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公開 2015年06月19日  

~なぜ子どもはみんな同じお日さまの絵を描くのか~芸術家岡本太郎が日本の教育に物申す

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有名な芸術家岡本太郎さんといえば多くの方がご存知かと思います。そんな岡本太郎さんがその著作のなかで子どもの教育に触れているのをしっていますか?そんな岡本太郎さんの本を読んで感じたことを書きます。

出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10138000457

芸術家岡本太郎の教育論

「太陽の塔」などあまりに有名な作品を作られた岡本太郎さんのことを多くの方がご存知だと思います。先日そんな岡本太郎さんの著作「今日の芸術(光文社)」を本屋で見つけ、ふと手を伸ばしてみました。



「今日の芸術」というくらいですから、さぞ難しい芸術論が書かれているのだろう、そんな気持ちで手に取った私ですが、目次の中のひとつの章に目が引き付けられました。その章の名前は「子どもと絵」。子育て真っ最中の母親である私はなんとなく心を動かされ、その本を購入することに。帰ってその本を開くことになったのでした。



それを読んだ私の感想は一言

「心を揺さぶられた」



今日は、そんなすべての親に知ってほしい岡本太郎さんの教育論の一部をご紹介できたらと思います。

皆に同じ太陽をかかせる日本の教育

岡本太郎さんは、その著作のなかでまず現在の子どもたちの様子についてこう書きます。



「幼稚園や小学校1,2年生の子どもがよくお日さまの絵を描きます。いったい丸にチョン、チョン、チョンと毛をはやしたようなもののどこに、太陽の実感があるのでしょうか。



それだけならまだよいのですが、またその下には、花が行儀よく並べてあったりする」




この言葉にはっとした方は多いのではないでしょうか。

私自身も子どものころ、絵を描くと言えば「太陽」と「花」、そこに「家」なんかを描く。その太陽は、岡本太郎さんが言うように決まって丸にチョン、チョン、チョンと毛をはやしたもの。そんな絵をたくさん描いていた気がします。



なぜこのように皆同じような絵を描くようになってしまうのか。それについて岡本太郎さんはこう続けます。



「(子どもは決まった形の太陽を)たいへん便利だから描いているのです。どの子どもも、自分でつかんでいる実感としてのお日さまを描いているのではありません。」



「こういうチャッカリとした型どおりの絵にかぎって、先生が『たいへんお上手にできました』なんて、二重丸、三重丸をくれたりすることが多いのです。(中略)だから、子どもたちは、こういうものを描けば無事なんだナと思って、いつでも便利な符号でツジツマを合わせるようになるのです」

大人の期待に添いたいという「子どもらしさ」

この岡本太郎さんの言葉に私が思い出したことがあります。



それは私が小学校2年生だったときのこと。ある授業で「ガリバーの冒険」のお話を聞き、印象に残ったシーンを絵にする、という時間がありました。



そんなとき、ふと先生が1人の生徒の前で足を止め、ひとこと言葉をかけたのです。



「○○君はこのシーンを選んだんだね。ここは、物語の中でもっとも重要な場面。とってもいいね。」と。



そして翌日、教室の外に張り出されたみんなの絵。それは見事に、あの時先生が「いいね」と言った場面ばかりでした。



かくいう私もその場面を書いたひとり。あのときはうまく言葉にできなかったけれど、あれが私にとっての「丸にチョン、チョン、チョンと毛をはやしたお日さま」、そして便利な「型」だったのだ、と今ではよく分かります。



「子どもらしい」という言葉は普段の生活のなかでよく聞く言葉です。そこには「無邪気」「自由」そんなイメージがあると思います。



でも実際、子どもたちは周りにいる大人の反応をよく見ており、どうしたらお父さん、お母さん、そして先生が喜んでくれるのかを無意識のうちに考えています。ある種それがひとつの「子どもらしさ」とも言えます。



そんな「子どもらしさ」を持って、子どもたちは次第に「同じ絵」「褒められる絵」を、なんの違和感もなく描くようになっていきます。



こうして身につけた評価されるための「型」は大変便利だからこそ、人は大人になっても自分の本当の想いや気持ちではなく、「型」を使ったコミュニケーションをするようになってしまう。



その結果、本当に思っていることを発信できない、あるいは自分が本当に何を望み、何を言いたいのかが分からない、そんな大人を量産することになってしまうのではないでしょうか。

子どもの「生命力」が花開く社会へ

岡本太郎さんは、「表現欲というのは一種の生命力で、思いのほかに激しいものです」と言います。



そんな子どもたちの「生命力」である表現欲、個性を私たちはしっかりと受け止められているでしょうか。知らず知らずのうちに、社会の求める型のなかに、その「生命力」をはめこもうとはしていないでしょうか。



岡本太郎さんの言葉の一つひとつに私は「心を揺さぶられ」ました。



それは、その言葉を発する岡本太郎さん自身が、社会の型にはまろうとしない斬新な芸術をあくまで発信しつづけていた人だからなのだと思います。



人の心を動かし、揺さぶるのは社会で求められている「型」ではない。一人ひとりが本来持っているはずの「生命力」である。



少なくとも、私は自分の子どもに、私と同じような「ガリバーの絵」は描かせたくないと思うのです。



子どもたちの「生命力」であふれる社会にするために、大人として何をすべきか。ゆっくりと考えていきたい、そう思います。

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