うすうす気がついていたけれど、末っ子 (4歳) はどうやら収集癖がある。
この夏、片手に小さなビニール袋を持った末っ子を、何度見たかしら。
お外に行けば片手に袋、そんなだった。
この夏は海によく行ったのだけど、長女 (9歳)と長男 (7歳) が、砂で遊んだり海に浸かったりしている間、末っ子がやっていたことはと言えば、貝を拾う、だった。
貝殻が、末っ子の乙女心をくすぐるのはよくわかっている。
「きれーい!」と目を輝かせて貝を拾う姿は、懸命でいじらしく、そしてかわいい。
「せっせ」という擬音語が、頭の上に浮かんでいるのが見えるような気がするほど、ほんとうにせっせと貝を拾っては、袋へ入れていた。
新しい貝を探す眼は、とても真剣だった。
とても重要ななにかを探すような視線を、砂浜に落として、慎重に歩く姿は、なんだか熟練じみていた。
当然、袋いっぱいに拾った貝は、家に持って帰ると主張する。
「持って帰る!」
小さな背中を丸めて、拾った姿を知っているから、答えはやっぱり、「うん。いいよ。」
私はやさしいお母さん。
だけれど、貝ってほんとにどうしたらいいか分からない。
庭で洗って、乾かして、終わり。ほんとうに終わり。
どうやら末っ子は、庭で干されている貝殻には、なんの感情もないらしい。
あんなに懸命に拾い集めた貝たちだというのに、なんで見向きもしないのか。
3度の海水浴を経て、我が家の庭には今、大漁の貝殻がある。
この貝どうしたらいいの。捨てていいの?捨てる……それはなにゴミ?可燃?え、これ燃える?じゃあ不燃?できれば勝手に土に還ってほしい。
あでも、縄文時代の貝さえ出土してるんだから、貝って土に還らないの?この庭の貝もいつか出土するの?海じゃないのに貝が大量に出土!令和の貝塚?!って何百年後かに誤解を招くの????
さっさと始末したらいい貝殻たちを、ぼうっと眺めながら、そんなことを思ったりしている。
貝殻はまだ、若干のエモーショナルがあるからいい。
白くてどこか可憐でもあるし。
もうひとつ、この夏末っ子が懸命に集めたものがある。
お聞きください。
セミの抜け殻。
同じスイミングスクールのお友達が、セミの抜け殻を欲しがっていたのをきっかけに、末っ子は開眼してしまった。
ある夏の午前、長女を習い事に送ったあと、近くの公園で長男と末っ子を遊ばせていた。
セミの抜け殻をひとつ、またひとつと見つけた末っ子。あの一言が飛び出した。
「ママ、袋ちょーだい」
これは、もう、袋が満杯になるまで集めますよ、という合図でもある。大変。
「今日はちょっと袋ないんだよ」
実際、その時の私はビニール袋を持っていなかったし、そう言うより仕方なかったのだ。
「そっかー」
素直な末っ子はそのまま、公園をうろうろと遊んでいた、はずだったんだけど、気がついたら両手にいっぱいの、そうセミの抜け殻。
「○○君がほしいって言ってたから、あげるんだ」
くだんの、スイミングスクールのお友達の名前を出してそう言った。
とても、まっすぐで眩しい笑顔だった。
持ちきれないほどのセミの抜け殻が、末っ子の両手から溢れそうになっている。
頭上で、幾重にもセミの声。
吹き抜ける風が汗を冷やす。
目の前には、前髪がおでこに張り付いた末っ子の笑顔。
そう、今は夏休み。夏休みだ!
「ママ、車の中見てくるわ!!」
そう言い置いて、私は車へ走ってしまった。
シチュエーションのすべてが、夏休みのど真ん中過ぎて、たまらなくて、受け入れてしまった。
セミの抜け殻を持った末っ子が、あまりに眩しすぎた。
車の中に1枚だけあったビニール袋を渡すと、嬉々として走り出す末っ子。
なぜそんなに一生懸命になれるの、と言いたくなるほど、とても真面目にセミの抜け殻を集めていた。
「セミの羽だ!!!」
それも拾うのか、とあきれていた2秒後に、「本物のセミだ!!!」と元気な声。
それはやめよう!とすかさず言ったけれど、ピュアな瞳で「なんで?」と言われたら、「ほんと、なんでだろうね」と笑うしかなかった。
エアコンのよくきいた快適なお部屋にいると、「虫さんのごはんになるんだよ」とかなんとか、それらしい言葉が浮かぶのだけど、いかんせん、夏の太陽の下ではそんな機転もきかないのだ。
公園から帰る頃には、袋にぎゅうぎゅうのセミの抜け殻、といくつかのセミの羽と、いくつかのセミの死骸。
ほくほくの笑顔で「○○君に早くあげたいね」、「きっと喜ぶね」と話す末っ子を見て、非常に複雑な胸中だった。
○○君のお母さんとはとても親しいので、「セミの抜け殻あるよ。あげるって言ってる。」とメッセージを送信したのだけど、「お気持ちだけもらっておく!!」と、きっぱりとしたお返事があった。
かくして、持ち帰られたセミの抜け殻(と、セミの羽と、セミの死骸)は、まだ我が家にある。
子たちは○○君に会ったら、この袋いっぱいのセミの抜け殻を渡すのだと、満ち足りた顔でいる。
とは言え、あちらもこんなに大量の抜け殻(と、羽と死骸)をもらうわけにもいかないだろうし、ほとぼりが冷めた頃を見て、庭にこっそり撒こうと思っている。
貝と違って、土に還るのは明白だし。
貝もセミも、大人としては面倒な部分を否定できないんだけど、夏はうんと短いし、駆け抜ける夏のスパイスだと思えば、えんやこら。
あの、秋と冬の間、毎日持ち帰ってくるどんぐりを思えば、そう、どんぐりを思えばどうってことはないはず。
そう思っていた数日後だった。
久しぶりの預かり保育で登園した末っ子が、なにかが大量に入ったビニール袋を持ち帰ってきた。
また、セミの抜け殻かしらと思っていたら甘かった。
「ほら見て!」
と、お顔をぴかぴかに膨らませた末っ子。
袋を覗いたら、小さな小さな赤ちゃんどんぐりたちが、ひしめき合っていた。
まだ夏の残像を味わっているのに、なんてこと。早すぎる。心の準備がまだなにもできていない。
袋につまったあのセミの抜け殻、庭に散らばる貝殻たちをどうしたらいいのか考えあぐねているうちに、大ボスどんぐりの収穫がもう幕を開けてしまった。
「よかったね」と声をかけると、「これをたからものにして、ずーっとだいじにするんだぁ!」と、微笑んでいた。
延々と拾われてくるあれそれとの折り合いがつかない、夏の終わりで秋の始まり。