我が家には小学校3年生の男女の双子がいます。
双子たちは学校から帰ってくると、在宅勤務中の私の部屋にやってきて
「今日ね、学校でね、こんなことがあってね……」
と、その日あったことを教えてくれます。
でも子供の話は脈絡がなかったり、話がとんだりと、聞くにも労力が必要で、しかも私は仕事中。
仕事に集中しているため、子どもたちが一生懸命話していても、PCに向かいながら「へぇー」「ふーん」と、うなづくだけで聞いたつもりになっていることがしばしばでした。
つい、「今仕事中だからあとでね」とおざなりな対応をしてしまっていたのです。
自分の対応が良くないことは分かっているけど、こちらも仕事中だから分かってほしい。
そんな気持ちで接していました。
そんな日々の中、とあるセミナーで「話の聞き方」を学ぶ機会がありました。
その中で、<3つの聞き方>というワークを体験したのですが、これがなかなかの衝撃体験で、私のこれまでの双子に対する対応を深く反省するきっかけになりました。
このワークでは、3パターンで話を聞く(話す)ワークをしました。
1つ目は、「石」になって聞く。
2人1組で、向い合せに座り、相手の話を「石になって聞く」のです。
石なので、あいづちを打ったり、うなづいたりしてはいけません。
ただそこにいるだけで、無表情で話を聞くのです。
石になっている時間はたった3分でしたが、相手が話せば話すほど(といっても、とても話しづらそう……)、無視をしているようで、どんどん気まずい気持ちになり、こちらが悪いことをしているような、辛い気持ちになりました。
そして今度は交代して、私が相手「石」に向かって話すことになりました。
無表情の人を相手に3分間話すというのは、苦行でした。
想像以上に辛く、「全く話を聞いてもらえていない」と感じ、相手に大切にされていないような、なんとも言えない気持ちになりました。
2つ目は、うなずきながら聞くというものでした。
1つ目の石を経験した後なので、うなずいてもらえるだけで「聞いてもらえている」という安心感があり、とても話しやすくなることを実感しました。
逆に聞く側になったときも、うなずくことで、あなたの話を聞いていますよとメッセージを送ることができ、相手に対しての罪悪感が減り「こんなにも心が軽くなるものか」と感じました。
3つ目は、うなずき、あいづちを打ちながら聞くというものでした。
私が話している間、うなずいたり、あいづちを打ってもらえるだけで、とても話しやすくなることを改めて認識しました。
「この人は私の話を聞いてくれているんだな〜」と安心することを経験したのです。
聞く側に交代したときも、うなづいたり、あいづちを打つことで、しっかりと相手に「あなたの話を聞いていますよ」と伝えることができる。
あいづちを通して、共感や、驚きなども伝えることができることを体感しました。
このワークを通して、普段PCに向かいながら双子たちの話を聞いていた自分は、まさに「石」だったとハッとしました。
仕事中のみならず、たとえば食事を作っているときでも「石」になっていたような気がします。
考えてみると、日常のいろんなシーンで思い当たる節があり……
今まで双子に対して、なんて申し訳ないことをしていたのだろう。
と申し訳ない気持ちになりました。
そんな私に、双子たちは毎日話しかけてくれていたのか……と。
そこで、その日以来、自分なりに話の聞き方を改めることにしました。
娘や息子がやってきて「今日ね、学校でね…」と話しだすと、私はPCに向かうのをやめ、双子たちの方に身体を向けるようにしました。
そしてうなづいたり、あいづちを打って「そうなんだ、そんなことがあったんだね」と話を聞くようにしました。
この日以来、双子たちは以前にも増して、学校であったことやその日感じたことを教えてくれるようになったように思います。
私が意識して双子たちの話の聞き方を改めた結果なのか……。
先日、娘が学校の宿題で「家族」について作文を書いた中で、私について「話を聞いてくれる人」と書いていたのです。
「話を聞けてるかな?」
と尋ねてみると
「だってママは、”そうなんだね”って話を聞いてくれて、”こんなときどうする?”って聞いたら、意見を教えてくれるでしょ。だから私にとって、話を聞いてくれる人だよ」
と言われました。
あの時、「石」になるワークを体験していなかったら、私はいまだに石のままだったと思います。
仕事中であろうと、家事をしている時であろうと、自分がなにかしてる時でも手を止めて、相手を見て、うなづいたり、あいづちを打つこと。
文字にすると簡単ですが、忙しい毎日の中で「聞く」というのは簡単なことではありません。
でも、これからも「石」にならないように、気をつけていこうと思います。