9月初め。
緊急事態宣言の真っ最中、休校休園中の我が家を襲ったのは、くだんの新型ウイルスでもなければ、インフルエンザでもない、まさかの皮膚炎だった。
あの日、体力があり余る子どもたちを連れて、私は近所の農道を散歩していた。
車の通りがほとんどなく、安心して子たちが歩ける農道は散歩道にとてもふさわしい。
ザリガニを捕まえたり、走ったり、草を摘んだり、とても穏やかな午前だった。
子どもたちの笑い声と、よく晴れた秋の空。張り詰めた緊張感を忘れられるつかの間の時間。私はとても満たされていた。
途中、長女が「あ!きつねのこばんだ!」と上を指した。
指すほうを見ると、子どもたちが秋によく拾う「狐の小判」と呼ばれる実が、木々の隙間からたわわにぶら下がっていた。
狐の小判は、秋が深まって地面に落ちる頃には、ほんとうに小判らしい黄色に色づくのだけど、木にぶら下がっているときは黄緑色なのらしい。
でも形を見るとそれは確かに狐の小判で、子どもたちは、「緑色のきつねのこばんは初めて見つけたね!!」と言って、嬉々としてそれらを収穫した。
それが悲劇の始まりだった。
さて、お昼ごはんの時間も近づいているし帰ろうか、と言う頃になると末っ子が、「おめめがいたいの」と言い出した。
「あらら。なにか入ったのかなー。早くおうちに帰って洗おうね。」と、声をかけて帰路を急ぐ。
顔を見ると、目の少し下、頬のあたりに、細くて黒い筋が2センチほど横切っていた。なんだろう、と思いながら帰宅した。
家に着くと、子たちが口々に「手についた黒いのが取れない」と言い出した。
見ると各々、手のひらに黒い斑点。
末っ子の頬に走る黒い筋と、同じ色だった。
洗ってごらんと促して、よくよく洗っても、黒いなにかは取れない。
そうこうしているうちに末っ子の頬の黒い筋が、ほんのり赤く腫れてきた。
まさかと思い調べると、やっぱりそうだった。
狐の小判の正式なお名前は「ハゼノキ」と言うらしく、漆の仲間だと書かれてあった。
そして、本格的にかぶれが出るのは、2~3日後とも書かれていた。
その時点ではまだ、へぇ……かぶれるのか、ひどくならなきゃいいけど、くらいの気持ちでいた。
当初調べたとおり、かぶれはその2日後にきちんとやってきて、末っ子の顔面は見事に腫れた。
目が顔に埋まって、人相が変わるほどの腫れよう。
慌てて皮膚科に駆けこんでお薬を頂いたのだけど、「治療に1か月くらいはかかる」と言われて、慄いた。
けれど、これは序章でしか過ぎない。
ここから、かぶれの快進撃が始まることを、この時の私はまだ知らない。
さて、狐の小判を触ってしまった日の夜、末っ子の頬に付着した黒い線を、なにか分からずこすり落とそうとした男がいた。そう、夫。
末っ子と時同じくして、肌の弱い夫は、まんまとその付着部だけでかぶれが発生し、それがどういうことか全身に広がるという事態。
そして、数日後、軽快していると思われた末っ子が、初日をしのぐほどの大かぶれを起こしてしまった上に、真ん中長男の顔も赤くかぶれが出てきた。
なにが起きているのか分からない。かぶれパンデミック。
因みに、2度目の腫れに関しては、原因が今もって分からず、お医者さんも首をひねるばかりだった。
一旦軽快した腫れが、ここまで派手にぶり返すことはあまり考えにくいらしく、また何か別の原因があったのではという話だった。
ただしその原因は結局なんだったのか、とうとう今も分からずじまい。
その日、朝は赤みがひどくなっている程度だったのが、夜には末っ子も長男も顔がぱんぱんに腫れていた。
せっかく治りかけてたいのに、なんてこと。
これはただ事ではないと思い、その日は日曜日だったので ♯8000 に電話をした。
けれど、日曜日ということ、加えて緊急事態宣言下ということもあって、なにをどうしてもつながらない。
回線がずっと混みあっているようだった。
このとき役に立ったのが、任意で入っている保険についているサービス。
電話で医療相談が受けられるというもの。
こちらをはっと思い出せた私に、拍手を送りたい。ファインプレー。
電話はすんなり繋がって事情を話すと、明日まで待たずに、すぐ休日診療にかかるように言われた。
顔が腫れるというのは、楽観視しないほうがいいということらしい。
お医者さんでは、なんらかの感染症やアレルギー反応の疑いも含めて、いろいろと丁寧に診ていただいた。
ひとまず今夜は、かゆみ止めの処方でいいでしょう、とのことで安心を得ることができた。
とは言え、ここからのかゆみ戦争はそこそこのもので、病院へ1~3日おきに通院しなくてはならないし、あまりの痒みに夜もぐっすり眠ることができない。
そして、痒みと寝不足に伴う倦怠感で、末っ子も長男も登校、登園ができない状態になっていた。
これは、なんというか、久々のあれだな、と思った。
インフルエンザやその他のウイルスで、先が見えないドミノたおしを見たあの日、卒倒している場合じゃないのに、卒倒しそうになったあの懐かしい感じ。
今回のかぶれパンデミックは、「あんな日々もあったなぁ。みんなずいぶん頑丈になったものだなぁ。」と思っていた、矢先の出来事だった。
行きつ戻りつを繰り返しながら、少しずつ症状はよくなって、狐の小判との接触から1ヶ月。
先日ようやく、皮膚科の通院が終わった。
少しあとが残りそうな箇所があるものの、ほぼ元通りのつるつるお肌を取り戻し、現代医療と若い細胞の力って素晴らしいね、と心から思った。
因みに四十路を過ぎた夫のかぶれは、きちんと全身に浅黒い跡になって残っている。
これが人生一桁との違いだな、とお風呂上りの夫を見るたび思っている。
そう言えば、痒みと腫れがピークのときに「これは強い薬だから」と、何度もお医者さんが念を押した軟膏と飲み薬があった。
調剤薬局でその薬の名前を読み上げられた時、その名前が確かに全方位的に強そうで、医療の知識が1ミリもないのにもかかわらず「これはいける」と思ってしまった。
名前だけで、こんなに期待を煽れるっていうことは、確実にネーミングがフィットしているあかしだよねぇ、センスというのはこういうことを言うのかもしれないねぇ、と寝不足で疲れた頭で思っていた。
見慣れない草木には注意することと、名前の立派な薬は強いというのが、令和3年9月の我が家の学びだった。