私が1人目の長男を産んで、2年半後に長女、少し開けて6年後に3人目の次女を産むまで、専業主婦だった約10年間、私はずっと自分が無職であることに焦っていた。
子どもを産んで産休・育休を挟み、1年かそれくらいで仕事に復帰する女性が多数派に転じている今、世間は「女性もどんどん社会で活躍してくださいね!」と言っているのにどうして私は上手くその流れみたいなものに乗れないのだろう。
専業主婦が駄目だとかそういう話ではないのです。
ただこのご時世、ウチのようなごく普通の家庭だと、どんなに真面目な働き物だとしても、夫婦のどちらか一方だけが収入源というのはやや心もとない。
そう思っていた私は、それこそ長男がまだ赤ちゃんの頃からハローワークの求人や近所のスーパーの求人の張り紙を気にしてはいたものの、夜は寝ないし昼も寝ないし、歩き始めたら3秒目を離している間に家中のあらゆるものを引っ張り出して破壊するし、あの頃はとにかく手がかかって仕方ない長男と甘えん坊の長女を相手に1日をやり過ごすだけで本当に精いっぱいの日々だった。
その上、早朝に出勤して帰宅は深夜、そんな働き方をしている夫に、実家は遠方。
育児をする上で人材不足も甚だしいという生活では就職活動どころでは。
そう思っている間に子どもは1人増え、また1人増え、3人になった。
そうやって長男も長女もそれぞれに小学生になり、次女が1歳になる頃、フルタイム勤務は難しくてもパートタイムとかそれ位のことはできるのでは。
そう思っていたのだけれど。
次女はちょっとややこしい病気を抱えて生まれたもので、保育施設の利用許可が主治医から出たのは1歳半をすぎてからだった。
その競争率たるや最高学府並みであると謳われる1歳をすぎてからの保育園探しは、病気の子どものための特別枠を争うことになり、更に難関となった。
まず、私が市役所の保育課にこういう子ですが何とか…と聞きに行ったら
「エー…その枠は空きが無いですね」
窓口に座って3秒でそう言われた。
その『枠』というのは『障害児枠』というものだけれど、それははじめからキャンセル待ち状態。
求職はこれからいたしますという呑気な私はキャンセル待ちの列の最後尾につくことになった。
どうして私はいつも始まる前に詰むのだろうか。
一体何の呪いだ。
そう思って頭を抱えていた頃、『貴方がSNSで書いているような事を文章にしませんか』という1通のメールが舞い込んだ。
基本的に猜疑心に溢れている性格の私は『これはきっと罠』と大変に失礼ながら何かの詐欺を疑ったのだけれど 、メールのその方はごく真っ当なきちんとした会社員で、それで私はフリーライターの真似事のような事を始めた。
次女は月に何度も通院があり、ややもすればすぐ入院するし、長男は相変わらずだし、長女はしっかりしているようでそうでもないし、夫は激務だし、これが自分のちゃんとした生業になり得るのかは未知数なのだけれど、自宅で出来る仕事しか自分にはないと思ったのだ。
私はそれまで仕事というものは
『朝、職場に出勤して、退勤の時間まで決められた場所にいなくてはいけない』
そういうものだと思っていたので、『自宅が職場』ってなんだか変な感じだなあと思っていたのだけれど、それはここ2~3年の世の中の状況もあって一般的には特におかしなことでも、珍しいことでも無くなった。
無くなったのだけれど、これ、例えば今うちには幼稚園が例のあのウイルスのせいで休園続きの4歳児がいるもので、困難を極めるというか、例えば3000文字程度の文章を打っている間に
「ママーおやつだべたい」
だとか
「ねえねえ、次女ちゃん、いまなにつくっているとおもう?」
とか容赦なく話しかけきて挙句キーボードの上にブロックのオモチャなんかを置かれると、元々たいしてあるとは言えない私の集中力は雲散霧消、いちいち打ち間違うことこの上ない。
私はまだ物言わぬパソコンの画面を相手にしているからマシな方かもしれない、例えば会議に次ぐ会議、打ち合わせに次ぐ打合せが仕事であるという人は一体どうしているんだろう。
一度、ネットを通じて簡単な打合せをした時、先方の画面に突然にゅうっと大きなワンちゃんのお顔が出てきて「ヤッホウ!」とばかりにワン!と吠えられてびっくりしたことがあるけれど、アレは幼児も絶対やる。
『それなら、早朝とか深夜に働けばいいじゃないの』
という己の内なる自分の声も聞こえてきそうなものなのだけれど、そうなると日中、例えば先月は飛び石休園のために5日間しか登園していない次女を家事の合間に散歩に連れて行き、昼食を食べさせて、長女が帰宅しておやつを出して、それから長男が塾にいくからご飯作ってコール、逃げ回る次女を捕獲してお風呂、そして翌朝は5時半に夫が起きて6時に朝ごはん…それを避けて除けて仕事となると
「で、いつ寝れば?」
という問題が発生してしまうのだけれど、全国100万の家庭保育をしながら自宅で仕事をしている親御さん達は一体この状況をどうやりすごしているのだろうか。
それに自宅で仕事が出来ると家事をするにも融通が利くだろうと思っていたのだけれど、自宅にいると自宅にいる分、やめときゃいいのにちょっとそこに積まれている洗濯物が気になるし、お茶を淹れに台所に立てばそこにある洗い物が気になって、つい手が伸びてしまって仕事と家事がどっちつかずになる、何より
帰宅しなくて良いので、終業が無いので困る。
だって夕方、次女がEテレに夢中になってさえいてくれれば、いくらでも意地汚くパソコンの前に座っていられるのだから。
これを打っている今現在も時間は17時55分、生憎の雨模様のこの日、部屋の中に干した洗濯物はひとつも取り込まれずに全て鴨居とカーテンレールに吊るされたまま、多分今日は次女を寝かしつける21時まで叫びながら走り回る事になる。
「はやくしてー!手伝ってー!」
お母さんの色々が遅いのであって何で俺達が焦らなアカンねんと、洗濯物を早くたためと毎回急かされる長男は思っているだろうけれど、でもキリの良いところに辿り着かなければ終われない、それが母の仕事なのだ、君のゲームと同じだ。
それでは働く事はつらいですか、家事育児をしながら並行して労働し、収入を得るという暮らしはやはり長く労働から離れていた身には苦痛ですかと聞かれると。
そうでもない。
中学生、小学生、幼稚園児、それぞれの子どもの育児と、特に一番下の次女は病気のケア、それと些末な家の用事、そういうものをほとんど一手に引き受けながら、本当にアルバイト程度の小さな仕事ではあるけれどそれを続ける事はつらいからやめたいですかと聞かれると。
全然そんなことはない。
実は私は働く事が昔からとても好きだ。
だってお金がもらえるし。
そう書くと身も蓋もないのだけれど、己の労働で対価を得ると言うことから10年も遠ざかっていた私は、数年前に久しぶりに自分の名義で、私の場合はお給料ではなくてこの場合は稿料というのかな、それを私の口座に振り込んでもらった時は本当に嬉しかったし、あの時はその収入で何を買っただろう、確か子ども達、3人分の洋服を買ったはず。
と言っても某ファストファッションのお店でのお買い物だったけれど、それでも
「今日はお母さんが買うたる」
と胸を叩いた自分はちょっと誇らしかった。
しかし、それが誇らしいからどんどん働こうというのはちょっと無理な相談で、例えば昔々、まだ結婚もしていなくて子どももいない私が普通にしていた『終電を乗り過ごすレベルに働き家に帰って即寝』という激務の生活を今の私はできない、だって子どもはどうするの。
大体子どもの将来の為に働いて収入を得て、少しでも蓄えないと、そう思って働く事を望んだのに仕事をしているから子どもがないがしろになりますでは、本末転倒…かもしれない。
しかし今、自分で塾にも習い事にも、何なら友達と約束をして遊びに行くこともできる長男と長女はいいとして、まだひとりではトイレに行くこともままならない次女がないがしろになる…というかややないがしろにしている…はい、自覚はあります。
私は、働いてその対価を得るということを、子どもを3人持っても、それが微々たるものでも私だって出来るのじゃないというヨロコビと共に今
「今日、全然遊んであげられなくてごめんねえ」
と夜、布団の中で4歳児に謝り倒す苦さも知ることになった。
しかもその事をまたこうして文字に起こしているのだから自分の業の深さたるや、そう思う。
でも、やるのだ。
仕事はお金の為だし、労働はもう現代人の宿命なのだけれど、同時にそれはお母さん個人の生き方の問題でもある、多分。
そんな訳でもう19時、ごめん今からその辺片付けてご飯にしよう。
全員手伝って。
「お母さんは今日も色々頑張ったよ」私は、毎日そういう風に言える自分でいたいなと思う。