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公開 2021年12月07日   更新 2022年11月15日

育児は大変。大変なだけじゃないけれど、幸福だけでもないからこそ、伝えたいこと。

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小さな子を育てるって、それは確かに大変です、大変なのだけれど、何というのかな、大変だけではないのですよね、かと言ってお花畑な訳でもない、そういうお話です。


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それは特別にかわいいもの

ところで、私は赤ちゃんがとても好き。

あの大人とは全く異なるミニマムな骨格、爪さえ小さな手足、身体に対してすこし大きめに作られている頭部、ふわふわとした、もしくは割としっかりと生えた頭髪、まだ作りたてであるがために薄く柔らかな肌、無防備にあくびをする様子、そのなにもかもが私には

「かわいいなあ」

ため息のでるような羨望の対象であって、私は結婚した29歳の時、あまり難しい事を考えずにこのまま子どもを持ってその可愛らしい赤ん坊という存在をこの手に抱いてみたいものだと思っていた。

そして運よく妊娠し 、つわりや眠気やそれなりの体調不良などはあったものの無事に出産し念願のママになった時、新生児というものが、新生児オムツのパッケージ写真的に柔らかに可愛らしい見た目なのは実は大変稀有なことで、大抵の場合は小さなガッツか朝青龍であるという事実を知らなかった。

うちの場合は、もともと大相撲を大変好む夫が初めての我が子を

「ウチの子めっちゃ八角親方に似てへん?」

そう言われると生まれたてのフニャっとしてかつシワっとした新生児である長男の顔も、産道を通るのにかなり難儀した結構立派で大きな頭も

「元・横綱!」

のそれにしか思えなくなり、出会いの最初からなんかちょっと違ったなと思いながら、それでも憧れの『赤ちゃんのいる生活』に入ったわけなのですが、この長男がまた見た目イメージの瓦解から始まって

本気で寝ない
抱き続けていないと泣く
泣いている理由に見当がつかない
母乳もミルクも飲む事自体が超絶へたくそ
そして吐く

そういう、育児雑誌の「ウチの子の困りごと」の項目の大体をクリアしている、ねえこの先ちゃんと成長していく気ある?と親が真顔で聞いてしまうタイプの乳児で、中でも特に全く寝てくれないというのは想定外だった。

お母さんなんか誰に頼まれなくてもいくらでも寝ていたいというのに。

それに何より、一体誰が妊娠期間中にそんな事言っていただろうか

『赤ちゃんて、寝ないよ』

だなんて。

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そして想像とは違うもの

例えば私が出産直前までお世話になっていた職場は、子育てをほぼ終えた経産婦のマダムばかりの職場だったのだけれど、皆さん私が妊娠しましてと報告するや、おめでとう体を大事にね、赤ちゃん私も抱っこしたいわ、新生児いいわねえ、そりゃあカワイイのよと業務そっちのけで新生児用のベビー服なんかを検索しだす盛り上がりで、 当時私はまだ育児という戦場の最前線に駆り出される直前、召集をかけられただけの予備兵の1人だったので、世の中の経産婦とは新生児が好きなものなのだなあと、ただ感心していたけれど、この時誰一人として

「…こんな事いうのアレやけど、子どもによっては本気で寝ないよ」

「1時間でも2時間でも原因不明のまま泣き続ける時もあるから」

「ママのお風呂は確実に行水になるし、下手したら入れない日もあるし、ご飯も食べられないとか、そういう感じになることもあるから」

そういう育児ダークサイドを全く教えてくれなかったのはなぜなのですか。

優しさですか。

結局私は、全然寝ない赤ちゃんのママとなり、毎晩オムツでもミルクでもなく、何が理由なのか分からないままに泣き続ける長男を抱いて、その隣でぐうぐう眠る夫を私は……

特に事件は起こしていないけれど、毎晩意識が真っ白に飛ぶほど眠れず、半目で涎を垂らしながら夜明かしをする隣で、いくら明日も仕事だからと言って快眠する人間への恨みというのかもう憎悪?それを抱き続け、あの日から12年を経た今も夫婦喧嘩の度にアンタあの時寝てたやんけと再燃する。

そういう事もあるのでこれからのパパは是非よく考えて頼むから。

そんな『想定外』をいくつも乗り越え、どうして人はまた子どもを産みたいと思うのでしょう。

それはこの業界の大変な謎ではあるのだけれど、私はまたもう1人、子どもを産みたいと希望して、それもまた幸い叶えられた時、1人目の子でここまで苦労したのなら私の体と脳にはその子育てスキルみたいなものが自然と身についていて、それで次はもう少しうまく楽に楽しく育児ができるのではないかと、そう思ったのです。

生まれたのは自分に似た女の子だった。

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やがて大きくなってしまうもの

長男と長女は2歳半の年の差の兄妹であり、赤ん坊の長女と初めて対面した時の長男はあと半年したら3歳という年頃だった。

しかし周囲の同じ月齢のお友達にと比べるとなんだか各所に幼い印象が強くて、そのために「もう少ししっかりしてくれないかな」と思っていた私は、彼に妹という存在ができることで

「ぼくはお兄ちゃん」

という自覚が芽生えて、もう少ししっかりとした幼児になってはくれまいかと目論んでいた。

そして今になって思うのは、しっかりした幼児など世の中にはまずいないということなのだった。

だってお兄ちゃんも何も、2歳半なんてものはいくら少し位言葉を話せて歩けて子どもによってはそろそろおトイレもという年頃であっても、赤ちゃんに毛が生えた程度。

突然ママとパパの愛情を分割して奪い去った小さく妙にふにゃふにゃした生き物を、さあ妹として扱えといったところで

「なんやこの小さい奴は」

そんな視線を送るばかりで、そんなただ泣いて飲むだけの何かに興味などないし、おれは新幹線図鑑を読むことに忙しいのだとほとんど興味を示さず、私はお外で興味の赴くままに走り回って止まらない長男と、首が座って即おんぶで背負われて『生きた荷物』と化した長女を連れて、その乳児幼児フルコンボの時期をほとんど1人で泳ぎ切り、今あの頃の子どもの様子はそれなりに覚えているけれど、自分が何を考えてどういう生活をしていたのか全然記憶がない。

それで私は申し訳ないかな、乳児期の長女には今

「なんか背負ってたな常に」

という印象のみが残されている。

そんなことだから私はこの長女が幼児になって、幼稚園に通い始め少し手の空いた、季節の移ろいとかそういうものをほんの少し感じる余裕が出るようになった時にふと

『あと1人、産んでそれで家族の皆でその一番下の子を慈しんで育てられないかな』

と思ってしまったのですよね、あの大変でキツかった思い出をもう少しだけ幸せそうな色で塗り替えて自分の乳幼児育児を締めくくりたいと。

そしてその希望はまた幸運にも叶えられて次女は生まれ、我が育児人生に悔いなしと思えたらそれはしめたものだったのだけれど

次女、持病によりNICU入院。

というこれもまた予想外の想定外が私達を待っていて、この時もうすでに小3と年長でかなりものの分かっていた長男と長女は待てど暮らせど帰ってこない妹に業を煮やして「で、赤ちゃんはいつ家に帰って来るの」と言ってむくれるし、私は退院のその日から

「じゃ、お母さん明日はいつNICUに来られます?」

とNICU、新生児集中治療室の看護師さんから爽やかに「これから毎日ここで待ってるね!」と言い渡されるしで、経産婦でかつ既に40歳を目視する距離に捉えていた私としては、なんですか拷問?とは思ったものの、生まれたての我が子が病院でひとり寂しく待っているのかと思うと

「え、明日はやすみます」

と言うことなどとてもできず、毎日毎日、可能なら自宅で用意して持って来てくださいと言われて3時間毎にせっせと絞った冷凍母乳を持参して、生まれたての次女のもとに日参し、予想できる当然の結果として倒れた。

幸いこの時倒れたのは病院だったので大事には至らなかったけれど倒れた場所が小児科だったのであまり意味がなかったというか、つくづく無理はしてはいけないのだと、そう思った。

そうしてこのNICU入院のあの頃から早4年、つい昨日、この時赤ちゃんだった次女は定期的に通う大学病院の診察の前に必ずしなくてはいけない恒例の採血で、いつもなら泣いて怒って最後は私に抱えられて入室する処置室に今回初めて1人で歩いて入室して

「なかなかった!」

と誇らしそうに出て来て

「かんごしさんが、おねえさんだねって、ほめてくれた」

と大威張りだった。

子どもって育てていれば当たり前だけれど大きくなるし、その中で彼らの世界はどんどん変わりゆくもので、私はなんだか嬉しくて寂しくなる。

小さな子が小さなままでいる季節っていつも本当に直ぐに過ぎてしまって、そのあっという間の感じが、あの時、息子を生む前に職場の先輩ママ達が、赤ちゃんの『いいこと』ばかりを話してくれた理由なのかなと思ったりも今、するのです。

大変だけどね、大変だけどとにかく可愛いのよ。

一生の宝物よ。

大変だけど。

あと無理だけはするな。



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※ この記事は2024年09月28日に再公開された記事です。

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