと思うのだけれど、ある物事を、体験とか実感の前に、イメージだけで
「ウン、これはこういう事だな」
と決めつけてしまう癖がある。
例えば、シベリアンハスキーは顔が怖いから確実に酷薄そうな性格をしているだろうとか、ピアノ教師という職種の人はリボンタイのブラウスを着て巻き髪で元お嬢様だとか。
でも、実際の所シベリアンハスキーは大体が能天気すぎる位可愛い性格をしていて、ウチに来て下さっているピアノの先生はいつもデニムを履いて元気な近所のお母さんだ。
そして、私の人生の中で「イメージが先行しすぎて、実際は全然違った」という現象、その最たるものは絶対
『出産とその直後にやって来る新生児』
これに尽きると思う。
テレビドラマは少し罪だと思う。
特に私が初産をした10年以上前は、出産についての描写は大体
「ウッ!」
「どうした?」
「…生まれる!」
という物で、私は陣痛を初産婦の頃は完全に「そういうもの」だと思っていた。
知らないとは恐ろしい。
痛みが来た次の瞬間が「生まれる」だったら、病院にどう運ばれるつもりだったのか、大丈夫か、しっかりしてくれ私。
長男を妊娠していた時分、私はまだ会社勤めをしていて、結構おなかがせり出してくるまで関西全域を飛び回っていた。
本来なら予備知識0で出産に挑む1人目のママなのだから、ちゃんと地域のプレママ教室であるとか、通院している産婦人科の集まりなどに出て予習をするべきだったのに
「仕事が!忙しい!」
という事と、幸運にも比較的順調な妊婦生活を送れていた事がむしろ仇になり
「陣痛って、とりあえず『ウッ』ってなって分かるもんなんやろ?」
と本気で思っていた。
あの日の30歳の私に今42歳の私が会いに行けるのならば1時間位説教すると思う。
「ちゃんと正しい知識を身に付けておけ」
そうして『テレビで観た』という解像度が荒すぎる情報だけを持って迎えた37週と1日目、私は何だか腰が痛かった。
その日、当時3歳の甥っ子がお誕生日に電車のおもちゃが欲しいというのでデパートに買い物に来ていた。
そして私は腰が尋常ではなく痛い事に気が付いた。
一緒に買い物に来ていた夫にそれを言うと
「赤ちゃんがいよいよ重たいからねえ」
とニコニコとして言い、私もそうかそうだよねと言ってそのまま買い物をして散々広いデパートの中を歩き回った。
そして今、私は言いたい
それが陣痛の起こりだ、バカめ。
陣痛というかお産の予兆というものは人によってそれぞれ、私の場合は大体毎回、腰の痛み。
でも、初産婦の私にそれは分からなかった。
可哀相にお腹の中の長男が
「あの…僕そろそろ出ますけど」
というサインを頑張って送ってくれているにも関わらず、それを無視した母である私は、帰宅して初めて微妙なお腹の張りに気が付く。
でもそれだって
…疲れているから?かな?お腹が張る?
そうやって長男渾身の
「生まれるってば!」
というサインを無視した挙句、私がようやく重い腰を上げたのは、翌日の朝の事だった。
翌朝、ようやく、この微弱だけれど定期的なお腹の張りと、軽い痛みが
「これはまさか噂の陣痛か?」
と気が付いた私はやっとその間隔を計測した。
あの時多分15分間隔。
一応出産予約をしている産婦人科に電話を入れると。
「えっと、初産婦さん?じゃあ来てください」
とお達しがあり、なんだか実感がわかないまま特に緊張もしないで、軽い気持ちで出掛けた産婦人科で、そのまま入院となり、お産用のピンクの病衣を着てとりあえず陣痛室のベッドに座ってみたものの、あまりに痛みが微妙なので
「…こんなもんなの?」
と拍子抜けしていた。
そして夫に入院したよと連絡を入れると、夫の方はもっと気が抜けていて
「そうなの?じゃあ会社が終わってから行くね!」
そう言った、おい、何時に来るつもりだ、今すぐ来い。
そしてその自分に輪をかけて呑気な夫に、ちょっと父親になる自覚が…
と説教を垂れながら私は陣痛がこんなもんならたいして痛くないやんと思っていた。
そして、今私が再び過去の私に言う。
お前は、甘い。
私の初産の所要時間は約24時間。
陣痛からその後、なかなか赤ちゃんがおりて来てくれなくて病院中を歩き回って3日間とかそういう人も中にはいると聞いているので、これはむしろ安産の範疇かもしれない。
だがしかし、痛みが徐々に強くなってくる後半、その痛みを外に向かって逃がしたいのに、時々、部屋に様子を見に来てくれる助産師さんは、陣発半日を経過してだんだん疲労の色が濃くなってきた妊婦である私を前に
「ん~まだまだ」
と言う。
それを聞いた私は、え?ならいついきみますか、明日?と思って絶望的な気持ちになったものだった。
そして、いきんでいいと言われたのは本気で翌朝だった。
その間、私は一晩中吠えて。
そして声が枯れた。
だから、よく出産の際の痛みを「鼻からスイカ」だとか古式ゆかしい言い回しがあるけれど、あれを嘘とは言わないけど、私個人は、あまり適当ではないと思う。
だってその前、陣痛がいよいよ強く、そしてその間隔が短くなり、そのどうしようもなく重たく感じるあのお尻への痛みを
「いきむな、逃がせ」
というアレが痛いんだもの。
ちゃんと説明しておいてください。
というより学習しておけ自分よ。
それを堪えに堪えて、痛い、痛くない、背中をさすれ、違うそこじゃない、喉乾いた、違うお茶じゃない水!と傍らの夫に八つ当たりに近い指示を出しまくっていざ
「ハイ、分娩室行きましょう」
と助産師さんが告げる頃には、もうなんでもいいから出します。
この腹の中で大あばれしている小さな生物を。
そんな気持ちになっていて、出産時の痛みがどうとか言っている場合ではない、とにかく吠えまくった20時間超、もう疲れた、これで終わりにしたい、もし終わらないなら、一旦休んで明日にしたい。
おおよそ感動の出産とはかけ離れた心境で迎えた私の分娩の瞬間、そして生まれた長男を胸に抱いた私の胸中に飛来したのは、こんにちは赤ちゃんとか、幸福とか、感動とか、勿論思った、思ったんですよでも
「あー終わった!お疲れ私!お疲れ長男!」
そういう気持ちで、何というか、フルマラソン完走ってこういう気持ちかしらと思った。
そして分娩の瞬間、トイレに行っていた夫もまた、ちょっとイメージと違った。
間が悪すぎか。
私が産んだ子どもは、新生児期大体ガッツだ。石松さんの方。
それも初産婦だった私は知らなかった。
赤ちゃんというものは、生まれたその日から、紙おむつのパッケージにプリントされているぷりぷりに美しい顔をしているんだと思っていたから。
冷静になるんだ自分、オマエと夫の遺伝子だぞ。
だから、分娩室で一旦別れて、きれいに体を拭われてベビー服を着て病室にやって来た長男を見て、これは今長男本人が真後ろにいるので大変書きにくいのだけど
笑った。
なんだこれは、ガッツか地蔵か、なんか思ってたんと違いませんか。
でもとても可愛い、そう、見慣れない人間にはサルとも評される新生児は結構可愛い、例えガッツでも。
それもまた予想外だった。
そして、助産師さんが、じゃあお母さんこのベビーベッドの下に必要なオムツとかありますから、お母さんオムツ替えられる?と聞かれてまず私は自分が数時間前に正式にお母さんという立場になった事が理解できていなくて辺りを見回し、自分がそう呼ばれている事に気が付いて答えた
「えっ?できません」
そう、イメージが先行しすぎていた私は、とりあえず産めばなんとかなると思い、そして母性本能とやらの存在を暗に信じていて、オムツの替え方を知らなかった。
とにかく、私があの日の私に言いたいのは、まず現場を見てこい、予習をしろ。
話はそれからだ。