田舎の里山よりもすこし人の多い都会の、ベッドタウンのようなところの方が沢山どんぐりをあつめることが出来るのだなと思ったのは、長男をベビーカーに乗せずにぽこぽこと歩かせて、近所の神社や公園をお散歩できるようになった2歳くらいのころだった。
暑い夏がやっとナリを潜めて、さあこれから秋という時期、ひとたび外に飛びだしたら母の私が「ねえもう帰ろう?」と訊ねてもせかしても、こちらをちらり見る事もせず「俺は帰らんのやと」無言の拒否を背中で貫いて、2歳くらいの頃はただ側溝に石を放り込むだけの遊びを繰り返していた長男。
それに付き添うことが最高に退屈だった私は、足元にちらばる黄色と赤の落ち葉の中に小さな木の実が転がっている事に気が付いて
「おっ、長男君、こんなところにどんぐりが」
そう言うと長男はなんやそれはと振り返り
「どんごり?」
と言って私の掌の小さな木の実を手に取った。
どんぐりって意外に幼児には発音がむずかしい。
ちなみに今3歳の次女のどんぐりの発音は「どんがり」だ。
もともと凝り性の長男はその年の秋から数年『どんごり』ことどんぐり拾いに夢中になることになる。
とはいっても2歳のころの長男は、収穫の楽しみというのか、拾い集めること自体を楽しんでいたみたいで、長男の手でひとつひとつ大切に集められたどんぐりは、あまり家に持って帰ることなくまた公園の一角にうずたかく積み上げてそれを『トトロのお土産』としていた。
森から貰ったものは森の妖精にお返しする。キャッチアンドリリースだ。
それが幼稚園に入ると「今日は幼稚園の近くの公園で森の遊びをしました」という先生からのお手紙とともにビニール袋にたくさん詰め込んだ森からのお土産がやってくるようになった。
そう言えば秋の親子遠足はいつも近くの大きな緑地公園だった。
そこでもたくさん拾ってきたクヌギ、コナラ、ナラガシワ、アラカシ。
いろいろな種類のどんぐりたち。
どんぐりには沢山の種類があるんだねえ、クヌギなんてころころしていてかわいいねえ、この細長いのは食べられるんだって、あれ?なんだか穴があいているのもあるねえ、そう言って鳩の柄のクッキー缶に全部仕舞ったのがいけなかった。
穴のあいているヤツがいかに危険か知らなかったなんて、私は一体何のために自然豊かな田舎で育ったのだろうか。
でも実は本当に本気の自然のあるところほど、野生の栗とかあけびとか、どんぐり以外の植物が他にもたくさん生えているので、どんぐりばかり拾うという経験が意外に少なくて、桑の実とかそういう食べられる木の実もあったし、私は田舎育ちのワリにどんぐり経験値が低かった。
そうして、鳩の缶の中のどんぐりのことをうっすら忘れていたある日、幼稚園から毎月貰ってくる幼児雑誌に「どんぐりで工作をしよう」というページがあって、普段はあまりそういうものに興味を示さない長男が
「作りたい!」
これを是非やってみようぜと言った。
あの時の長男はたぶん年長児だったと思う。
それくらいの年ごろの子が「どんぐりに穴をあけてネックレスを作ろう」という工作課題にチャレンジするということは、親がそのどんぐりに穴をあけて紐を用意しおそばに付き添って差し上げましょうと言う事で、これはあまり大きな声ではいえないけれど
(…めんどうだな)
とは思ったものの、 材料のどんぐりは売る程あるし、今も昔も手の巧緻性に欠ける、平たく言うと不器用なこの子にはいい手先の練習になるだろうし、まあやりましょうかと、おもちゃ箱のとなりに置いておいた黄色いクッキーの缶の蓋を開けた。
たしかここにどんぐりがあったよね。
あの日あの時。
黄色い缶の蓋を無防備に開けてそれを見てしまった私の恐怖と驚きをどう言い表したらいいだろう。
詳細な記述は自粛します。
でもどんぐりを寝床にしていた小さな虫たちがこんにちはしていて、今こうやってキーボードをカチャカチャやっていてもギャー!と叫んで駆けだしたくなるあの恐ろしい記憶。
当時、ダンゴムシを心の友としていた息子は
「おう、虫か」
くらいの薄いリアクションでとても落ち着いていたけれど、3歳だった超怖がりの長女がギャーと叫んでわんわん泣き出し、母親の私も一体これをどうしたものか、とにかく缶の蓋をして、超へっぴり腰でそれをそのままベランダに放り出した。
あの時ほど夫の帰りを待ちわびた日はないと思う。
パパ助けて、早よその缶片付けて。
この手の事件はそのあとも何回か起きた。
だって虫がいるし妹が怖がるからもう持って帰らずにお外においてこようねと言い渡しているはずのどんぐりが、長男のポケット、通園カバンの底、おもちゃのトラックの荷台、そういうところに入り込んでいるのだもの、不可抗力なんだもの。
こうしてちいさなクモがお部屋にいても飛び上がって怖がる長女は、どんぐりはおろか、その当時どんぐりを入れて保管していた黄色い缶のお菓子もあまりいい顔をしなくなってしまった。
彼女は私が大好きな、鳩の形のクッキーをお土産にいただいてもあんまり喜ばない。
でもそんなこと、長男が幼稚園を卒園して小学生になって中学生になり、長女も小学4年生になって、広い公園で木の実を拾って遊ぶ年頃でもなくなった昨今は、記憶のかなたにしまい込まれてすっかり忘れて去られていた。
しかし今年うちには3年ぶり、3度目の幼稚園児がやってきた、次女3歳。
次女はまあちょっと体こそ弱いけれど、特に大人しくない、むしろその反対で「お外で遊ぼう、野山を駆けよう」という快活な気質がむしろありすぎるくらいあるタイプ、毎日靴を両手に持って玄関前で外出待機するような性格の子だ。
当然パパがお休みの日に連れて行ってもらう家から少し遠い公園で見つけたどんぐり、次女曰く『どんがり』にもそれは喜んだ。
この時代のせいもあって、ここ2年程あまりお外に出る機会に恵まれなかった次女は、どんぐり実物を見て覚える前に『どんぐりころころ』の歌を聞き覚えて、どうやら世界には『どんがり』なるものがあると知っていた。
お陰で現物を見た時にそれはもう喜んだらしい。
私は現場にいなかったので残念ながらその様子を見られなかったのだけれど。
ここにあるどんがりは全部あたしのものね!
という顔をして張り切ってドングリを拾っている次女は公園にいた人たちにもとても微笑ましく映ったのだろうなと思う、近くを散歩していたおじいちゃんが
「ホラ、じいちゃんがキレイなドングリを沢山拾ったからあげるで」
と言ってビニール袋に入ったピカピカのどんぐりを次女に手渡してくれた。
どうやら地域で子ども関係のボランティア活動をしている人で、工作用に沢山あつめていたのだとか。
おじいちゃんのご好意に次女は喜び、その日一緒に公園に出かけていた長女は小さな声で
「ヒィ」
と悲鳴をあげたそうな。
でも心配しないで長女、お母さんはちゃんと学んだ。
過去のあの黄色い缶のどんぐりの中に湧いてしまったム…シ…まあ細かいことはいいとして、とにかく同じ轍は踏まないから。
ものの本によるとどんぐりは凍らせてしまえば中のム…はお亡くなりになるらしい。
そう思っていたら知人が
「きなこさん、違うねん、そいつらは凍らせたどんぐりを解凍したら、そのまま一緒に解凍されて蘇るねん」
ということを教えてくれた。本当なんだろか。
そうだとしたら何という生命力、コールドスリープが可能とか虫だけ未来を生きているなあと感心し、凍らせるよりも汚れてもいい鍋で茹でた方が確実だと言うその人のアドバイスの通り100均でどんぐり専用のミルクパンを買って来た。
すごいアクが出るのだそうだ、実際出た。すごかった。
さあ、秋、今年はどのくらいどんぐりを茹でて干すのだろう。
うちは次女が最後の子だからこれが最後のどんぐり期だと思うと、上の2人が幼稚園児のころ、毎年毎年めんどうだなあと思っていたどんぐり拾いもちょっと楽しくて、すこし愛しいような気もする。