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公開 2022年04月13日  

あの日、私は牛肉を買いに走った!「すき焼き美味しいよね」と見栄をはった息子を想い

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小学校のときに読んだ漫画の中に、すき焼きにとても憧れている女の子のお話があって、その彼女につい心を寄せてしまう出来事だった。


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「すき焼き」

と言えばおご馳走の代名詞なんだけど、カレーやスパゲティみたいに子どもが飛び上がって喜ぶメニューというわけでもなさそうで、お祝いだとか節目だとか、はたまたいいお肉を頂いたりとか、そんな折があったとして作ったことがなかったのだ。

例えばお誕生日やなんかのお祝いの折には子どもたちにリクエストを訊ねて、だいたいその日の主役の好物が食卓に並ぶ。

大抵それはスパゲッティか唐揚げか、お寿司かそんなところ。

たまにいいお肉を頂いたとしても、さっと炙って薬味や好みのたれでそれぞれ食べる。

そんなふうにしてやってきた。


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大食いの夫と子どもたちを抱えていると、牛肉っていうのはほんとうに気が遠くなるような食材だったりもして、お値段を見れば

「またまた御冗談を」

とつい思ってしまう。

思ってしまうので愛する豚コマ肉のジャンボパックについ手が伸びる。

牛肉を買うと言えば、ローストビーフ用の塊肉とか豪快なお料理のときか、その真逆で普段の食卓用のささやかな牛コマ肉がせいぜいだ。

薄くて、サシが入った可憐な薄切りの牛肉はなんだか繊細で、そしてもちろん高級で、私からとても遠いところにあるのだ。


さらに言うと、すき焼きにはあまりいい思い出がない。

実家の母は牛肉アレルギーがあり、すき焼きが食卓に登場するのは母が不在の日がほとんどだった。

母が仕事で遅くなると分かっているとき、すき焼きが食卓に登る。

自分の不在時にせっかくだから家族みんなが喜ぶものを、という母の気遣いだったんだろう。

すき焼きは少しお留守番の味がする。

甘辛いたれが沁みたお肉はおいしかったけれど、少し味気なくて少し心細かった。

そんな事情も加わって、私の食指が伸びることもなく、気がつけば子どもが生まれてから一度もすき焼きをこしらえたことがなかったのだ。


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先日のこと、7歳の息子が「ママ、すき焼きってなに?」と言った。

「え、すき焼き、知らないの? 肉豆腐みたいなお鍋料理だよ。」

と答えて初めて、「そうか私はこの子達にすき焼きを食べさせたことがないかもしれない」と気がついた。

「今日ね、A君が『今日の夕飯はすき焼きなんだ! 』って言っててね、すき焼きってなにか分かんなかったけど『へー!おいしいよね! 』って言っちゃった。なんでかわかんないけど、『しらない』って言えなかった」

そう話す息子の横顔がどこかさみしげでもあった。

普段、あんなに元気はつらつを絵にかいたように大胆で、声がなにかの爆発音みたいに大きな息子の、呟くような声に、お母さんなんだか心がぶるぶるしてしまう。

これが母性というものであるな、と母性の輪郭まで見えてしまった。

「明日、すき焼きにしようね!!!!」

走り出した母性は牛肉だって買わせてしまうのだ。


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翌日、宣言通り夕飯にすき焼きを作った。

食卓にのった大きなお鍋の中でひしめく、牛肉とお豆腐、お葱に椎茸、春菊。

「これがすき焼きかぁ~!」

食卓に手をついてぴょんぴょんジャンプしながら、息子は初めてすき焼きを食べる人のひな形みたいなセリフを言った。

さらに、「とき卵をつけて食べるんだよ」と卵をお皿に入れてやると、長女も加わって2人で感極まっていた。

「卵を?!卵をつけるの??卵がタレってこと?!!え??!すごーーーい!!!! 」

なんというか、初めてすき焼きを食べる外国人観光客のようだった。

人は生まれて初めてすき焼きを目の前にすると、このようになるらしい。

ごく当たり前のすき焼きの作法さえ、彼らにとっては新鮮で驚きだった。


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息子は一口食べるごとにおいしいおいしいと喜んで、お葱も春菊も椎茸もぜんぶおいしいと言って、いつまでも食卓から離れなかった。

長女と末っ子がご馳走様を言った後も、ずっとお代わりをし続けていた。

「まだ食べるの?!」と驚くと「だっておいしいんだもん」と眩しい笑顔をこちら向ける。

ああ、今日まですき焼きを遠ざけていてほんとうに申し訳ない、という気持ちと、今日まで遠ざけていたからこその感動かもしれないと思う気持ちが去来した。

なんにせよ、その笑顔が眩しくて「お母さんの分もお食べ」と母性は加速するばかりだった。


翌朝、すき焼きの残りにごはんと卵を入れておじやにして出すと、息子は再び喜んでいた。

「すっごくおいしいからお昼ごはんもこれ食べる!!! 」と言い残して登校して行き、その日は半日登校の日でもあったので、帰宅すると朝の予告通りまたおじやを掻き込んでいた。

帰宅するなり「朝のあれ!!ある??!」と言い放った笑顔を見ると、帰り道ずっと、すき焼きおじやのことを考えていたんだろうと容易に想像がついた。

きらきらした表情がかわいいし、そんなに昨日のすき焼きで高まってくれて嬉しいし、情熱的な食い意地に驚くし、お母さんの胸中は忙しい。

そんなふうに汁まですべてかっさらえて平らげた初めてのすき焼きは、大満足のうちに終わった。


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少し前まで思ったことはなんだって遠慮なく言っていた無邪気な幼児だったのに、いつの間にかちょっとした見栄を張るほどに成長してたらしい。

またひとつ人間らしくなったんだな、と思った。

子育てをしているとこういった人間臭さの萌芽を時々見ることがあって、そのたび、私が育てているのは確かに人間で、いつか必ず大人になる生き物なのね、と思い知る。

本当のことを言うと、すき焼きのお肉の半分は牛コマ肉だったし、味付けもなんだか薄くなって少しぼやけた味になってしまったんだけど、言わなければ分からない。

おいしい思い出にケチをつけるわけにもいかないので黙っておいて、またいつかのすき焼きでおいしい思い出を上書きしたらいいということに。


それにしても、台所を担う人間が用意しなければそれらのお料理を子どもたちは知ることなく大人になるのか、と胸にどすんと響いた日だった。

知らないことはちっとも恥ずかしいことではないけれど、人間って小さな見栄をはったり少し格好つけたりしちゃうことってあるものでもあって。

それはとってもかわいらしいと思う反面、手の及ぶ範囲でいろんなものを食べさせてやりましょう、と思ったりもするのだ。

けんちん汁とか、筑前煮とか、面倒が先立って手を出さないあれそれをたまにはこしらえましょうかね、とこれを書きながら思っている。


※ この記事は2024年12月19日に再公開された記事です。

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