習い事の話ともなると、「あの教室は教え方がうまいらしい」「英語教室は3才までに行ったほうがいい」など、「何の教室に通うか」「何歳になったら始めるか」といった話に焦点が当たりがちです。
でも、私がそれ以上に重要だと感じているのが、「なんのために習い事にいくのか」を親がしっかり考える機会をもつということです。
例えば、
「幼児教室で英語を身に付けてほしい」
「ピアノを弾けるようになってほしい」
習い事を始めるときに、親がこういった「短期的」で「具体的」な目的を持っているか、
「いつか何かの役に立つかも」
という「長期的」で「漠然とした」目的を持っているか、
そのスタンスの違いによって、どんな習い事であっても、やる意味合いや子どもへの働きかけが異なってくると感じているからです。
個人的には、習い事に関しては「短期的」で「具体的」な目標は親は持たなくてもいいのかもしれない、と思っています。なぜなら、「できた」「できなかった」という軸でしか子どもの成長を捉えることができなくなってしまうから。
私自身は、習い事をもっと「長期的」で「漠然」とした目的で捉えることによって、親も子どももゆったりと、そしていきいきと習い事を楽しめるのではないかと思っています。
でも、「長期的」で「漠然」とした目的で習い事を捉えるってどういうこと?そう思われる方もいるかもしれません。
ですから、今日は「長期的」で「漠然」とした目的で捉えるためのコツ~習い事の起承転結の法則~についてお伝えできればと思います。
まずは、習い事の「起」の法則。ピアノを習っていれば、ピアノを弾けるようになることがゴールだと思いがちですが、まずはそこから思考をずらしてみましょう。
習い事は、子どもが何か他の事柄に興味を持つときに、「起」点、つまりきっかけとなる可能性があります。
ピアノを習っていれば、ピアノを弾けるようになるだけでなく、そこからピアノの構造に興味を持ったり、音楽の歴史に興味を持ったりすることもあるかもしれない。
私自身、小さい頃複数の習い事をかけもちしていたのですが、それぞれの教室での先生の接し方が全く違うことがとても印象に残り、大学で「教える」ということを専門に学ぶ教育学部に進学をすることに決めました。
このように習い事は、他の物事を知り始める際の起点となることがあります。
次は、習い事の「承」の法則。承という字には、「受け入れる」という意味があります。
習い事をしている上で重要なのは、自分自身を受け入れる機会が多くあるということ。例えば、子どもたちは習い事を通して「できない」ことに向き合う必要がでてきます。
私の子どもの場合はサッカーを習っていましたが、なかなかレギュラーになれず、自分の不得意に直面することになりました。でも、それも自分を受け入れるという習い事の1つの重要な側面です。
また、習い事は、得意・不得意だけでなく、その子の好き・嫌いを知る機会にもなります。ピアノを習ってみたけど、あまり好きになれなかった、打ち込めなかった…そういった好き・嫌いを知ることができることで徐々に子どもは自分自身のことを深く知っていくことができます。
そして、習い事の「転」の法則。
私は3歳のころからピアノを習っていましたが、高校生まで続けても残念ながら人並み以上には弾けるようにはなりませんでした。でも、ピアノを通じて学んだ強弱の付け方、抑揚の付け方、リズム感は、大学時代に入っていた演劇サークルでの表現力を支えてくれていたと実感しています。
そして、その演劇で身に付けた度胸や演技力は、企業に就職してから人前で発表したり、プレゼンしたりする際に大いに役に立つことも。
そこで感じたことは何事も「転」じて何事かの資産になるということ。習い事で身に付けたものは直接何かの役に立たなくても、めぐりめぐってその子どもの財産になると考えましょう。
最後に、習い事の「結」の法則。
習い事というのは、何を習うかも重要ですが、その場にいる友だちと縁を「結」すぶことだと考えています。習い事を通して、人間関係について学ぶだけでなく、友達の良いところを見て自分自身に生かすこともできる。
習い事を通して結ぶことができる人間関係もまた習い事の魅力の1つです。
この「起承転結の法則」の考え方を持っていれば、「ずっとやっているのにピアノがうまくならない」「本当にこの習い事は意味があるのかな」という不満や不安を減らし、親も子どもも習い事を楽しむことができるようになります。
そして、「起承転結の法則」を通して私がもう1つ伝えたかったのは、習い事だけでなく、子育ては「どんなことでもきっと何かの役にたつ」という長期的で漠然とした感覚が重要なのではないかということです。
「子どもの将来のために、○○をしなきゃ」
こうやってガチガチに固まった思考をしてしまえば、親も子どもも苦しくなってしまうもの。
「どんなことでもきっと何かの役にたつ」
こんなスタンスを持って、私は子どもと一緒に育っていけたらな、と思います。