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公開 2021年09月22日   更新 2022年09月15日

子育ての途中に「手放すもの」を、切なくて愛おしいと感じる日々。

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成長とともに卒業していく、あれそれの一方で、いつ終わるのか見えないあれそれもあって。


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子育てをしていると、ある時ふと、卒業を迎えるものがある。

例えば、授乳や調乳。例えばおむつ。例えば離乳食。


いつまで続くのかしら、と渦中にいるときは思うけれど、それらはちゃんとある日、終わりを告げる。

過ぎ去ってしまえば、急にそれらが遠くなったような気がして、すこし寂しくなったりもする。


そう分かっているから、私には「これいつまで続くの」と「でも手放してしまえばきっと寂しく思い出す」の間で、うずくまってしまうものがいくらかある。



ひとつ目が、歯の仕上げ磨き。

かかりつけの歯医者さんには、早くても小3まで、できれば小学校6年生まで、と言われている。

嘘だ……と思った。

長い。

はっきり言って長い。


小6と言ったら、産まれて12年。

そして、歯磨きって暮らしの一部でもある。

平日も祝日も、土曜だって日曜だって歯磨きはする。

そのほとんどすべての日に、親が課される仕上げ磨きというお仕事。

しかも他人の体の健康を握っているわけだから、なんというのか荷が重い。

「親の責任」という、見えないプレッシャーが見え隠れするのも厄介だ。


これ、もし我が子の歯が強靭だったら、こんなに悩まないのかもしれないけど、我が家の真ん中っこ7歳の歯がほんとうに諸刃ならぬ諸歯、なのだ。

彼は、驚くべきスピードで虫歯ができる。

ここ一年ほどは、少し落ち着いているが、3歳ごろはほんとうに一瞬で虫歯ができていた。

基本的に牛乳と水しか飲まないし、平日のおやつは時間もないので夕方の1回だけ。

それでも、ぼこぼこと次々に虫歯ができるのが、ほんとうに苦しかった。

もはや、私にできるのは歯磨きのみ、というわけで、仕上げ磨きには心を砕いてきた節が少なからずある。

長女も末っ子も比較的虫歯ができにくい、健やかな口腔内を維持しているのだけど、ならばせめてこの状態を死守したい欲が沸いてしまうので、やはり3人ぞれぞれ仕上げ磨きには心を砕いてしまう。



1日の力を搾り取られた午後8時、搾りかすになった私(または夫)は、無の心で3人分の仕上げ磨きをする。


上の子ほど歯の本数は増えるし、永久歯が増える分だけ、大きな歯も増える。つまり、年々、仕上げ磨きが大変にもなっている。

そもそも膝に転がるには「なんかでかいな?」というサイズ感でもある。小1と小3。重たいし、長い。からだが長い。




毎日、彼らのお口を覗きこみながら、早く仕上げ磨きを卒業したい、と思っている。

もう長女は小3だし、「早ければ」の時期に突入している。

なのに、どうやって卒業したらいいのかわからない。

「今日は自分でしっかり磨いて終わりにしようね」という日もあるのだけど、「仕上げ磨きして」と言われればやっぱりするし、毎日自分磨きだけというのも、なんだかそわそわしてしまう。

習慣っていったん身につくと厄介だ。

このままいくと、12歳コースになるんだろうか。

12歳になったある日突然「今日で卒業です!」と、言うんだろうか。

それとも、12歳を迎えるまでにそこはかとなく、あれ?仕上げ磨きってもうやってないね?となるんだろうか。

そこはかとなく終わらないならば、やはり12歳まで仕上げ磨きをするんだろうか。長い。



もうひとつ、これいつ終わるんだろうと思っているのが、寝る前の絵本。

長女がまだ小さい頃、私はてっきり字が読めるようになって、自分で本を読めるようになったら読み聞かせ終了、だと思っていた。

思っていたのに、今現在、文字を読める小3も小1も、寝る前に楽しく本を選んでいる。

4歳の末っ子はいいだろう。まだ自分では絵本を読めないし、なんと言っても4歳。幼児だ。幼児と絵本の読み聞かせが出会ってもなんの違和感もない。しかるべき姿。



だけど、小1の君。どころか、小3の君。

これいつまでやるん?とたびたび思う。思うけど、嬉しそうに本を選んでいるし、物心ついたときから寝る前には本を読んでいるわけで、もはやほとんど儀式だ。

もちろん寝るのが遅くなって読めない日もあるんだけど、時間に余裕があれば4歳には絵本を読むので、長女も長男もやはりなにかしらの本をナチュラルに選んでいる。

「今日はこれ!」と言って期待に満ちた眼差しで差し出される本を、今のところ突き返すすべを私は持っていない。

私自身、本を読むのは嫌いではないから、楽しくもあるのだけど、たまに「これいつまで続くんだ」と思う日だってある。



長女が小1くらいだったろうか。字が読めるようになっても、寝る前には絵本を読んでほしがる長女に対し、「いつか絵本を読まなくなるだろうし、その頃が卒業のときだろう」と思っていた。

なのに、今、私が寝る前に読んでいるのは、絵本ではない児童書のなにか。

絵本を卒業したらしい彼女に、いつの間にか、絵本ではなく児童書を読み聞かせている。

「これは自分で読むやつじゃないかな」と、柔らかに難色を示したりもしたんだけど、このひと月ほど、気がついたら私は布団の中で児童書のページをめくっている。

もちろん、1日では読み終わらないので、日々、1章または半章ずつ読んでいる。自分で読む楽しみも知っているんだから、自分で読むほうが早いとそのうち気づくだろう。

1冊読み終えるまでに「やっぱり自分で読むわ」と言い出すよね、と思っていたのに、その児童書は私の声できちんと感動のフィナーレを迎えた。

へんくつなおじいさんと少年の絆に、感動もした。


今は2冊目の児童書に入り、王様がどうなってしまうのか心配しているところ。

こうなると終わりが見えない。ほんとうに見えない。



毎日こちらの意思とは関係なく続くあれこれは、気が重い日だってあるのだけど、いつか終わると思えばなんとなくしがみついてしまったりもする。

子の成長とともに変化していくはずのいろいろは、たいてい後戻りができないのだ。


膝に寝転んで開けたお口も、乾いた喉をごまかしながら読んだあの長い1章も、手放したらきっと帰ってこない。

成長とともに触れる世界もたくさん増えるはずなのに、どうしてこうも女々しいんだろう。

面倒を持て余しながらも、どれもずるずると続けてしまう。

すぐにセンチメンタルを持ち出して、しがみついてしまうのは、私が親だからなのか、性分なのかとんとわからない。


※ この記事は2024年11月15日に再公開された記事です。

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