長男を産んで3年程の間、特に1歳を過ぎた頃から、私はとにかくこの子が早く言葉を覚えて会話をしてくれるようにならないかなあと、そればかりを考えていた。
『言葉の発達』は幼児の成長指標のひとつで、それ以上でもそれ以下でもないものなのだけれど、それが早ければ早い程、当時の自分は育児に高評価が与えられている気持ちになった。
まだ『お母さん』を始めて日の浅い私はとても焦っていたのだと思う。
そして同時に、平日はおはようからおやすみまで物言わぬ長男と2人きりで暮らしている事に、多少ストレスを感じていたのだと思う。
幼稚園児になっても、園への行き帰りにひたすら新幹線と特急の名前を連呼するだけの長男を眺めながら
「誰でもいいから誰かと話したい」
そう思っていた。
あの頃の私はとても会話に飢えていた。
そして次に私は女の子を産んだ、長女だ。
この長女はありがたい事に割と標準的に成長してくれていた。
大人しくて穏やかで育てやすい子。
でもこの子も言葉が少し遅めだった。
それを特に気にせず「まあこんなものかしら」と思えたのは、長女が幼児語を話し始めた2歳ごろには年中児になっていた長男が、その時ですら全然会話の成立しない子だったからだ。
発語は大体新幹線、あとは擬音、そして「アレ、ソレ、コレ」の指示語のみの会話。
あの頃、私の言語能力と声帯は退化の一途を辿っていた。
たまに外で誰かと話す時は言葉が出てこなくて本気で困った。
周囲を見渡せば、自分と同じ年ごろの子どもを連れた親御さん達が、我が子と楽しそうに会話をしている姿が目に映る。
育児とは個体差の世界だ、話し始めるのが早い子もいれば遅い子もいる。
でも、そういう客観性というものを持ち合わせていなかった新人母の私は「私も少し舌足らずな幼児と楽しく会話がしたいなあ」と切に願っていた。
「羨ましいなあ、あんな風に沢山お喋りしてくれる子がウチにもいたらきっと毎日楽しいだろうな」
と、思っていた時期が私にもありました。
あの時、まだ若い(当社比)母親だった私のココロの内側を散々ざわつかせた長男は今、「イトカワとリュウグウ、地球からより遠いのはどっち」とか「サバンナモンキーって知ってる?」というトリビアクイズか謎質問ばかりしてくる少年になった。
毎日が世界ふしぎ発見。
何のことは無い、話題が新幹線から自然科学になっただけで、長男の謎の言語発達は実は性格がかなり影響していたという事だ。
そして、長女は長女で、幼児期の頃ままのんびりとした口調でゆっくりとはにかみながら可愛らしく話をする9歳児に育った。
お話自体はできるけど、どうにも言葉数が少ないような…と思った長女の言語発達の傾向もまた、性格に由るところが大きかったという事だ。
「ママ~あのねえ、今度ねえ図工のねえ~あ、明日じゃなくてね、来週までにね、クリスマスのねえ、リースを作るから~その飾りをねえ~」
その話し方、可愛いし好きなんだけどね、ほんとにごめん、結論から言ってもらっていい?お母さん忙しいから。
そう、お母さんはとても忙しい。
今月の上旬に3歳になったばかりの次女もまた、初めのひとことは他のきょうだい同様それなりに遅かった。
確か意味のある言葉が出たのは2歳の直前だった気がする。
2語文も当然遅かったし、3語文なんかが出てきたのはつい最近のことだ。
ただこの次女の最近の言語発達の猛追が凄い、何が彼女をそうさせるのか。
この次女は今、朝起きてから日が沈むまでひたすら喋り続けている。
「ママ!次女チャンガ オキタ キテキテ!」
起床したので寝床から運び出しに来いという所から
「ゴハンタベル! テレビツケテ! パンガイイノ! アトネェ、チーズトソーセージ!」
「チガウ!コレジャナイ!キイロイオサラ!」
「パパカイシャ?ジャア長男クンハ?ネンネ?オキテキテ!」
食卓の椅子に座った瞬間に次女の口から飛び出すいちいち細かい指示。
食事の環境、朝食の内容、食器の色柄の指示、あとは1人じゃ寂しいからまだ寝ている兄である長男を起こして来い。
私はこの次女と向き合っていると自分がどこかの国の王宮の召使になった気分になる。
今回初めて「よく喋る3歳児の母」になって知る言葉の力、その訴求力。
大体、3歳になりたての子どもなんて言うものは、我慢なんか全然出来ないし、説得も微妙に聞いてくれないし、交渉には一切応じない、少なくともウチの子は全員そうだ。
育児アドバイスの鉄板「根気よく言って聞かせましょう」という文言に何度白目を剥いたか分からないこの母親人生。
恐怖の3歳児に「会話できる程度の言語能力」が追加投入された時、家の中が一体どういう事になるのか、あまり想像したことが無かったけれど、今それを実感している。
スーパー賑やか。
私がテレビをつけて今日のお天気でも確認しておこうと思えば
「ダメ!アンパンマンミル!」
と言って親に映像の視聴制限をかけ、もそもそと布団から這い出し来た兄と姉の姿を見れば
「アサゴハン、タベナサーイ!」
「ハミガキシタノ?」
「ハヤクキガエナサイ!」
これを大体7時過ぎから8時前までの間に繰り返し話し続ける。
何のことは無い、母親である私の口真似なのだけど、それを甲高い幼児の声でリピートされるとかなり脳に響く。
いや、可愛いのは可愛いのだけど。
とにかく母親の私の口真似をしていっちょ前にお喋りする次女との毎日は、賑やか過ぎて本当に耳にクる。
そして次女は今日も幼児向けのアニメや歌番組を見て、そこからボキャブラリーを拾って脳内にインストールするという作業に余念がない。
その様子を見ていると、人類はこうやって言葉を獲得するものなのかと感心する。
それで最近、次女のブームになった言葉が
「オオキクナッタラナニニナル?」
というもので。
これを次女が11歳の兄と9歳の姉ににこにこと質問している様は可愛らしいし、それをちゃんと真面目に答えてやっている長男と長女は優しい。
でもどうしして人生折り返し地点にいる40過ぎのママにも聞いてくるの次女ちゃん。
そう思っても次女の質問と言うか追及から逃れるのは太陽を西から昇らせるレベルに困難なので毎回
「え~穏やかな老後を…」
などともごもご答えて次女に「なんか違う」という顔をされたりしている。
でもこれこそが、その昔
「羨ましいなあ、あんな風に沢山お喋りしてくれる子がウチにもいたらきっと毎日楽しいだろうな」と自分自身が願っていた状況で、夢かなったね自分、願ってはみるものだ。
その結果毎日はかなり騒々しいけれど。
そして、末っ子である次女が「おしゃべりしてくれる幼児」としてバージョンアップしたという事こそが、今年我が家の一番のニュースだと思う、それは言いかえると
ウチにはもう言葉を介さない小さな子が居ないという事。
末っ子で、我儘で、その我儘も一番末っ子ならつい可愛い可愛いと許容して、オムツがなかなか取れそうにないのも、まあいいじゃない次女ちゃんはまだ赤ちゃんだよと思っていたのに、これだけお喋り出来る子はもう赤ちゃんじゃないと、その事に私は最近気が付いた。
赤ちゃん期間完全終了。
育児はとても上手とは言えないが、私にとって最後の子、この末っ子次女の乳幼児の時間をもう少し密に共に過ごしていたいと思っていた私はとても勝手だけれど寂しくて
「ねえ、そんなに急いで大きくならなくていいから、もう少し赤ちゃんでいなよ」
そう次女に言ってみた、そうしたらその答えは
「イヤダ!」
そんな訳で2020年、我が家からは赤ちゃんがいなくなった。
それが今年一番大きなニュースです。