新生児と2歳児のいる生活
長男が2歳5ヶ月の時に妹である長女が生まれて、長男は兄になり、私は2人の子どもの母親になった。
「2人子どもがいたらどんなに楽しくてすてきな生活でしょう」
既にひとりを産んで育てているこの私にそこまで困ったことなんかはないだろう、万事快調で快適な育児生活が送れるはず…なんてことは、もとが心配性の人間なものでひとつも思ってはいなかったし、2人子どもがいればその分、手間も時間も責任も2倍になるはずで、それなりに覚悟も準備もしているはずだった、それに丁度その頃まわりは2人目の出産ラッシュで
「もーホントに大変なのよ…」
なんて、先に2人目を産んでいた友人達のため息に似た愚痴をたくさん聞いてある程度準備もしていたのだけれど、実際に2人目の赤ちゃんがやって来て、新生児とその傍らに遊びたい盛りで片時も目を話せない2歳児がいる生活というのはちょっと、私の想像を超えていた。
まず地球に生きるどの生物にも24時間あるはずの私の時間が半分に縮小されてしまった。何をするのにも時間がない、洗濯ものはたまり、子どもの食事はともかく自分は子どもが食べ残したものを家事の合間につまみ、着るものは適当の極み、この頃の私の顔には眉毛というものが存在していなかった。
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いやしかし、長男が幼稚園に通うようになればもう少しはマシになるだろう、そう思っていたら、いざ幼稚園生活が始まると毎日幼稚園のバスの来る時間に「ママがいい!」と言って玄関のドアノブにしがみついて動かなくなる3歳児をバス停に運ぶだけでひと仕事、それでも少しずつ幼稚園に慣れてきてお友達と遊ぶようになると今度は帰りのバスを降りた瞬間に「お外で遊ぶ」と言って家に帰らず、今度は家に連れて帰るのにまたひと苦労。
その頃の長女はやっと1歳と少し、立ったり歩いたり、それからちょっとしたおもちゃを手に取って遊ぶようになった頃で、私はこれならそろそろお兄ちゃんと一緒に遊んだりできるかしらと淡い期待を抱いていた。
私自身は3人きょうだいで、姉と弟とは子どもの頃にとにかくよくケンカをしたけれど、きょうだいとは一番身近な友達でもあるもので、ケンカしながらも一緒によく遊んだ。
もう中年になった姉と弟と私が集まると何となく「昔コレして遊んだやんな」という昔話になる。
私はそういう思い出の共有のようなことがとても好きで、長男と長女もそんな関係になってくれたらなあと思っていた。
兄と妹がはじめて一緒に遊べた「記念日」
しかし同じ親から生まれたきょうだいとは言え、長男と長女の2人は性格や好みが全く違うなあということに私は結構早くから気が付いていた。
息子はとにかく活発でお外が大好き、お砂場を見ると掘り、水たまりを見ると飛び込み、そこにあるだけのタンポポを摘んでは綿毛をふうふう吹いて、1分たりとものひとつの場所にじっとしていられない、あまりおままごととか、赤ちゃんのお世話とかに興味のある性格をしていなかった。
それだから『妹』が家にやって来た初日から
(…なんだこのふにゃふにゃした生き物は、いもうと?しらないよ、もといた場所にかえしてきてよ)
そんな感じの視線を投げかけていたもので、あまり『待望の妹』という感じではなかった。
一方の妹は、新生児というのはあまり視力がよくないものらしいのだけれど、それでも早い頃から兄を目で追うことといったら母親の事を忘れているのじゃないかと思う程で、さあやっと1歩2歩、歩くことのできた頃には、お兄ちゃんのやることなすこと全部を真似することに情熱を燃やす娘になった。長女の母子手帳の『1歳の頃』の記録には私の文字でこんなことが書かれている。
「お兄ちゃんが大好きなようすですが、兄の方はあまり興味を示しません」
何という片思い。
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それでも世界で唯一の妹と兄、折角なのだから仲良く一緒に遊べたらいいのに、思い出を共にする仲間のある人生というのは、それが無いよりもきっと楽しいものだよと、そこだけは自信と確信のあった私は、ある日
「さあ、長女ちゃんとあそぼーっと」
と絶妙にわざとらしく長女の周りにブロックを置いてみた。それは長男が1歳の頃に購入したレゴ®デュプロで、思えば私の昔々もっていたレゴ®ブロックも親戚のお姉さんが使っていたお下がりの年代物だった。それで私はそのブロックをひとつはいどうぞと手渡してみたのだけれどそれは
(えっ…なにこれ)
という表情とともにあえなくぽろりと床に落とされた。うーんちょっと渡すだけじゃあ意味がわからないか、そう思った時、背後では長男が
(おれがいかにすごくてかっこいいものをつくれるのかみせてやろう)
と言わんばかりの表情で、独自に高い塔のようなものを建設していた。長男はこの頃3歳と少し、それまでは横に長い新幹線を模した作品ばかり作っていたのがさすがにそれには飽きたのか、縦に高くブロックを積み上げることに情熱を燃やしていた。
そんな兄が天井に向ってブロックをどんどこ積み上げてく姿に畏敬の(たぶん)まなざしを向けていた長女は、身長が100cm位の長男の肩位までの高さになったブロックがいよいよバランスを崩してがちゃんと横に倒れてしまってもそれはそれで大喜び、ゲラゲラ笑って手を叩いた。
そうしたら長男は、傍らの妹がきゃあきゃあ言って喜ぶのをそれはそれで「わるくないな」と思ったのかまた何度もブロックを積み上げては倒して妹を大喜びさせ、すっかり気をよくして最後には自らトラとかおサルさんのパーツを長女に手渡したりしてくれた。
この時のことを私は母子手帳の1歳半の成長の記録の自由記入欄、メモのスペースのような場所にこう書き残している
「どんな遊びが好きですか→ブロックを兄に手渡されると喜びます」
あの繁忙極まる毎日の中にそんなことを書いたのだから、あの時、2012年の冬、34歳だった私は相当、嬉しかったのだと思う。3歳の長男は幼稚園児になってから遊びの世界がぐっと広がっていて、それは妹である長女の世界とちゃんと繋がってまた広がっていくのだなあって。
二人の関係性を築いた「遊び」
そうして、少しずつ一緒に遊ぶということを覚えた3学年差、正確には2歳5ヶ月差の兄妹の現在は、毎日飽きもせずに喧嘩をするし、ちょっとしたことで、例えば自分の本を枕にしただとか、おやつをほんの少し多く食べたとかホンマにしょうもないことでモメては
「おかーさん!お兄ちゃんが!」もしくは「おかーさん妹が!」
と私に訴えてくる。とてもうるさい。それでも姉になった長女は赤ん坊の頃のまま気の優しいおっとりした10歳の娘になり、新しくきょうだいに加わった方の妹はとにかく気が強くて短気、2人の性格は全然違う。それでも喧嘩を挟みつつ仲良くブロックで遊ぶ。
社会性と他者との関係性、それの基礎は遊びなのだろうなと、私は児童発達の専門家ではないけれど3人きょうだいの親としてはそう思ったりするのです。
子ども達が集まって一緒に何かをするとそこには軋轢も生まれるけれど、軋轢があってはじめて、人間は個々に好みも性格の違いもあるのだということを知るし、違いを知ると今度はそこから新しく関係が生まれる。
何より、同じ遊びの思い出という共通概念をもつ誰かとは、それがきょうだいではなくとも、一緒に空想の世界の王国を城を築いた大切な仲間として、大人になってからもずっと良い関係を持ち続けられるのではないかなと、私個人は思うのです。
【執筆者:きなこさんより】
思い出の中にある玩具というものは子どもの楽しみで、同時に人間の大切な感性を作るための手助けをしてくれるものではないでしょうか。
大人になって、自分の昔の遊びや、いまの子ども達の遊びから広がっていく関係性や自己表現をみていると、そんな風に思います。
レゴグループ90周年の節目ですが、お陰様でうちの子は全員いまだにレゴ®デュプロでも遊びます。
子どもの「遊び」を大事に
子どもたちにとって、一番大切なのは「遊ぶこと」。
親やきょうだい、友達と思い切り遊ぶことで創造力や感受性がはぐくまれ、社会性など生きるために大切なスキルも自然と身についていきます。
子育ての考え方が多様化している現代、子どものために何をすればいいだろう、と悩むことも多いでしょう。
ためになる遊びをしなければ!と難しく考えなくても大丈夫。
遊んでいるのをただ見守ってあげたり、のびのびと遊べる環境を整えてあげるのも親として大事な役割です。
レゴグループ創立90周年を祝って、世界中を遊び場に!
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