小学校へ行き始めた長男の食欲が、どえらいことになっている。
朝7時半ごろから、てくてくと学校までの長い道のりを歩いて、うんと学習をして、またてくてくと帰ってくるのだ。
そりゃあ、エネルギーの消費も、幼稚園の頃よりは多いだろう。
長男は、帰宅して宿題を済ませたら、毎日サッカーにも行く。
ほとんど任意なので、疲れていたら行かなくてもいいのだけど、サッカースクールにいる、同じ幼稚園に通っていたお友達に会えるのがどうやら嬉しいらしく、嬉々として行っている。
カロリー消費が止まらない。
まず朝食。
ごはんに、お味噌汁、ブロッコリーやミニトマトを添えて、目玉焼き。
長女(小3)と、一緒に食べ始めるのだけど、長女がまだ半分しか食べていないあたりで「目玉焼きお代わり!」の元気な声。
卵を、一食で2個も食べるっていうのは、私からするとかなり贅沢なご相談なので、今まで何度も「卵っていうのはね、一回のお食事でそう何個も食べるものじゃないんだよ」と、説いてきたんだけど、物足りなさでうつむく顔を見るのって忍びない。
もっと気の利いた副菜を、用意してあげられたらいいのかもしれないんだけど、私は壊滅的に朝が弱くて、これが精いっぱい。
となれば、もはや目玉焼き2個を想定して、最初から焼くのが得策なのだった。
もちろん、ごはんは、はなから長女の1.5倍の量を盛り付けてある。
ぺろりと朝食を平らげて元気に登校。すがすがしい。
学校でも元気にお外で遊んでいるらしく、「お昼休みなにしてたの?」と訊くとたいていが、ドッヂボールか鬼ごっこだ。
どこまでも、エネルギーの消費に余念がない。
給食も当然完食して、学童の日はおやつもお腹いっぱい頂いてくるらしい。
彼らが行っている学童では、手作りおやつを始め、おやつがたくさん出る。
最初は「そんなに食べて大丈夫かしら」と、不安になったんだけれど、夕飯もぺろりと平らげる。
先日の夕飯に、かき揚げをたくさんこしらえた。
アジフライとタルタルソースに、かき揚げと野菜のお味噌汁、あとはミニトマトかなんかが、あったかもしれない。
ほんとうは、あと一品なにか副菜を用意したかったんだけれど、子どもたちはかき揚げが大好きなので、張り切って大量に揚げたら時間が無くなってしまった。
でも、かき揚げって、いろんなお野菜が入っているし、こんなに山盛りこしらえたんだし、まあ、これでいいじゃないの、と思うことにした。
揚げ物をすると疲れるしね。
なんだけど、テーブルに揚げたてを置いた瞬間に、伸びてくる手と手と手。
ひと口食べて、無言のまま親指を上げる末っ子、「みんな取りすぎ!」と慌てる長女、「ひとり何個食べれる??!」と気がきく長男。
その様子を見て、私も、これはまずいと、慌てて自分のお皿にひとつ確保した。私の分が危うい。
かき揚げは、言わずもがな、瞬く間に消え去って、長男はもっと食べたかったとうつむいた。
読みが甘くてごめんね。でもお母さんは、ほんとうに、ほんとうにたくさん作ったと思ったんだよ。
末っ子も隣で「もうないの……」と、ひどく落胆していて、なんだかおかしな角度から罪悪感が降ってくる。
私の読みが甘かったせいで、子どもたちのお腹を満たせなかった、と反省してしまう。
突然の罪悪感を払拭すべく、冷蔵庫を開けて、納豆を発見。
「納豆が!!あります!!!」
沸く歓声。威勢よく上がる右手たち。
納豆を1パック、いや、2パック、いやいや、もうここまで来たら3パックだ。
開けて開けて開けて、混ぜて混ぜて混ぜて、それぞれがお代わりしたごはんの上に乗せてやったら、あっという間に、やはり納豆も消え失せた。
そして、恐ろしいことに長男だけはまだ「もっと何か食べたい」と、ぼやいていた。
ちなみに、長男だけは、納豆を見るや丼鉢を出してきて、こんもりとご飯を入れていた、にもかかわらず。
もう、冷蔵庫を探しても、すぐに食べられそうなものがない。
はっと気がついて、通販で買い置きしてあった、日持ちがするというパンを渡した。のだけど、なんてこと、体感では2秒。飲んだのかな。
それでも足りないと言うので、さらにもういっこ。
もう、終わりが見えない。
これ以上はもうお手上げだし、なんと言っても長男は一年生になったばかりなのだ。
慣れない朝早くの登校に疲れているだろうし、早く寝てもらわないと困る。
終わりがない彼の食欲に任せていたら、睡眠に差し障る。
とにかく長男の食欲が暴れている。
昨日も、ぶりの照り焼き、大根と人参の煮物、バンバンジーサラダ、キャベツのお味噌汁、で完結したいところにまさかのエビフライが小ぶりとは言え、18匹も投下される事態になった。
それでも「なにも食べてないみたいな感じがする」と、膨らんだお腹を見下ろして、ぽつんと呟くものだから参ってしまう。
食後、夫が仕事帰りに買ってきたドーナツを食べ、さらにふかした芋も食べ、それでもやはり、「なんでだろう(以下省略)」とお腹をさすっていた。
「もう牛乳でも飲んでなさい」と、コップを渡したら「やったー」と言って牛乳を飲んでいた。
このままでは、成長期と呼ばれる10代に差し掛かったら、いったいどうなってしまうんだろうかと、不安にすらなる。
つくってもつくっても、「足りない!」「お代わり!」と、要求があるのは親として大変な喜びでもあるし、もちろんそれは分かってはいるんだけど、調理するのはこの身ひとつなわけで、私はプロの料理人というわけでもないわけで、「もう堪忍して」と思う日もある。
私だって、椅子に座って、お腹いっぱいエビフライを食べたい。
情けない話だけれど、「ママは……!レストランじゃない!!!」と、言ったこともあるし、「もう今日はおしまいにして…」と、白旗を上げたこともある。
お腹いっぱい食べさせてあげたい気持ちは、いつだってあるんだけれど、いかんせん、私ひとりでは追いつかない日もある。
誤解のないように書いておくけれど、からだをめいっぱい動かして帰ってくる長男も、ごはんをもりもり食べる長男も、ぜんぶ愛しくてかわいい。
そんな姿を見て、思わず目が細くなるくらいには、私にも母性はある。
のだけど、それと、私の飯炊きのスキルが相容れないことは、悶着の種でもあるし、悶着はやはり避けたくもある。
そんな、幾重にも重なる空腹悶着を経て、母は強くなっていくんだろうか。
そのうち、自分でインスタントラーメンをつくれるようになったら、解決するんだろうか。
エンゲル係数の6文字が、風にたなびいて、天高く昇って行くのが見えるような気がする、春。