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公開 2021年10月27日   更新 2022年10月04日

突然の皮膚炎が、我が家で大流行。原因は、まさかの「アレ」だった。

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まさかの形でやってきた、家庭内パンデミック。

皮膚科に通い尽くした9月だった。


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9月初め。

緊急事態宣言の真っ最中、休校休園中の我が家を襲ったのは、くだんの新型ウイルスでもなければ、インフルエンザでもない、まさかの皮膚炎だった。



あの日、体力があり余る子どもたちを連れて、私は近所の農道を散歩していた。

車の通りがほとんどなく、安心して子たちが歩ける農道は散歩道にとてもふさわしい。

ザリガニを捕まえたり、走ったり、草を摘んだり、とても穏やかな午前だった。

子どもたちの笑い声と、よく晴れた秋の空。張り詰めた緊張感を忘れられるつかの間の時間。私はとても満たされていた。

途中、長女が「あ!きつねのこばんだ!」と上を指した。

指すほうを見ると、子どもたちが秋によく拾う「狐の小判」と呼ばれる実が、木々の隙間からたわわにぶら下がっていた。

狐の小判は、秋が深まって地面に落ちる頃には、ほんとうに小判らしい黄色に色づくのだけど、木にぶら下がっているときは黄緑色なのらしい。

でも形を見るとそれは確かに狐の小判で、子どもたちは、「緑色のきつねのこばんは初めて見つけたね!!」と言って、嬉々としてそれらを収穫した。

それが悲劇の始まりだった。



さて、お昼ごはんの時間も近づいているし帰ろうか、と言う頃になると末っ子が、「おめめがいたいの」と言い出した。

「あらら。なにか入ったのかなー。早くおうちに帰って洗おうね。」と、声をかけて帰路を急ぐ。

顔を見ると、目の少し下、頬のあたりに、細くて黒い筋が2センチほど横切っていた。なんだろう、と思いながら帰宅した。


家に着くと、子たちが口々に「手についた黒いのが取れない」と言い出した。

見ると各々、手のひらに黒い斑点。

末っ子の頬に走る黒い筋と、同じ色だった。

洗ってごらんと促して、よくよく洗っても、黒いなにかは取れない。

そうこうしているうちに末っ子の頬の黒い筋が、ほんのり赤く腫れてきた。

まさかと思い調べると、やっぱりそうだった。

狐の小判の正式なお名前は「ハゼノキ」と言うらしく、漆の仲間だと書かれてあった。

そして、本格的にかぶれが出るのは、2~3日後とも書かれていた。

その時点ではまだ、へぇ……かぶれるのか、ひどくならなきゃいいけど、くらいの気持ちでいた。



当初調べたとおり、かぶれはその2日後にきちんとやってきて、末っ子の顔面は見事に腫れた。

目が顔に埋まって、人相が変わるほどの腫れよう。

慌てて皮膚科に駆けこんでお薬を頂いたのだけど、「治療に1か月くらいはかかる」と言われて、慄いた。

けれど、これは序章でしか過ぎない。

ここから、かぶれの快進撃が始まることを、この時の私はまだ知らない。

さて、狐の小判を触ってしまった日の夜、末っ子の頬に付着した黒い線を、なにか分からずこすり落とそうとした男がいた。そう、夫。

末っ子と時同じくして、肌の弱い夫は、まんまとその付着部だけでかぶれが発生し、それがどういうことか全身に広がるという事態。

そして、数日後、軽快していると思われた末っ子が、初日をしのぐほどの大かぶれを起こしてしまった上に、真ん中長男の顔も赤くかぶれが出てきた。

なにが起きているのか分からない。かぶれパンデミック。


因みに、2度目の腫れに関しては、原因が今もって分からず、お医者さんも首をひねるばかりだった。

一旦軽快した腫れが、ここまで派手にぶり返すことはあまり考えにくいらしく、また何か別の原因があったのではという話だった。

ただしその原因は結局なんだったのか、とうとう今も分からずじまい。



その日、朝は赤みがひどくなっている程度だったのが、夜には末っ子も長男も顔がぱんぱんに腫れていた。

せっかく治りかけてたいのに、なんてこと。

これはただ事ではないと思い、その日は日曜日だったので ♯8000 に電話をした。

けれど、日曜日ということ、加えて緊急事態宣言下ということもあって、なにをどうしてもつながらない。

回線がずっと混みあっているようだった。

このとき役に立ったのが、任意で入っている保険についているサービス。

電話で医療相談が受けられるというもの。

こちらをはっと思い出せた私に、拍手を送りたい。ファインプレー。

電話はすんなり繋がって事情を話すと、明日まで待たずに、すぐ休日診療にかかるように言われた。

顔が腫れるというのは、楽観視しないほうがいいということらしい。



お医者さんでは、なんらかの感染症やアレルギー反応の疑いも含めて、いろいろと丁寧に診ていただいた。

ひとまず今夜は、かゆみ止めの処方でいいでしょう、とのことで安心を得ることができた。

とは言え、ここからのかゆみ戦争はそこそこのもので、病院へ1~3日おきに通院しなくてはならないし、あまりの痒みに夜もぐっすり眠ることができない。

そして、痒みと寝不足に伴う倦怠感で、末っ子も長男も登校、登園ができない状態になっていた。

これは、なんというか、久々のあれだな、と思った。

インフルエンザやその他のウイルスで、先が見えないドミノたおしを見たあの日、卒倒している場合じゃないのに、卒倒しそうになったあの懐かしい感じ。

今回のかぶれパンデミックは、「あんな日々もあったなぁ。みんなずいぶん頑丈になったものだなぁ。」と思っていた、矢先の出来事だった。




行きつ戻りつを繰り返しながら、少しずつ症状はよくなって、狐の小判との接触から1ヶ月。

先日ようやく、皮膚科の通院が終わった。

少しあとが残りそうな箇所があるものの、ほぼ元通りのつるつるお肌を取り戻し、現代医療と若い細胞の力って素晴らしいね、と心から思った。

因みに四十路を過ぎた夫のかぶれは、きちんと全身に浅黒い跡になって残っている。

これが人生一桁との違いだな、とお風呂上りの夫を見るたび思っている。

そう言えば、痒みと腫れがピークのときに「これは強い薬だから」と、何度もお医者さんが念を押した軟膏と飲み薬があった。

調剤薬局でその薬の名前を読み上げられた時、その名前が確かに全方位的に強そうで、医療の知識が1ミリもないのにもかかわらず「これはいける」と思ってしまった。

名前だけで、こんなに期待を煽れるっていうことは、確実にネーミングがフィットしているあかしだよねぇ、センスというのはこういうことを言うのかもしれないねぇ、と寝不足で疲れた頭で思っていた。


見慣れない草木には注意することと、名前の立派な薬は強いというのが、令和3年9月の我が家の学びだった。


※ この記事は2024年10月06日に再公開された記事です。

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