そもそも、ものを買うことに臆病なのだ。
ものがひとつ増えるということは、大きいものでも小さいものでも、大なり小なり暮らしに変化があるのだから。
私は変化に弱い。
生来の買い物無精が、とくに苦手としているのが、家電。
家電を買うのがとにかく苦手。
たいていの家電は、暮らしに変化が大きすぎる。
それがほとんど、よい方向であったとしても、変化に変わりはないのだもの。
冷蔵庫、洗濯機、あたりのどうしても必要なものに関しては、仕方がないので壊れれば買う。
量販店で、ぱっと見てなんとなくピンときたやつを買うという、大味な買い方。
機能が、とか、節電が、とか、他社との比較を、とか一切思わない。
あればいい、のだ。
あればいいので、ほんとうにどれでもいい、と思っている。
とはいえ、昨今はとっても便利な家電が続々と登場していて、魅力的ではある。
お買い物が趣味の方や、家電が好きな方からすると、語りつくせないくらい沼が深いんだろう。
空気清浄機とか、お掃除ロボットとか、低温調理器とか、電気ケトルとか、暮らしをよくする、便利でスタイリッシュな家電がたくさんある。
知ってはいるんだけど、そもそも買い物無精な上に、特に家電に苦手意識が強いので、お友達のご家庭なんかでそういったものを見ては、漠然と「未来……」と思って生きている。
最初に挙げた理由にさらに加えると、家電っていうのは家庭内の限られたコンセントの奪い合いだ。
炊飯器とか、電子レンジとか、冷蔵庫とか、ほとんどのコンセントを、そういう暮らしの中で、避けようのないものに使ってしまう。
余ったコンセントは、充電したりするのにあけておきたい。
そして、その未来な家電が、我が家に来た場合、未来家電にとって適したコンセントには、先約があるかもしれない。
そんな理由もあって、どうも気が進まなかった。
もちろん、未来家電たちは、明晰な頭脳を持ったエンジニアたちの英知の集結なわけだから、便利で暮らしをよくするもので間違いない。
私が無精で臆病なばっかりに、なかなか手を出せないだけで、それらが素晴らしいプロダクトであることは、分かり切っているのに。
ただ、私の購買意欲と、相容れないというだけ。
無理に、未来家電と折り合いをつけて、大枚をはたく必要はどこにもないので、静かに暮らしていたんだけれど、この度、それらを乗り越えて、新しい家電を迎え入れることになった。
商品名は伏せるとして、それはお料理環境を抜群に快適にする、素晴らしい調理器具。
食材を切って放り込み、スイッチを入れさえすれば、お出かけ中に一品作っておいてくれる賢い子。
子どもが大きくなるにつれて、楽になると思っていた夕飯の支度が、どんどん大変になっていくという、予測外の現実に私は直面した。
四六時中抱っこをせがまれたり、なにかをこぼしたり、お漏らしをしたりといった夕方の戦場こそ、ずいぶんなくなってきたんだけれど、今、どういうわけだか夕方家にいる時間がとっても短い。
彼らそれぞれに習い事や、お友達との約束があったりして、あちこち車で走り回っているうちに、いつのまにか日が暮れる。
なんでもう暗いんだろう、と首をひねっても、お外がまた明るくなるわけでもないので、ただ大急ぎでばんごはんの支度をするしかない。
どうして毎日こんな有様なのか、と1年以上そんな暮しをして、いよいよ重たい腰を上げた。なんとかしたい。しなければ。
物理的に時間がない中、SNSで話題になっていた、とある家電が目についた。
「これさえあれば……」
すべてを解決すると確信して、すぐさま通販サイトで注文、ぽち。
なんて便利な世の中。
結果は驚くべきものだった。
渋滞が一気に緩和されたような、長い便秘が解消したような、すっきりとした確かな感触。
勇気をもって飛び込んだ新しい家電は、確実に暮らしを整えた。
カレーだとか、煮物だとか、ちょっとした副菜だとかを、習い事の送迎の間につくっておいてくれる。すごい。
たぶんどこかで私は、時間を道具で買うのが、後ろめたかったのかもしれない。
なんていうか、時間って、神の領域みたいなイメージがあった。
人間の分際で、時間をどうこうしようとするなんて、おこがましいのでは、と思ったりもしていた。
私は少し大げさでもある。
んだけど、もう背に腹は代えられないし、実際に使ってみれば夕方の疲労感が半分くらい。
肉体を摩耗させて、神経をとがらせて、夕飯をつくることがなくなった。
だって、未来家電の中では、なにかしらが一品仕上がっているんだもの。
じたばたしないで、優雅に台所に立つ私、そうこれが本来の私。
こんなことなら、もっと早く導入するべきだった。
暮らしは確かによくなったし、コンセント問題も、知恵を絞ったらなんとかなった。
神からのお咎めも特にないし、時間の神も怒ってないんだろう。
というか、時間を有効活用できているんだし、いっそ褒められるかもしれない。
ほんとうだったら、子たちがもっと小さかったとき、長女が抱っこをせがんでいたあの夕べ、走り回る長男を追いかけてくたくたになっていたあの頃、末っ子が足元で、ボウルや野菜をしっちゃかめっちゃかにしていたあの日にこそ、未来家電のお世話になるべきだったのに。
しょうもないことを、ぐずぐず言うのをやめなさい、便利も快適も、時間を手に入れることも、すべて正義だよ、と、あの日々の私に教えてあげたい。
未来家電を手に入れるか迷っているすべての人へ、この文章が届きますように。
時間の神は怒らないし、暮らしはきっとよくなる。