ここ数年、夏のお出かけもいろいろと気を揉むこと、今は少し控えた方がよい瞬間、そういうものが増えてきて、しかしそれでも夏休みは夏休み。
とりわけ太陽の下を駆けまわることの好きな、うんと活発なお子さんのいるお家には、長い夏休みは大変なことも多いことでしょう。
「一日が長すぎる…」
という言葉もちらほらと聞く今が夏休み真っ最中。
東の空にまだ朝焼けの名残のある時間帯、虫取り網を持って駆けるお子さんの背後に控えるお父さんの瞳がやや屍の様相をしていたのをゴミ捨てに行った時に見ましたが全国の「活発すぎて家に置いておけない幼児」の親御さんお疲れ様でございます。
うちにもそんな「活発過ぎて家に置いておけない幼児」がいた時代がありました。
でもそれはもう10年近く前のこと。
その頃も当然夏は暑くて長男は幼稚園児でした。
幼稚園の夏休みって7月の20日ごろから8月31日までみっちり1ヶ月以上もあるのですよ、そして育児業界は日進月歩というかドラスティックに変容するのが常で、あの時代の長男の幼稚園には夏季保育とかあずかり保育とか呼ばれる、休み期間の一時保育のようなことがまだ整備されていなかったのです。
それは1ヶ月と少し、甘えん坊の長男と、当時まだ乳児だった長女とべったり一緒の夏休みだということ。
その2人の母親である私は保育園育ちで、その周りも保育園に通う子どものあるお友達ばかりで幼稚園の世界をよく知らなかった。
それで「夏休みが1ヶ月以上ある」という事実に眩暈がしたものでした。
この3秒もじっとしていない長男とずーっと一緒の夏休み
「…これはやせそうだな」
そう思ったものでした。
そして幼稚園の夏休みには宿題がある。
これもまた、北陸の実家の、それもごくのんびりした時代の保育園しか記憶にない私には大変に驚きの事実でした。
と言っても長男(と長女と次女)の通っていた幼稚園というのは、小学校受験を目標にしているとか、右脳教育に物凄く力をいれているとかそういう所ではなかったので、それは『宿題』と言っても簡単に夏の思い出と毎日のちょっとしたことを、例えば今日はお母さんのお手伝いをしましたとか、近所の人にちゃんとごあいさつをしましたとか、頑張ったことがあればシールを張りましょうなんて感じの、ごく簡単な日記のようなものだったのですがそれは
「親が全部書いてあげるのよな…」
そう思って愕然としたのは10年前の私でした。
だってさすがに3歳の子には
「きょうはこんなことがあったよ」
なんてひとこと日記みたいなものは書けないものねえ、書かないよねえ、やっと平仮名が読めるか読めないかの、そういうお年頃の子どもには。
それにあともう少し大きくなった頃にやってくる小学校の宿題もまた、あれはきっとママとパパの宿題でもある。
朝顔の観察、なんだか手の込んだ工作、何から書いていいのかわかんないと言って泣きだす読書感想文。
お陰様で父親も母親も忙しくその上農家でもあって、夏休みは何をしましたかと聞かれると
「お墓参りを…」
としか答えられずに生きてきた私は突然、子ども時代の夏休みを仕切り直すことになったのです。
それだから、産後の体を海女さん御用達みたいな水着に包んで市民プールで子どもと一緒にぷかぷか流されたり、自然公園の中にある小川でカワムツという小さくてかわいい魚を捕まえたり、あとは北陸の実家に行き、庭の畑でトマトをもいだり、実家で飼われている柴犬をなぜだかもしゃもしゃと洗うことになったのでした。
犬は、とても迷惑そうでした。
元々インドア中のインドア、内向性のカタマリ、太陽光の下では本が読みにくいのよという人種であった私はここであることに気が付くのです。
それは「子どもと本気出して遊ぶと案外楽しいな」ということと、それから
「あしたはどこに行って何をしようか」
と言ってわくわくした顔をしながら私の顔を覗き込んでくる当時3歳の長男の顔が瞳がとても輝いていること。
あの頃の長男は今よりずっとむずかしい子で、特に年少の1学期、毎日とても機嫌が悪くて毎朝幼稚園にひっぱっていくことが大変すぎて「幼稚園とは一体何なのだろう…」と親として割と本気に自問する日々でした。
それは多分3月生まれで同じ年少児のお友達と比べて言葉で上手く要求を伝えられないとか、その前の年に突然生まれて来た妹のことがあって「ちょっと待って」が生活にうんと増えてしまったことへの不満だとか、初めての幼稚園生活、私も長男も周囲について行くのがやっと、そういう色々が積み重なっても少しくたびれていたのだろうと、10年経った今となれば、そう思うのですけれど。
その生活の後にやって来た夏休み、幼稚園バスの時間のしばりのない生活と、それから1週間ほど私の実家に出かけてじいじとばあばと、同居の姉、長男にとっては伯母にあたる人にうんとちやほやされた長男は夏休みの終わる頃、なんだか少し穏やかな顔になっていました。
頑張って頑張りすぎていた幼稚園生活を少しお休みして、寝坊して夜更かしして、大人に甘やかされて。
夏休みにはそういう「日常から一旦退避する」という効能というのか役割があるのだなあと思うのはその物凄く大変な、幼児を毎日遊びに連れ出して昼食を食べさせ隙間時間に夕飯の準備をして、さらにその隙を見て乳児の長女のおむつを替える、そういう生活を一旦終えてやっと気が付いたことで、現在進行形の時には私もこう思っていたことでした。
「地獄や…」
その地獄の中で仕上げた夏休みの宿題、それの表題はこの10年変わらず「たのしいなつやすみ」で、幼稚園の先生方が表紙を描いてホッチキスで閉じた小さな冊子は最後のページに「夏休みの思い出の写真や絵を貼りましょう」というのがあって、それを美しく埋めることに10年程前の私は血道をあげたものでした。
だいたい世の中にはこういう、写真やイラストを駆使して可愛らしい夏の一枚を作ることが本当に上手な方が多いではないですか、この点、特に絵心という部分においては、実家の柴犬の絵を描いたら
「牛?」
などと言われる私はとても自信がないもので、とにかくそれらしく楽しい写真を撮って埋めてということに必死になったのですけれど、それは今アルバムのある書棚の中に大切にしまわれて時折、例えばこういう夏休みのある時に私ではなくもう中学生になった長男が
「見てくれ俺の超絶可愛かったころを」
なんて言いながら現在その写真の中の自分と同じ年頃の妹に見せてやっているもので、彼にとってもあの3歳ごろの夏の思い出はとても楽しいものとして脳細胞のどこかにちゃんと記憶されているのだなあと思ったりするのです。
何より、あの頃のあどけなくてほっぺたのふくふくしている3歳の長男の可愛らしいことと言ったら、今はすっかり背が伸びて顔は細面、声なんか低すぎて時折
「うちの中に不審な男が!」
と勘違いして飛び上がる程なのに、写真の中の長男は今4歳の次女の勝気な顔にそっくりのまんまるの笑顔で、それだけでもあの夏「苦労した甲斐がありました」というもの。
さて、今年の夏休み、世間の時流の色々が邪魔してお出かけのネタにはやや苦労するものの、次女はベランダで長女の学校の課題の小さな稲のプランターを育て、手作りのアイスクリームを長男と作り、あとは…あとの思い出作りのネタはまだ思いついてないのですけれど、10年後に
「ほら、次女もこんなに可愛かったんだよ」
14歳になった次女を目の前にして私がなつかしさで嘆息を漏らす、そういう思い出を作ることに勤しんでいます。
そして次女は毎日寝坊して少し夜更かしをして、あと、夏休みはこんなに忙しいのにやっぱり、私はやせません。