「そうか、夫婦って最も身近な赤の他人なんだ」〜ダメ夫だった私が日本愛妻家協会主任調査員になるまで〜
18,149 View絶滅が危惧される「愛妻家」を探し出し、調査、保護、育成する日本愛妻家協会。「良い子育ては、良い夫婦関係から」をモットーに、もっともらしくそれらしい感じのアイデアを、初回からゆるゆる発信させていただきます。なまあたたかく見守っていただけると嬉しいです。(主任調査員小菅隆太 拝)
日本愛妻家協会、と言ってみた。
「こんにちは。日本愛妻家協会、主任調査員の小菅です。」
仕事柄、様々な業界の方々、たくさんの地域の方々とお話させていただくのですが、こうしたご挨拶をさせていただくと、反応は決まってこんな感じです。
「素晴らしいですね!」
女性から称賛されます。ありがたいことです。
でもって男性の反応。
「愛妻家協会…ですか」
表情が曇ります。明らかに怪訝そうです。
…分かります。
かくいう私も初めて協会に出会った時は、夜な夜な「自称愛妻家」が場末の飲み屋に集まり、
「俺は妻をこんなに愛している」「いや、俺の方が君のとこより妻をこんなに愛しているね」
といった、不気味な協会を想像したものです。
なんてったって日本「愛妻家」協会ですから(笑)
一方で。
スローガンに掲げています、
『妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれないね。』
この「もっとも身近な赤の他人」という、当たり前のフレーズに、私は脳天をぶち抜かれたんですね。
そっか。夫婦って「もっとも身近な赤の他人」だったんだ、と。そこから何か、新しい夫婦関係のあり方が見えてくる気がしたんです。
「主任調査員、小菅です。」
…と、いうことで。
みなさん改めましてこんにちは。日本愛妻家協会、主任調査員の小菅と申します。
小学校の同級生だったツマさんと12年前に結婚し、小学5年生の長女さん、2年生の次女さんに恵まれ、家庭内では唯一の男性として、ゆるゆるお父さんしています。
生まれてこのかた幼少のころから「女性社会」で育ってきてまして、生まれた時にはすでに姉が、数年後にはおかげさまで妹が生まれ、フェミニストポテンシャリティの高い男性として、40年生きてきました。
今回Conobieさんから「日本愛妻家協会の小菅さんとして連載しないか」のお声掛けをいただき、今年10周年を迎える同協会と、私が携わっていくことで、「夫婦関係」と「親子関係」が、どう変化していったかをいろいろな方々にお伝えしてみたくなり、書き連ねてみることにしました。
様々なご夫婦の関係値がありますし、様々なご家族がいらっしゃるので、一事例としてゆるゆる読み流していただけると嬉しいです。
すべてのはじまりは、2008年。
この「日本愛妻家協会」に出会った2008年ごろ。
公私ともに何をやってもうまくいかないダメ男、ダメ夫の代名詞だった私は、男親としてまだ幼かった娘二人を育てていく自信が全くありませんでした。
経済的な理由や、身体的な理由ではなく、ちゃらんぽらんでいい加減な自分に子どもが似たらどうしよう、とか、夫の責任、父親の責任からあわよくば逃げ出したい、といったマインドで、完全に精神的にまいっていて、何に対しても自信が持てなかった、そんな時代があったんです。
当然夫婦仲は最悪で、その影響で子どもにもきつくあたってしまう。
結果的に家にいると自分の悪い部分しか見えないので、なるべく家にいる時間を減らす。
そんな悶々とした日々を暮らしていました。
折も折。
仕事の一環と称して参加していたとある異業種交流会で目の前に座った男性が、ビジネスカードとは別の名刺を颯爽とくださり
「実は私、日本愛妻家協会の調査員でもありまして…」
と恥ずかしげもなく名乗ったんです。
これがすべての始まりでした。
もっとも身近な赤の他人
冒頭お話した通り、最初は「まずい。あぶない人の席の前に座ってしまった!」と内心気まずかったんですが、名刺の裏に書かれたスローガン
妻というもっとも身近な赤の他人を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれないね。
この一文を読んだ時、何とも言えないザワザワした感情が心を支配し、脳天を稲妻にぶち抜かれたような感覚を覚えたんです。
「そうか、私が今暮らしている相手は、最も身近な赤の他人なんだ。」
どうにも気になりだして止まらなくなった私は、早速協会の情報を調べると、すぐにサイトも、創始者も調べることができました。
日本愛妻家協会HP
まだ当時はSNSなどが発達していなかった時代なので、その創始者といきなりつながる術はなく、サイトに書かれていた総合受付である「インフォメーションメール」に、赤裸々に今の気持ちを書き連ねました。
残念ながら既にメールは残っていないのですが、
夫婦仲がうまくいっていないこと
子育てにもそれが影響していること
正直何にも自信がもてないこと
…でもどこかで、ツマさんとまた仲良く楽しい生活をしていきたい、と考えていること
そんなことを、見ず知らずの他人にヌケヌケと伝えてしまったんです。
今思うと一体何人の目に私の吐露した気持ちが読まれたのか(笑)
身の毛もよだちますが、それくらい必死で「何かを変えなきゃまずい!」と思っていたんです。
ポップで陽気な事務局長。第一声は「とりあえず、愛を叫びに嬬恋村来たら?」
恥ずかしいメールの甲斐(?)あって、事務局長から直接メールの返信をもらい、
「とりあえず会いましょう。いやはや、いいですねぇ。」
というごくごく短い連絡をもらいました。
後に私が師匠と崇めたてまつることになる、ポップで陽気でおしゃれな事務局長は、初めましての会食で開口一番…。
「色々あるようですから、とりあえず愛を叫びに、ご家族で嬬恋村に来てみたらいかがでしょう?」
これといった論理があるわけでも、何かの確証があるわけでもない。
その、ポップで陽気でおしゃれな事務局長に、まんまと不思議な魔法をかけられて、なんだかそれがとても大切なことに思えてしまった私は、最悪の関係だったツマさんを、「家族旅行」と称して連れ出し、嬬恋村で開催される世にも奇妙なイベントに参加するのでした。
「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」通称キャベチュー@嬬恋村
嬬恋村で開催されていたのは、世界の中心で愛を叫ぶという映画のパロディで、
「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ(通称キャベチュー)」というイベントでした。
嬬恋村の大自然の中に設置された妻への愛を叫ぶ専用「叫び台」で、思い思いに愛を叫ぶ。
ただそれだけのイベントなのに、参加したみんながつい笑顔になってしまう、そんな不思議な空間です。
「それでは、トップバッターの小菅さん、どうぞっ」
司会者の無茶ぶり、高鳴る鼓動。
叫び台に立った私は、それまでの不徳を詫び、これまで伝えたくても伝えられなかった、愛と感謝を叫んだのでした。
聴衆があたたかく見守る中で思いのたけをただただ叫んだことで、誇らしく、清々しい気持ちになった私は、いろいろ難しく考えることで喪失していた自信を一気に取り戻していきます。
サケビストから、読んでいただいたみなさまへ。
何をやってもうまくいかない、ダメ男、ダメ夫から、人前で叫ぶ技術の高さを誉められた私は、その後、勝手に「サケビスト」を襲名。
全国各地の叫びイベントから、「叫び指南」を依頼されるようになり、人とは全く異なる、実に個性的な人生を歩みはじめることとなりました。
このあたり、まだまだユニークなお話がたくさんありますので、またゆるゆるご紹介していきますね!
初回の今号では、日本愛妻家協会と私の出会いを中心にお伝えしてきましたが、今回みなさんに伝えたかったポイントは、たった一つです。それは、
人は変われる、ということ。
夫婦関係に悩み、子育てに悩み、人間関係に悩む。
自分の分身である子どもを生み、育てているみなさんだからこそ、きっとたくさんの課題に直面していることと思います。
相手が変化してくれることで心の平穏を取り戻す人もいることでしょう。
環境が変わったことで問題が解決した人もきっといることでしょう。
でも私は、積極的に「自分が変わる」効能を、次世代に伝えていきたい。
そんなことを初回では伝えさせていただきたいと思いました。
自分が変われば、夫婦が変わる。
夫婦が変われば、子育てが変わる。
ではでは、また次号でお会いしましょうね。
今号はこの辺で。
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