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公開 2022年01月16日  

7年前の苦い記憶……里帰り出産を迎え入れたあの日、実母は困り果てていた。

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お正月、2年ぶりに帰省をしました。子たちの成長をものすごく感じた滞在だった。


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このご時世を鑑みて長らく控えていたのだけど、2年ぶりに実家へ帰省した。

依然として気の抜ける状態ではないので迷ったものの、ようやく一家そろっての帰省が叶った。

2年もあれば、長女はすっかりお姉さんになって、真ん中長男の声のボリュームもほんの少し落ち着いて、末っ子なんて赤ちゃんの残り香がすっかり抜けてしまった。

実家の母にとってはたまげるばかりという状況。

到着するやいなや、末っ子は道中で購入した知育菓子を一緒につくってほしいと母に交渉した。

母は最後に見たときはたったの2歳だった末っ子が、知育菓子を手にしていることに驚き、きちんとお願いをしていることに驚き、にょっきり伸びた身長に驚いていた。

幼児だった長男はすっかり少年となり、母は歓声をあげた。

65歳が忙しい。


そして、小学3年生となり幼児が一片も残っていない長女を見た母は、素っ頓狂な悲鳴のような歓声をあげた。

感激と驚きが大渋滞している。

長女は母にとって初孫だったこともあり、長女に関してはよりいっそう感慨深いらしい。


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翌日の朝、下の子達が目を覚ます前に起き出して母の部屋へ行った。

前日、母と就寝した長女がもう起きていて、母とベッドに腰掛けておしゃべりをしていた。

母は私と眼が合うと「長女ちゃん、お姉さんになったねぇ」とまた言った。

到着してから何度も聞いた言葉だ。

「ほんとにお姉さんになったよ。長男くんを産みにこっちに来たときはほんとうに大変だったのに」

母は7年も前の話をした。

最後に帰省したのは2年前なのに、飛躍が過ぎる。

やや健忘気味な母のことだから、空白の2年が7年に上塗りされたんだろうか。

「それ7年も前だよ」

と言うと

「あの時のインパクトはものすごかったよ。初孫だったせいもあるかもしれないけど、ほんとうになにもかも大変で訳が分からなかった」

と母は言った。


そう、あの時、確かに大変だったのだ。

母の部屋の隅に設置されているシャンプードレッサーを一瞥すると、7年前がぎゅんと蘇る。

このシャンプードレッサーで長男の沐浴をして、母が今腰かけているベッドで保湿をして、コンビ肌着を着せていたんだった。

そうだったそうだった。

そして、忘れかけていたけれどほんとうに壮絶な産後だった。

過酷を絵にかいたようなめちゃくちゃさだった。


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7年前、私は長男出産のために長女を連れて里帰りをした。

家族はそれぞれ仕事があったし、産気づいたときや私の入院中、それ以外でもセーフティネットがあったほうがいいと思ったのだ。

実家に滞在中、長女は地元の保育園にお世話になることになった。

ところが、長女は朝も昼もひたすらに泣いて泣いていて、お茶も飲まないし、給食もおやつも食べなかった。

お昼寝なんてもちろんしない。

辟易した保育士さんから「給食を食べさせに来てほしい」と頼まれたほどだった。

夜の寝つきも悪くなって、泣いて腫れた瞼と眼の下のクマが痛々しかった。

母はそんな長女の状況に頭を抱え、胸を痛めていた。


いよいよ産気づいて、入院となり、めでたく退院したのもつかの間、長女が40度の高熱を出した。

私が退院してわずか5日目のことだった。

水分もろくに摂れないほどぐったりした長女を見て、市民病院の小児科の先生は「今すぐ入院してください」と緊迫した顔で言った。

産後で、家には新生児がいる旨伝えると

「では、あと1日自宅で様子を見てみましょうか。なにかあれば、夜間窓口のインターフォンを」

という段取りに変更してくれた。

幸い、長女は夜が明けると幾分すっきりした顔をして、翌日の受診で入院を免れることができた。

一同胸をなでおろしたのだけど、今度は私が体調を崩してしまったのだ。

10年以上ぶりに喘息の発作が起きて、咳が止まらなくなった。


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私の咳は治まらないし、長女も依然、高熱は抜けたけれど熱が下がらない。

体調不良と赤ちゃん返りとイヤイヤ期のトリプルコンボで私にひっついて離れなかった。

咳こむ私の膝に、お熱の長女が四六時中くっついているという状況。

もはや書いていてしんどくなってきた。

私は産後でなんかもうホルモンがアレしていたので、ただひたすら「生きて生かす」しか考えられなかったのだけど、もっと訳が分からなくなってしまったのが母だった。

母の口から出た言葉は

「3人まとめて入院して!」

訳が分からないにもほどがある。

長女は発熱しているけど容体は安定しているし、私は喘息が出ているとはいえ熱もなく食事もとれている。

まして生まれたばかりの長男なんて元気いっぱい。

医療行為が必要だとは思えない。

そして何より、私と子どもたちは内科と小児科に分断されるし、そもそも一体なんて言って入院させてもらおうと言うのか。

病院ってそんなビジネスホテルみたいにカジュアルにお泊りさせてもらう場所だった!?


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話を今に戻すと、母は当時大変だったという後味だけを噛みしめていて、自分の奇天烈な発言はよく覚えていなかった。

母は「なんとかしないと、と思ったことは覚えてるんだけどねぇ」と恥ずかしそうに笑っていた。


体調不良と赤ちゃん返りとイヤイヤ期の長女、新生児を抱えながら体調を崩した私を前に、母はお手上げ状態だった。

あの日々の記憶がよほど鮮烈だったらしく、今の目の前にいる長女とのギャップは相当のものなのらしい。

私は日々グラデーションで成長する長女を見ているけれど、2年のブランクを経た母にとってその成長は目覚ましすぎて、2年前の長女ではなく、あの過酷だった7年前、2歳の長女を思い出さずにはいられなかったのだろう。

あんなに泣いてたのに、あんなに「ママ!ママ!」って言ってたのに、あんなにいつでもどこでも抱っこをせがんでいたのに、こんなに大きくなって、こんなにお話ができるようになったのだ。

うっかり私まで7年間の成長に胸が熱くなる。


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思わず7年前を回想することになった滞在だったけれど、年下のいとこたちとの交わりを見ていても、長女も長男も、末っ子でさえ、成長を感じる時間だった。

いとこたちもまた、ぐんとお兄さんとお姉さんになっていて、なんというのか、君たちは進化というか成長というか、確実に前進しかしない確固たる生き物なのね、と思った。

三歩進んで二歩下がって、もう一回三歩下がってしまう私にはただ眩しくて希望。

当時2歳だった長女の大変さと、9歳になった目の前の長女の優しい表情は簡単には結びつかない。

こんなふうに残像を少しずつ消しながら、彼らは更新されていくんだろう。


だから、公園でいとこらと雪遊びをしているときに雪玉をおもむろに口に運んだ長女の背中を見たときは

「ああ、2歳のあの時から君は変わらずとんでもなく食い意地が張っているよね」

と安心に似たような気持ちになったんだった。


※ この記事は2024年10月30日に再公開された記事です。

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