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公開 2022年08月24日  

途方に暮れたあの夏よさようなら。今年のわたしは、夏休みの終わりがさみしい(2ページ目)

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夏休みのハードルがほんの少し下がった今年の夏でした。
みんな大きくなってるみたい。



これまでのほとんどの夏がそんなふうにただ消耗していた。

日々が混沌としていて、余白を持て余して、声と声と声が私ひとりに向かって放たれていて、常に何かしらの液体がそこかしこでこぼれていた。

夏休みと言えばずっと返事をして、ずっと床を拭いて、合間にごはんを作るものだった。

気が付けば脈絡のないたくさんの「ママ!!!」は幾分減ったし、食事の用意は変わらずあるけれど、液体がこぼれることも週に1回くらいだ。

子どもたち3人でいっしょに遊ぶことも増えたし、その分ケンカもあるけし、それなりにうんざりもするけれど、仲良く遊んでいる時間があるからこそだと思えばまあ。


予定が詰め込まれるのは退屈させないですむし、抱っこが必要な子もいないし、お昼寝の時間を気にする必要もなければ、寝起きにぐずぐず泣く子もいない。

スイミングの短期教室へ行って、帰ったら宿題、お昼ご飯、お昼からは自由時間という、そんな予定もそれなりに予定通り進んでいく。

予定なんてあってないようなものだったあの頃には考えられないこと。

予定が立てられるうえに、そんなにハラハラしなくてすむ。

サンダルを左右反対に履きたいのに上手く履けないと言って泣く子もいないし、捕まえたバッタをずっと握ったままでいたいと地団太を踏む子もいない。

牛乳をコップのすれすれまで注ぎたいとごねる子もいなければ、お風呂場をトリートメントでヌルヌルにする子もいない。

お友達が続々と遊びに来てくれるけれど、みんな言葉がちゃんと通じて、座っておやつを食べて、順番にボードゲームをしたり、お絵描きをしたり、仲良く遊んでいる。

せわしなくはあるけれど、なんというのか、人間らしい暮らしをしているなと思う。


いろいろがうまくかみ合わなくて、泣きたくなる日もまだまだあるけれど、そういう日は「そういう日」だと思えば明日も頑張れるというもの。

「そういう毎日」ではなくなったのだ。

途方もない余白の上にで袋叩きにされているようなあの壮絶な夏休みよ、さようなら、私は今年からこの世界線で生きることが決まったらしい。


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まだまだ肩で息をするような日々だけれど、今年の夏は楽しい。

初めて「夏休みがもうすぐ終わる」を、安堵ではなくさみしさで感じている。

こんな夏がいつかやってくるなんてこと、想像もしなかった。

点滴で乗り越えたあの夏の私に教えてあげたい。

もうすぐ今年の夏休みが終わる。


※ この記事は2024年08月20日に再公開された記事です。

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