それまで、一人っ子だった長男が「兄」になったのは、今から10年前の夏の事、長男は2歳5ヶ月だった。
出産直前まで。
ママのこの大きな腹には赤ちゃんが入っていて、生まれて来たら君はお兄ちゃんになるんだよ、君の妹だよと一生懸命伝えてきたのだけれど
「コダマ!ノゾミ!ハヤブシャ!」
当時の長男と言えば話す言葉がパパとママとあとは新幹線、JR、各私鉄特急車両。
周囲の同じ年の遊び友達にちらほら弟妹が生まれていても、『オニイチャン』だとか『イモウト』だとかの単語を覚える気はさらさら無かった。
あの頃、長男は古い社宅の前庭でお友達と水遊びをする事に夢中で、彼の世界は新幹線と水遊びだけだった。
そこに突然、登場した妹。
まだふにゃふにゃした新生児の長女を連れて帰った日。
私が明け方、陣痛の訪れと共に忽然と姿を消してしまった布団に顔をうずめて泣いた日から5日後。
「この世の終わりです」
そんな表情をして私の帰りを待っていたらしい長男に
「ホーラ、妹だよ」
今日からあなたはお兄ちゃん、そう言って新生児の長女を紹介したら、そこにあったのは
「何だ、この小さい生物は…」
という困惑を煮詰めた表情だった。
長男はそのふにゃふにゃとした小さな生物を前にとても微妙な表情をして小首をかしげ、まだ周囲の様子がよく見えていない新生児の長女は地蔵のような顔で虚空を見つめるばかり。
2011年の8月、私と夫そして私の実母と姉が見守る中、初めての『兄妹の邂逅』は、感動とかほのぼのという雰囲気からは遥か遠く、ほぼ未知との遭遇だった。
よく下の子が産まれると上の子が赤ちゃんがえりして大変じゃないですかと、周囲から言われていたけれど、ウチにはそういった現象は発生する事も、その気配もなかった。
だって兄になった長男がまだほぼ赤ちゃんだったから。
紙おむつの新生児サイズを何個も用意してある部屋の一角には、紙おむつのパンツタイプLサイズの山。
長男は長女が生まれた時、オムツが外れていなかった。
1つの家庭に2種類のオムツ。
これだと買い物が地味に面倒くさい。
そしてかさばる、あと何だかんだ言ってお金がかかる。
更に言うと、この頃の息子は明けても暮れてもママ、ママ、ママ。
パパもここにおりますが?と夫が寂しそうに存在を主張しても、パパと言うのは、お休みの日に一緒に電車を見に行く電車友達であり、そして食事をするときに座る安定感のある座椅子であって、ママに代わりなどおりませんと強固に主張して私の背後から決して離れない、そういう子どもだった。
そして当時の長女は
「哺乳瓶?なんですかそれは私、使いませんわ」
そんな風に哺乳瓶を断固拒否する自主的完全母乳派の赤ちゃんで、母、それはすなわちゴハンという主義主張の娘。
新生児期の授乳回数はとにかく頻回で四六時中私の体から離れてくれない。
この粘着気質でかつ目を離せない2人を一度に育てたせいで、家の中でトイレに行く時につい
「ママ、ちょっとおトイレ行ってくるからね!」
と声高に主張する癖が抜けなくて、それを今、中学1年と小学4年になった元・母ストーカー兄妹に笑われている。
「トイレなんか黙って行けばいいやん」
アンタ達がママが視界から消えると泣いて叫んで大騒ぎするからこんな習慣が身に付いたんやぞ、ママだってトイレ位黙って行きたいわ。
それで、次にもう一人産む日が来る時には、歳は3歳以上離すのがいいのではないか。
とは思わなかった、当時はもう産む気がなかったから。
長男は年より幼い所のある落ち着きのない直情型の子で、長女はのんびり屋のはにかみ屋の甘えん坊。
上がこの2人なら私には3人は手に余る。
長女は末っ子と言う事でいいかなとそう思っていた。
でも、この後私はもう一度出産し、長女は姉になる事になる。
長男も長女も乳幼児期があんなに大変だったのに、長女がやっと身の回りの事を1人で出来るようになった6歳児の頃、私はつい
「子ども達も落ち着いて来たし、あとひとり、産めないかなあ」
という想いに囚われるようになった。
これこそ生物の高度な生存戦略だというのに、その奸計に嵌った。
いいのだ。
乳児というのはプライスレスに可愛い、どちらかと言うと本能に従って生きている長男に似た直情型の性格の私にとっては。
そして本当に幸運な事に40歳の手前で恵まれた3番目、次女は12月、クリスマスの前に生まれたものの、少し持病を持っていて生後4ヶ月間をNICUと小児病棟をハシゴして入院、いざ退院という時期が丁度今頃の桜が散り始め、八重桜がほろこび始める時期だった。
その日、2人目の妹が帰宅する事をフライング気味に待ちわびていた長男は大騒ぎだった。
5時間目まで授業のある日は、大体15時丁度か、早くても14時50分頃の帰宅の筈なのに、14時半のご帰還、これは『帰りの会』をサボったに違いない、という早さで家に駆け込んで来て
「にぃにでちゅよ~」
と言って次女の傍らに張り付き、それまで静かな小児病棟で医療機器のアラーム音を子守歌に聞いて育っていた次女を存分に怯えさせた。
そして長女、この子は、長男程の熱量では無いにしても、妹は?赤ちゃんは?私も抱っこしていい?と言って妹の退院を心待ちにしていた。
けれど、妹が登場する迄の6年間『我が家の一番小さい子』として可愛がられていた長女が実際に現れた新・末っ子と対峙した時にどう思うのかは全く分からなかった。
それに、長男の時は本人が赤ちゃん過ぎて一切関係なかった「赤ちゃん返り」とやらが発生したらどうしよう、この時長女は小学生になったばかり、小学生が今更赤ちゃんに宗旨替えされても少々困る。
大丈夫なのかなあ、この子は物語の中の、ベビーベッドの中ですやすや眠る聞き分けの言い赤ちゃんしか知らない筈なんだけど。
そう思って、次女にウザ絡みする長男を眺めながら、長女の帰宅を待っていたのが丁度3年前の4月の末。
そして今、3歳になった次女への、9歳の長女の愛情の熱量は、とてもうざい、じゃなくてアツい。
お風呂は習い事の無い日なら絶対一緒。お洋服は出来たらお揃いが良い、そしてそれを着て一緒に出掛けたい。
幼稚園のクラスは何組になったの?私が年少さんの時と同じクラスになった?
まずは、君が落ち着け。
お風呂に付き合ってくれるのは助かるけど、2人とも6歳という歳の差を越えて軽く1時間は遊び倒すし、お洋服は長女の140㎝と次女の90㎝だとサイズ展開的に難しい、同じデザインの物を探すのが一苦労。
そしてクラスは残念ながら、同じクラスにはならなかった。
それでも、長女は自分のお下がりの制服を次女が着て幼稚園に行く日を、多分本人よりも楽しみにしている。
実は、今、次女は持病の治療の為に少し長い入院中なのだけれど、毎日大変だ。
勿論長女の方が。
いつ?いつ次女ちゃんは帰って来るの?元気なの?
主治医に家に来て説明してほしい位、前のめりで現状を聞いてきて、お見舞いにと自分で作った折り紙工作の山を渡される。
多分、長女にとって次女は少し年の離れた友達のようなものなのだと思う。
性格は長女がおっとりとしたマイペース、でも実のところとても頑固もの。
次女はとにかく気が強くて、癇も強くて、怒らせると手が付けられない強情もの。
おおよそ姉妹として性格の似通った所の無い2人は、何故だかとても仲良く育った。
兄になったり姉になったりと言うのは、家庭によって役割や雰囲気がそれぞれなのだろうけれど、ウチは完全にそれぞれが年の離れた友人だ、だから喧嘩もするし結託もする。
少し長い次女の不在、今日も長女は少し寂しそうだ、大丈夫、もう直ぐ帰って来るよ。