長女が幼稚園に入園した6年前を皮切りに我が家は、毎年誰かしらが新生活を迎えている。
長女入園の翌年は2歳差の弟が幼稚園の2歳児クラスに入園して、その翌年は前年2歳児クラスに入園した弟が幼稚園に本格的に入園した。
これは我が家の子ども達が通っていた幼稚園のちょっとややこしいシステムの一部なのだけど、2歳児クラスと3歳児クラス以降は同じ園舎にありながら管轄というのか、なんか知らんけど全体的に分断されていて、園服も違えば持ち物の違うのだ。
2歳児クラス入園であんなに難儀して諸々の準備をしたにもかかわらず、翌年には新たに制服だったり、上履きだったり、体操服だったり、あれこれ持ち物の用意がある。
書類も一新されるので、また一から書かないといけない。
なんてことだ。
その翌年には長女が小学校入学という重めの入学準備があって、その年は同時に末っ子が幼稚園の2歳児クラスに入園もした。
さらにその翌年は長男のときと同様、末っ子が3歳児クラスに入園し、その翌年には長男が小学校に入学した。
毎年がスペシャル。
いくつもの山場をくぐり抜け、新年度準備の猛者になったという自負がある私だけれど、今回は最も大変だった春の話をしたい。
あの4月、私は混乱と疲弊の中で「やさしさってなんだろう」という哲学的な問いとともに春を迎えていた。
あれは長女の幼稚園入園の春。
なんといっても私は幼稚園の保護者1年生だった。
長女が生まれて急にお母さんにはなれなかったみたいに、急に社会的な集団の保護者になることは簡単じゃない。
右も左もあらゆることの加減が分からない、いたいけな保護者だった私にとって、園から頂いた「入園の手引き」はまさに、すべてだった。
当たり前だけれど、ママ友と呼べる人だっていなかったし、手引きが私の手綱だった。
加えて当時、我が家には未就園の3歳と1歳の子がいて日々はまるで嵐のよう。
夫は忙しく完全に戦力外。
あらゆることが遅々として進まなかった。
そして、遅々として進まなくても暦はきちんと春を迎えて、入園に必要なあれそれは手つかずのまま、手元にあった。
クレヨンやハサミやお道具箱の記名はまだよかった。
問題は大量の巾着。
そう、巾着。
入園の手引きには必要な巾着の数は4つと書かれてあった。
そして、それぞれにサイズの指定があり、さらに
「お子様が分かりやすいよう、それぞれの巾着の色や柄、紐の色が被らないようご注意ください」
とも書かれていた。
すっかり図太くなった今の私だったら、「まあまあ、入ればいいじゃないの」という塩梅で手頃な巾着を100円ショップで買ってくると思うのだけど、なんと言っても6年前、私はいたいけな保護者1年生だった。
そんなに柔軟には対応できかねる、仰せのままに、と誠実に対応することしか考えられなかった。
そして、巾着の他にもうひとつ骨が折れたのが、制服や体操服の記名。
油性マジックでキュキュッと書かせていただきたいところを、「入園の手引き」は
「ブラウスは2センチ×12センチの白い布に記名の上、ボタンホールの下部に縫い付けをお願いします」
とおっしゃる。
体操服や体操ズボンもそのような細かいサイズ指定された白い布に書かなければならず、体操ズボンに関しては
「右足に姓、左足に名」
という具合。
不慣れな私は白い布からきちんとした長方形を切り出すことにすら苦戦した。
12センチっていったい何のための数字なのかも分からない。
姓と名で4文字しかないうちの子に12センチも要らんのですよ、と思ったけれど、そこはやはり幼稚園の保護者1年生だったから、やっぱり忠実に竹ものさしをあてて12センチを計るしかできなかった。
幼稚園という組織の全体像が見えなくて
「もしも職員室の奥のほうから、大御所審査員みたいな人が出てきて、ブラウスのラベルについてよからぬことを言われたらどうしよう」
と頭の奥がざわざわした。
私は昔から世の中の多くのことの塩梅が分からない。
サイズ通りの巾着をちまちまこしらえる日々だった。
何年かぶりのお針子は亀の歩みでしか進まなない。
縫っては解き、解いては縫っている間、なぜこんなに細かいサイズを指定してくるのか、という問いが寝不足の頭に降ってくる。
あんなに慈しみ深い笑顔をたたえた理事長先生と園長先生が、こんな非情な手引きをほんとうに配ったんだろうか。
これはもしかして何かの間違いで配られたお便りなのでは。
それとも優しさっていうのはときに数字に姿を変えてしまうのかしら。
難しいことは分からんけれど、ユニバーサルデザインってもしかしてこういうことなのかしら。
つまりやっぱりそれは優しさなのかしら。
巾着や名前札の細かい採寸に疲れた私は、この数字の向こうにはきっと、諸先生方の愛とか慈しみとか世界平和とか優しさとか、なんか良きものが詰まっていると思い込むことでどうにか乗り越えるしかなかった。
そこから毎年、準備作業に追われる3月と4月を送っているのだけれど、あの長女入園の春ほど得体のしれないものに向かっている気持ちになったことはない。
あの春、あらゆることが未知で、楽しみで、不安だった。
もちろん、職員室の奥に大御所審査員はいなかったし、理事長先生も園長先生もただ優しかった。
2年後にはブラウスの記名はタグに直書きでよくなって、ユニバーサルもへったくれもなかったし、運動靴用の巾着のサイズは自由になった。
在園期間が長い分、年々どんどんシンプルに更新されていく入園手引きに「おお」と思うし、あの頃の私に
「その細かいサイズ指定はなにか特別な優しさではなくて、ただの慣習の名残だよ」
と言ってあげたい。
さて、今年もそろそろ、少しずつバタバタと騒がしいのだけど、今年の私はひと味違う。
今年は、長女が6年前に幼稚園に入園して以来初めての「誰も入学も入園もしない春」なのだ。
そのことに先日気がついて底抜けの解放感を感じた。
胸の真ん中を爽やかな風が吹き抜けるような心地。
手放しで4月を迎えることができるという、すばらしき春の訪れが目の前で待っている。
セレモニー服の心配もしなくていい、身軽な春。
名前つけがなにも要らない春。
あまりの身軽さになんだかいっそ手持ちぶさた。
お母さんすっかりミシンがうまくなってしまったんだけど、なにか作るのものあるかな子どもたち、とつい聞いてしまいたくなる春。