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公開 2021年01月17日  

積み木のらくがきは成長のあかし。いつか卒業するその日まで<第5回投稿コンテスト NO.72>

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積み木とともに成長する息子。いつか卒業してしまうのかと思うと、ちょっぴり切なくなるのでした。



「ああ~」

床に積み上げられた積み木の山の光景を見て思わず私は溜息がでてしまう。

きょうも出すだけ出して片づけられていない。

この積み木は、確か私の両親からもらったギフトカタログで子どものためにと選んでもらったものだ。

もらってから13年以上が経過している年代物だ。

現在、中学生のムスメのおもちゃであったものが、5歳下の弟にしっかりバトンが受け継がれている。

ただ、ムスメが夢中で遊んでいた記憶……が私にはあまりない。

一方、ムスコは物心ついたころから積み木のとりことなっている。

単に積み木を高く積み上げるところから始まり、ムスコの成長とともに縦横無尽と積み木を並べては建物などに変容するのだ。

テレビ番組の影響を受けて自身でオリジナルの迷路を作るようになった。


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ドミノ倒しを取り入れるなど迷路がどんどん複雑化していった。

ムスコのオリジナル迷路にビー玉を転がし、ムスコの考えた様々なミッションをクリアし、ゴールにたどり着いた時にはさすがに感動した。

親ばかながらスマホで動画をとった。

我が家にプラレールが登場した時には、積み木は背景の建物だけではなく、トンネルとなり、車庫となり変化をしていった。

部屋を占拠する積み木を含めたおもちゃたち。

ムスコの世界観に私が一歩足を踏み入れると、みるみるうちに積み木が崩れてしまった。

その度に私はムスコから激怒される。

「こわさないで、ちゃんともとにもどして」と。私が懸命に取り組むものの修復することができない。

私は負けずに反撃をする。

「だって、これじゃあ通るのに邪魔だし、掃除ができない」と。

それに対して「掃除なんてしなくていい」とムスコ。

現在まで根本的な解決策は見つかっていない。


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ある時、パパが積み木に落書きをした。

油性ペンで模様を描いたのだ。

そんなパパの姿にムスコが怒ると思いきやムスコまでも一緒になって積み木に何やら描き始めた。

それから、ムスコは時折、積み木に絵を描くようになった。

「落書きなんて紙に書けばいいのに」「積み木として大切に使ってほしいなあ~」と私は思っていた。

けれども、こんな遊び方もあるのかと感心し、「まあいっか」と気持ちが変化した。

でもね、お願いだから使ったペン類は元の場所に片づけてほしい。

小学3年生となったムスコは、プラレールを卒業し、レゴブロックへと興味が移行している。

けれども、積み木のお供は相変わらず続いているのだ。

ムスコのおもちゃの興味が変わっていく中、積み木への興味、すなわち「積み木愛」は変わらない。

同様に変わらぬことがある。「おもちゃを出したら出しっぱなし」ということだ。

そう、片づけができないのだ。


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「ああ~」

私はいつものようにため息をつく。

きょうもまた、ほうきを片手にムスコの世界観に入るのだ。

掃除機は、大きすぎて破壊力がすさまじい。

だから、ほうきを使うと被害がないもしくは少なくて済むのだ。

ムスコよ、この母なりの配慮を理解できるのだろうか。

私は、ほこりのかぶった空間に自身の足とほうきをそっと入れ込み、ささっとほこりをとるのだが、ほぼ毎回なにがしかこわしてしまう。

なんとか体裁を整えたつもりでも、息子にすぐにばれてしまう。

ふと、何気に崩れた積み木をつまんで気がついた。

積み木に描かれている絵は、何が描かれているのか判別できないものからわかるものまで多岐にわたっている。

加えて数字や文字が描かれるようになっている。

いつのまにこんなにもたくさん絵を描いたのか。

私は積み木に描かれている絵をじっくりみたことがなかったのだ。

そして思った。

これは、まさに成長のあかしではないかと。

ムスコにいつか積み木を卒業する日が来るのだろうか?

積み木は動かされることなくそのまま埃がかぶった状態で置かれたままでいるのだろうか。

その時私は、「これもムスコの成長のあかし」と思えるのだろうか。

その日を思うとなんだか寂しくなった母であった。


(ライター:わらわら)


※ この記事は2024年10月24日に再公開された記事です。

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