あっと言う間に12月になってしまった。
2021年ってさっき始まったところなのに、なんなら2020年だって、つい先日明けたところなのに、もう2022年がすぐそこで手を振ってるなんてほんとうに信じられない。
この1年なにがあっただろう、どんな1年だっただろう、と写真共有アプリを開いてざっと眺めてみる。
ああそうだ家族が増えたのだった、それこそが我が家の2021年だった。
今年の1月、我が家は猫を飼い始めた。
真っ黒のオス猫。
それがなんだか”運命的な出会いだった”と思えるのはきっと、この1年が、彼によって、とても満たされたものになったから。
彼がそこかしこに映りこんでいる2021年のカメラロールは、2020年のそれとは明らかに違う。
2021年がはじまってすぐの1月のある日。
私たちは家の近くのいつもの公園で、いつものように遊んでいた。
いつもみたいにブランコをこいで、いつもみたいにただ走って、いつもみたいに丘を駆けのぼって遊んでいた。
そこへ突然現れたのが彼だった。
真っ黒で少し小柄で、かわいい眼をした猫。
子どもたちの足元にすり寄って、撫でると気持ちよさそうな顔をした。
子どもたちの足の間をするすると行き来して、離れる様子がなく、あまりに人懐こいので、きっとどこかの飼い猫だろうと話していた。
かれこれ1年以上「猫がほしい」と言い続けていた長女は早々に
「この猫ちゃんおうちに連れて帰ろう!」
と言い始め
「いやいや、こんなに人に慣れているんだからきっとどこかのおうちの猫ちゃんじゃないかな」
と返事をしていたら、素晴らしいタイミングで、犬の散歩をしている近隣の方がふらりと現れて
「この辺の猫じゃないわねぇ。ここいらの猫はみんな首輪しとるから」
と言った。
ドラマのワンシーンかと思うほど、見事な通行人Aのセリフだった。
そのひと言で長女の目はらんらんと輝き始め
「じゃあ、この猫ちゃんおうちに連れて行ってもいいよね?!」
と勢いが増してしまった。
いやいや、そんな急に重大なことを決められないよ、としばらく押し問答を繰り返していたら、先ほどの通行人Aの方が柴犬のリードを片手に、こちらへ向かってぽいとなにかを投げ込んだ。
足元に落ちたそれは、茹でたささみだった。
お腹を空かせていたらしい黒猫はそのささみを懸命に貪って、あっという間に平らげてしまった。
通行人Aの方はささみを投げただけで、さっそうと公園を後にした。
これがもしドラマのワンシーンだったとしたら、モブとして素晴らしい仕事だったと思う。
「もしかするとこの子にも帰る家があるかもしれないから」
と、長女にこんこんと話をして、公園を後にした。
つもりだったのだけど、長女の足元にはその黒猫がいた。
おそるおそる、といった様子でゆっくりと長女の足元を歩いていた。
黒猫の足が不安そうに止まると、「大丈夫だよ。おいで」と声をかけた長女。
すると、またすたすたと黒猫は歩きだした。
まるで意思疎通が取れているみたいに、黒猫は長女についてきた。
けっきょく家まで10分ほどの距離を、歩いたり止まったりを繰り返しながら、最後までついてきてしまった。
黒猫は家の敷地に入るときに少し躊躇した様子を見せたのだけれど、長女が
「ここがあなたのおうちよ」
とまさかの声かけをかけると、すっと足を踏み出して我が家の庭にあがりこんだ。
さて、どうしよう。
追い払うなんてかわいそうなことはできないし、困ったなぁ、と思いながら実はどこかで腹が決まっていた。
長女の足元を不安そうについていく黒猫の後ろ姿を見ながら、そういう運命なのかしら、と思っていたのも事実。
それでも頭の片隅にはやっぱり突然の事態を受け入れられない自分ももちろんいて、それなりに動揺もしていた。
動揺していたくせに、猫を飼っている友人に電話をかけてフードの銘柄を聞き、ホームセンターまで車を走らせて、フードを買って帰った。
どうしたらいいか分かんないという顔をしながら。
そこそこ支離滅裂だった。
ホームセンターから帰宅すると、庭先で胡坐をかいて座る長男の膝の中に、黒猫が両手を揃えてすっぽりとおさまっていて、いよいよほんとうに腹が決まった。
因みに、夫はというと、家についてきた時点でもう我が家で飼うものだと思っていたらしい。
その日は寒い日だったこともあり、玄関まで招き入れて、そこに毛布を入れた段ボール箱、餌と水を用意して、一晩過ごしてもらった。
そして、3日後には病院での診察も済ませ、トイレもろもろの環境も整い、1週間後には黒猫はすっかり我が家の猫然として、子どもたちのおままごとの輪に加わっていた。
我が家に招き入れてすぐに、保健所、警察、近隣の動物病院へ、「オスの去勢なしの黒猫を保護している」と連絡をして電話番号を渡したのだけど、1年経とうとする今日現在、音沙汰はない。
小さいと思っていた黒猫は驚くほど餌をよく食べて、あっという間にふっくら大きくなった。
小さかったのではなく、痩せていたのらしい。
子どもたちによって、安直に”クロ”と名付けられ、今では「クロちゃん」と呼べばお返事をしてくれる。
最初の数か月は体調が安定せず、病院の行き来が多く動揺したりもしたのだけど、今やすっかりあらゆることが落ち着いて、暮らしの中にすっかりクロがいる。
末っ子が泣いていたら、心配そうに足元をうろうろするクロ。
最初は驚いていた長男の大きな声にも今ではすっかり慣れて、長男がやかましくてもしれっとお気に入りの場所で眠っているクロ。
長女とはやっぱり一番仲良しで、長女に抱かれているときのクロはどこか安心しているように見えるのは、気のせいではないと思う。
クロを抱きしめて顔を埋めているときの、長女の幸せそうな姿を見るのもとっても嬉しい。
そして、夫。
とてつもなく溺愛しているのに、なぜかいつもクロに軽くあしらわれている。
不憫なんだけど、ちょっとおもしろい。
家族みんなで毎日クロに眉尻を下げて暮らしていると、やっぱり、あの公園での全部が”運命”だったのかもしれない、と思う年の瀬にいる。