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公開 2022年06月21日  

「残念ね」と言われた帝王切開で、深まった子どもの愛おしさ

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Twitterでも大人気のコラムニスト、そして二児の母の深爪さん。自身の幼少期、そして現在の育児に悩みながらも綴った『親になってもわからない 深爪な子育てのはなし』(深爪著/KADOKAWA)は、笑って泣ける共感必至の育児エッセイ。その一部をご紹介します。


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帝王切開は「残念」なのか


「普通」の意味についてあれほど真剣に考えたことはない。

二度目の出産を終え、退院するその日のことだ。

私が入院していた産院では、退院のときに院長はじめスタッフのみなさんが見送りしてくださるのが恒例である。

病院の出入り口で次々と「おめでとう」の言葉をかけられて感極まり嬉し涙を拭っていたとき、頭上から耳を疑うような言葉が降ってきた。

「もう少し頑張れば普通に産めたのに、残念だったねえ」。

ある助産師さんのひとことである。

「ともあれ、母子ともに健康でよかった。おめでとう」と付け加えられたが、帰りのタクシーのなかで、生まれたばかりの娘を抱きしめながら、ただただ悲しくて仕方がなかったことはいまも鮮明に覚えている。

長女は出産予定日を過ぎても生まれる気配がなかった。

一人目は予定日の1ヵ月も前に破水して、あれよあれよという間に生まれてしまったので二人目もスルっと出るものだと思っていたが、まったく兆候が見られない。

不安になり診察を受けると「胎児の心拍が落ちているので緊急帝王切開手術の必要があります」と告げられ、動揺のあまり「心の準備ができてないです。一旦家に帰っていいですか?」と返事してしまった。

「赤ちゃん、危険です。あと、心の準備しないでいきなり切ったほうが怖がる時間が短くてすみます。すぐ切りましょう」。

「怖がる時間が短くてすむ」の説得力がありすぎて、勢いで「わかりました」と返事してしまった。

夫に「切腹決定」とメールを入れる。

茶化さないとその場で泣き出しそうだった。

生まれて初めての開腹手術もさることながら、赤ちゃんが死んでしまうかもと思うと怖くて仕方がなかった。

オペの時間になり手術室に向かった。

腹を切ることよりも半身麻酔注射の恐怖に震えていた。

ただでさえ注射恐怖症なのに、背中に極太針をぶっ刺すなんて想像するだけで軽く尿漏れしてしまう。

「じゃあ、麻酔しますね~。痛くないおまじないしますよ~」。

担当の女医さんがベッドで横になった私の背中をチョンチョンチョンと指で3回押した。

日本広しといえど、注射の前におまじないをしてもらうアラフォーは私くらいのものだろう。

おまじないが効いたのか、注射はまったく痛くなかった。

もしかしたら痛すぎて記憶がないだけかもしれない。

「それでは切りま~す。ちょっとおなかが押される感じしますが、すぐに終わりますからね~」。

いま思えばバカげた妄想だが「うっかり赤ちゃんを切りつけてしまうことはないだろうか」「いま、でっかい地震がきたら腹が開いたまま逃げなきゃならない」と考えうる限りの最悪の場面を想定して涙が止まらなくなった。

何かを察知したのか、私のそばにいた看護師さんが「もうすぐ赤ちゃんに会えますよ。頑張ってくださいね」と声を掛けてくれた。

彼女の言葉のとおり、しばらくして娘は無事腹から取り出された。

執刀してくれた先生が「へその緒がヨン様みたいに首にグルグルと三重巻きになってました。これじゃあ降りてくるはずないです。切ったの正解」と教えてくれた。

全身を真っ赤にして泣き声を上げる娘を見て「生きてた……よかった……」と安堵し、薄れゆく意識のなかで「ていうか、ヨン様って……」とツッコんでいた。

回復室で目を覚ますと喉がカラカラだった。

しかし、24時間は水を飲んではならないという。

口に含んでゆすぐだけ。

水を飲めないことがこんなにツラいとは思わなかった。

そして、想像以上におなかの傷口が痛んだ。

タイミングが悪いことに風邪をひいていたので咳をするたびに、腹部に激痛が走る。

こんな状態にもかかわらず、看護師さんから「歩いてお部屋まで移動しますよ」と鬼のような宣告を食らった。

術後は早めに歩いたほうが回復は早いという。

点滴のガラガラを握りしめながら腰をかがめてヨロヨロと歩く。

産褥婦というよりおじいちゃんである。

「帝王切開は楽でいいね」とのたまう人がいるが、経腟分娩も経験している私に言わせれば、あれはウソだ。

ぜんぜん楽じゃねえ。

おそらく分娩中に麻酔で痛みを感じない点をもってして「楽」と考えるのだろうが、とりあえず、腹を20センチ切られてから言ってほしい。

麻酔は永遠に効いているわけではないのだ。

出産は「みんな違ってみんな瀕死」だと思っている。

どんな方法であれ、命を懸けて子供を産むのだ。

心身ともに「楽」であるはずがなかろう。

外野はすっこんでろとしか言いようがない。

そこで冒頭の助産師の「残念」発言である。

出産経験のない人や男性の知識のなさゆえの暴言は「知らんのだろうし、ま、仕方ないわな」と流せることもあるが、出産のプロである助産師が患者に「思想」を押し付けるようなことはあってはならないと、私は思う。

おそらく、彼女のなかには「自然信仰」があり、帝王切開は「不自然」で「普通」ではないのだろう。

だが、それは個人の胸の内にとどめるべきで、精神不安定な産後の母親にわざわざ伝えることではない。

また、「陣痛を経験しないと母性が芽生えない」と真顔で述べる人もいるが、痛みを感じて初めて親になれるというなら、父親は一生親になれないことになる。

穴だらけの理屈だ。

出産に限らず、「苦労をすれば愛情が深まる」という謎理論には承服しかねる。

むしろ「これだけ苦労したんだから」と無意識に見返りを求めたり、「あれだけ苦労したのに」と勝手に落胆したり、苦労すればするほど「愛情」とはかけ離れた感情が深まっていくことだってあるだろう。

苦労教の信者のみなさまにおかれましては、いま一度認識を改めていただきたい次第である。

今年めでたく10歳の誕生日を迎えた娘は、幼児の頃からマフラーが大好きだ。

たいして寒くもないのに「マフラーを出してほしい」とせがむし、夏でもタオルを首に巻いてご満悦である。

庭でプール遊びをさせていて少し目を離した隙に、水まき用の長いホースを首に巻こうとしていたこともあった。

そういえば、胎児の頃から首に長いモノを巻き付けるのが好きだったっけ。

「三つ子の魂百まで」というが、人間の気質は生まれる前から決定づけられているのかもしれないと、とにかく首に長いモノを巻き付けたがる娘を見ながらしみじみと思うのだ。


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【作者プロフィール】
1971年生まれ。コラムニスト。2012年11月にツイッターにアカウント(@fukazume_taro)を開設。独特な視点から繰り出すツイートが共感を呼び、またたく間にフォロワーが増え、その数19万人超(2022年6月現在)。二児の母業の傍ら、執筆活動をしている。芸能、ドラマ、人生、恋愛、子育て、エロとジャンルは多様。主な著書に「親になってもわからない」「立て板に泥水」「深爪式 声に出して読めない53の話」「深爪流 役に立ちそうで立たない少し役に立つ話」(すべてKADOKAWA)。


※ この記事は2024年11月14日に再公開された記事です。

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