「まあ明日やればいいか」
とはならない日々の育児、その中のひとつに入浴がありますよね、子どもが風邪でもひかない限り毎日毎日こなすべきもの。
お風呂って、まだ子どもがいない時代には、たっぷりとお湯をはった暖かな湯舟の中に手足をぐっと伸ばして、日中の仕事か家事かそういうもので疲れてこわばった体をほぐしたついでに良い香りのする入浴剤などもさらさら入れて、心もゆったりと回復できる大切な時間、その筈だったのだけれど。
さあいざ子どもが生まれるとどうだろう。
これは私ではなくて、知人の3歳と2歳のお子さんのいるママの話だけれど、まあその2人と言うのがほんとうに元気な兄妹で、毎日明るい内から夕方日が落ちるまで泥だらけになりながらお外で遊び倒し、帰宅後はママが何をどう言っても
「風呂など入らん」
という態度を貫くらしい。
しかも日中お昼寝ナシの2人は気をつけていないと夕方ウトウトとし始めてしまい、そうなると泥だんごみたいな幼児を布団に寝かす羽目になる。
そのためママはパパの帰宅を待つこと叶わず、ひとりを捕まえて衣類をむしり取りつつ、既に裸に剥いたもうひとりを片手から離さず自分も服を脱いで両腕に2人の子を抱えて毎日風呂場に突入する羽目になるらしい。
「もう毎日が追い剝ぎというか、肉弾戦というか、これって風呂?ねえお風呂ってこんなんやったっけ?一日の疲れを取るとか、リラックスとか、自分へのご褒美とかそういう類のものやなかった?何なんもう!」
彼女はその時かなりこの『激闘!お風呂生活』に疲弊していて
「風呂とは一体何なのか」
ということについて誰か教えなさいよと吠えていたが、それに対して私は
「…お、おう」
としか答えられなかった。
そう、私は子どもが風呂に入ってくれないという苦労をしたことがないのです。
とはいえ私は
「うちの子達は3人ともおりこうさんで、お風呂を一度も嫌がった事なんかございませんのよ」
鼻高々に前述のママに自慢できる…などということはなく、子どもが風呂に入ることを厭わないということは、当然その子はお風呂が好きということになり、それはすなわちその子がお風呂場の床を踏みしめたが最後、親が何を言おうが本人が十分にお風呂で遊んで得心するまで
『お風呂から出ない』
ということなのですよ。
これ、上の子も真ん中の子もそうだったけれど、現在3歳、幼稚園では年少組の次女がいちばん、これは酷いと言う表現でいいのだろうか、顕著の方が上品かしら、でも酷いのです。
そしてこの次女の風呂好きというのが本当に筋金入りで、この子は産まれてしばらくの間、諸事情があってNICUという新生児ちゃんの入院施設にいた期間があったのだけれど、生まれてから少し経って体調の安定したある日、看護師さんが私に
「おかあさん、今日沐浴しましょう!」
そう言って次女のベッドのすぐそばに、高度医療の現場に少しそぐわない古典的金ダライとお湯の入ったバケツなどを持って来て、さあここで産まれて初めての沐浴をいたしましょうと言った。
それが毎日心配しながら面会に通っていた当時の私にはとても嬉しく、かつ母親としては古参というか新米ではなかったこともあって
(まあそこはわたくしこの子が3人目ですので、少しばかりの病気があるとしてもね、ここは腕の見せ所ということですわね)
そんなたいそうな余裕で、張り切って用意してもらったタオルの上に当時は3㎏弱の新生児であった次女を寝かせ、白いガーゼの短肌着を脱がせて左手で頭を支え、右手を背中に添えて余裕の表情でお湯にゆっくりと浸けたのでした。
生まれて初めてお湯につかる赤ちゃんがびっくりしないように、怖がらないように、沐浴布を使ってそっと頭と体をお湯で拭いてから洗い流してあげると、新生児が心地よい時の、あの目を静かに閉じて口をすこしすぼめるようにした「ほぅー」という何とも言えない表情をしてその可愛い事といったらもう
「フヒヒ、かわええ」
これが母親でなければ完全に不審者だと思われる不穏な笑い声を漏らしたくらいだったし、その上
「おかあさん、やっぱり3人目だと手つきがいいわ」
隣で付き添ってくれているベテランの看護師さんがそんなことを言って私を褒めてくれて、私は鼻高々で「いえいえ隣に看護師さんがいてくださるからですよう」などと口では謙遜しつつも内心、まあね、上の2人もほぼひとりで風呂に入れてきたわたくしですのでねと思いながら次女をお湯から出した瞬間
「フガー!」
これが本当にこんな声だった。
新生児、怒りの雄叫び。
しかもこの子がまた医師から「あまり泣かせないでくださいね」という赤ちゃんにとってはちょっとハードルが高すぎる指示がでていたこともあり、すぐさま周囲の看護師さん達が集まって来て
何どうしたの、お風呂から出されて怒ってんの?ちょっともう一度お湯に戻して、ホラホラ次女ちゃん落ち着いて。
現場は軽く騒然となり、その日からしばらく次女の沐浴はお休みとなった。
新生児の頃からそんな感じなものだから、現在3歳11ヶ月の次女の入浴への執着は物凄いし、入浴させる親の手間というのも結構なものがある。
4歳直前の幼児と言えば、まだ立ちも歩みもしない乳児の頃に比べると、洗う事もお湯につける事も格段に楽になっている…はずがまずこの人は入浴時間を
「おふろはいるよー!」
と言って親の意向も予定もすべて無視して勝手に決めてしまう。
そしてその時間は夕方16時前後、そんな時間にお風呂にはお湯など張られていない、ということでまず怒る。
「はやくしてヨー!」
でも私にとって夕方の時間帯というのは、洗濯物を取り込むとか夕飯の準備とか仕事とかまだ色々ある時間なのですよ、なのですけれど3歳がぷんすか怒っているし、どっこいしょと腰を上げてお風呂にお湯を張りに行きますよね、するとどうでしょう、既に服を全部脱いでお風呂でスタンバイしておる3歳児がそこにいて、夏ならまだしも今はもう冬の気配のする晩秋、風邪ひくから!と反射的に叱るような口調になり、そうすると3歳児は更に怒る。
「はやくしてくれないからデショ!」
致し方なくタオルでぐるぐる巻きにした3歳をリビングで待たせてお風呂にお湯を張り、いよいよ入浴となれば、当の本人は体を洗ったりすることは厭わないけれど、実はこの人は頭からお湯を掛けられるという事がまだぜんぜん駄目で、髪を洗う時はいまだに横抱きにしなくてはならず、その際少しでも顔にお湯がかかると
「やめてよぅ!」
と言って怒る怒る。
お風呂大好きなんやからそこは滝行のごとくシャワーで頭からお湯でも水でもざぶざぶ被ってくれればよいものをその辺は凄く繊細というか根性なしというか、手間がかかる事この上ない。
そうやって体と髪を洗い終わって浸かる浴槽には各種お風呂のオモチャ達。
使い古しのプラスチックコップに、洗剤のスプーン、水泳ゴーグル、それから何故だか小さな浮き輪。
浮き輪は長女の時代からうちのお風呂の必須アイテムで、長女がまだ足元もおぼつかないころから泳ぐことが大好きで、そのためにお風呂に浮き輪を置いておくということが習慣になり、その習慣がそのまま次女に受け継がれ、今その浮き輪をつかう次女はぷかぷかと浮きながらバタ足の練習に余念がない。
本来は凪であるお風呂なのに、波立つお風呂の中で足を延ばしていつまでも泳ぎ続ける身長約100㎝。
お風呂が狭い、疲れる、癒されない。
『これって風呂?ねえお風呂ってこんなんやったっけ?』
こうしてお風呂に入ることを厭わない、むしろ積極的でありすぎる子の母は、冒頭のお風呂に入るのが嫌いでしょうがないという子のママと同じ叫びを持つことになる訳で、まあ子どもとお風呂に入るのって、まだ言葉のたどたどしい幼児とお湯の中でとりとめのない会話をする楽しさとか、乳児のあの「ほぅー」の表情を見ることのできる嬉しさはあれども、楽なことではないですね、ほんまに。