長女ほど壮絶な夜泣きをしたという子を、聞いたことがない。
そのくらい、長女の夜泣きはすごかった。
生後6か月で、夜中にぐずぐずと起きるようになった長女は、落ち着いたり再開したりを繰り返して、とうとう4歳まで夜泣きをした。
3歳半健診のときに、相談がある方はこちらへ、というお部屋が設けられていて、そこで夜泣きの相談をしたときのこと。
臨床心理の先生による、なにやら発達検査のようなものを受けた後、あれこれヒアリングがあり、下された結論らしきものは「肌感覚が敏感な子」という、なんともふわっとしたものだった。
発達はいたって平均的で、これといった所見はなく、蒸れたり暑かったり、痒かったりするから泣くのでは、という話で落ち着いたらしい。
暑いとか痒いとかで、40分、長いときには80分も泣くとかそんなことあるのか、と疑問符は浮かんだけれど、あるって言われたしあるのかもしれない、そう思うしかなかった。
なんといっても、私だってまだお母さん3年生だったのだ。
肌感覚が敏感と言われても、急に肌感覚を鈍感にすることもできないし、途方に暮れた。
その後、小児針鍼というものに出会って、夜泣きは少し落ち着きを取り戻しはしたもの、やはりすっきりとした安眠を手に入れるのは難しかった。
とにかく長女はよく泣いた。
落ち着いたり、また泣いたりを繰り返しながらも、成長の力かしら、どんどん夜泣きは下火になっていって、私の気持ちもいくらか落ち着いた…のもつかの間だった。
引っ越しと、幼稚園の入園が重なった翌年の4月。
夜泣きは再開した。
長女4歳の春。
この時の絶望が、伝わるだろうか。
あの、壮絶な日々にUターンしたんだな、と慄いた。
もう終わりが見えない。
いっそ、15歳くらいまで夜泣きをするものだ、と言ってくれたほうが頑張れるというもの。
まだまだ、これは旅の始まりだと言われたほうが踏ん張りがきく。
いったん見えたゴールが遠のいたんだから、救いを失った気分だった。
これは入園その他を含んだ環境の変化が原因、と頭では分かっちゃいるんだけど、もう言葉も話せる長女が40分もわあわあと泣いている状況を、いったいどうしたらいいの、と俯いた。
抱っこをせがむので抱き上げて、それでもなお泣くので、おんぶした。
おんぶして家の中をうろうろして、時には付近を散歩した。
それでも泣き止まないので、心を無にしてただ時が過ぎるのを待った。
なぜだか知らないけれど、毎日40分または80分(40分×2)で、長女はぴたりと泣き止んで、こてんと寝ていたので、ただひたすらその時を待っていた。
情緒が不安定になっているにしたって、毎日何十分も泣かれると、時にはそれが一晩で複数回ともなると、心身がごっそり削られた。
因みに当時、私のお腹の中には末っ子がいて、元気いっぱいの長男(当時2歳)は、毎朝5時ごろに起きていた。
あの日々を、いったいどうやって生きていたんだろう。
どれだけ諭しても、押しても引いてもなにをしても、泣き止まないし、次の夜には律儀なことにやっぱり泣く。
ついには、藁にもすがるつもりで小児科で相談したんだけれど、「よほどでない限り、漢方やお薬の処方はしていなんですよ」と言われた。
今の私なら「これがよほどでないとは、到底思えないです」と、心を込めてお伝えできるのだけれど、心身が底辺まで削られているとそんなこと言えやしないのだ。
ただ、活路を失ったという事実だけがそこにあり、それは絶望にも似ていた。
もちろん、夜泣きにはこう、と言われるあらゆる手札を試したのだけど、これといった効果は感じられなかった。
夜泣き対策の本も買ったし、なんなら悪霊の存在すら疑って盛り塩だってした。
だけど長女の夜泣きは強かった。
ほとんど無敵だった。
そんな日々が2か月続いたある日、夜泣きははたと終わりを告げた。
気がついたら、長女は朝まで寝ていた。
その日、特に何をしたということもなく、ただ、終わったのだ。
そして、以降、長女は夜中に泣いたりすることなく朝を迎えるようになった。
しばらくは夜中にふと起きて、私を探す素振りを見せていたこともあったけれど、それもとうとう、小学校へ上がったころからだろうか、なくなった。
そのことに気がついたのは、つい先週のこと。
ここのところ夜中に泣くことがある末っ子、たまに深夜、「ママどこ」と、私を探す真ん中長男のコンボで、夜まとまった時間が確保できずにいた。
どうせ寝不足になるならと、早寝を決め込んで暮らしていたら、タスクがじわじわと降り積もってきたらしい。
師走に差し掛かって、いよいよこれはまずいぞ、と焦りだし、「朝まですっかり寝てくれないかなー」と思い始め、はっとした。
「あんなに泣いていた長女が、誰よりも泣いていた長女が、もうずっと朝まで寝ているではないか」。
それは、4年遅れでやってきた感動と実感。
あの夜泣きの日々、「夜泣き いつまで」と、何度検索しただろう。
そして、「2歳ごろには」、「1歳半には」の文字を見て、何度ショックを受けたかな。
もう夜泣きは終わらないんだきっと、と4歳の長女を背負って、夜空を見上げたあの日の私のもとに、舞い降りて教えてあげたい。
夜泣きはちゃんと終わるし、それはもうすぐだよ、と。
心身が悲鳴をあげる日々だったけれど、その後真ん中長男に手がかかるようになり、やがて末っ子が産まれて今に至って、つい、あの日々って驚くほど長女と濃密な時間を過ごしていたな、と思ってしまう。
寝付けないで泣いている長女を背負って、ふたりで途方に暮れたあの時間、なんて言うんだろう運命共同体みたいな、よくわからない共犯者みたいな、気分だった。
喉元をすぎたから、そんなふうに思うのかもしれないし、そんな綺麗事で済ませるには、なかなか壮絶な時間だったんだけど。
でも、もう二度と長女を背負って夜のお散歩をすることはないと改めて思うと、あの夜風の心地よさと、見上げた星が、急に輝きを増してしまうから、けっきょく私たちは綺麗ごとのオブラートに生かされているよね、と思うばかり。