「ママぁ、もう少し若くなることってできない?」
ある日、かわいいお顔で息子が言った。
30代の終わりが近づいて、ここ数年は不調を感じやすい。
髪だって肌だって乾燥しやすくなっている気もする。
寄る年波には抗えない。
けれど、人生まだ一桁の子どもにとって20だろうが30だろうが40だろうが、そんなに違いもないでしょうに…と図々しくも思っていたので驚いた。
「え!どうしたの!」
「もっとさぁ、つるんとしたりしないの?」
つるん、というのはつまりハリとかツヤとかそういうあれを期待しているんだろうか。
「だって、もっと若くなったら赤ちゃん産めるでしょ?」
息子はずっと赤ちゃんを欲しがっている。
末っ子が産まれたときはそれはもう喜んで毎日のように抱きしめていた。
末っ子の2歳も3歳も、ずっとお兄ちゃんらしく絵本を読んであげたり一緒に遊んだり、それは仲睦まじかった。
けれどそんな末っ子ももう年長さんになって、すっかりお姉さん然としている。
まだまだお兄ちゃんぶりたい長男をよそに、「私はお姉さんなんだから」と末っ子は対等であろうとする。
喧嘩をしてもちっとも負けていない。
というか兄に勝ってるし、泣かせてもいる。
あの、小さかった末っ子が恋しいのかもしれない。
小さい弟や妹がまた生まれたらいいのにと思ってやまないらしい。
いつだったか「ママがなかなか赤ちゃん産んでくれないから早く結婚してお父さんになる」と言い出したりもしたので、よほど赤ちゃんがほしいのだろう。
とはいえ、そう簡単な話でもないし、ほしいと言われてポンと産まれるものでもないのだ、当然。
「ママがいくら今よりつるんとしたって赤ちゃんが産まれるかというと、それとこれとは別物なんだよ」
そんな話を少しして、まあそれはそれとしながらもあれこれ考えてしまう。
産むとか産まないとか産めるとか産めないとかはとりあえずおいておいて、もっと、つるんとしたい。
息子に言われてからというもの、つるん、のことばかり考えてしまうのだ。
つまり、今の私はつるんとしていない。
私がつるんとしていたら彼もそんなことを言わないはずだ。
鏡を見れば当然と言おうか私はやっぱりつるんとしていない。
少しぼやっとして、少ししわっとしている。
つるんとしていない私を直視したら、なんだか大きな課題を突き付けられたような気がして、「なんとかして、つるんとしたい」とむくむく欲求が沸き上がった。
そもそも、ここ数年ろくなお化粧をしていない。
なんとなく、手癖でなにかお化粧らしいことをしてはいるんだけど、なんというか、それはあくまで手癖の範囲に過ぎなくて、目的のない小手先のお絵描きのような、なんとも雑なものだった。
お化粧をしましたよ、という既成事実のみが手に入っている…そんな感じ。
それはつるんともしなければ、つやっともしないし、なんの新鮮味もないただの「段取り」だ。
さらに言うと、アイメイクに関してもここ数年は施してみてもどこか不自然な感じがして、どんどん間引きされていっていた。
なんだかしっくりこないのよね、と違和感に目をつぶって楽なほうへと逃げていた。
メイクポーチを見れば、スカスカのアイシャドウが目に入る。
久しぶりにビューラーでもと持ち上げてみれば劣化したゴムが薄汚れている。
マスカラなんて、液が粘度を持ってしまって蓋が随分重い。
ただの「段取り」から「お化粧」へアップデートして、つるんとしたいではないか。
ドラッグストアのコスメコーナーをちゃんと眺めたのなんていつぶりだろう。
多分、子どもを産んだり育てたりしている間に時代をふたつくらいまたいでいる。
パッケージがとても前衛的に見えるんだけど、おそらくこれが今現在のトレンドなのだ。
どれもこれも洒落ている。
なにが流行っているのかよくわからないけれど、この今っぽいアイシャドウを買えば今っぽい目元にきっとなるんだろう。
そんな気がして、新時代っぽいアイシャドウをかごに入れた。
マスカラも新調しようとあれこれ見ていたら「SNSで大バズり!!」とポップがついた商品が目に留まったのでそちらもかごに入れた。
そして忘れてはいけない。
ビューラーの替えゴムと、もう何年も買っていなかったアイライナーをひとつをかごに入れてお会計した。
こんなに自分の買い物をしたのはいつぶりだろう。
子どもが産まれてからというもの自分のものを買うのがどうも億劫だ。
精神的にも肉体的にも。靴だの服だの、子どものものはサイズアウトすると購入を避けられない。
この間も、末っ子の上靴、園庭用の外履き、長男の登下校用の靴、がサイズアウトしたので買ったばかりだ。
長女と長男の冬物衣料も去年のものが小さくなったのでまとめ買いしたところでもある。
日々の食費だって、当然ながら右肩上がりで、買い物かごにぎゅうぎゅうに買ってもすぐに底をついてしまう。
財布から日々、ぎょっとするほどお金がとめどなく流れ出ていくのだ。
せめて自分のものくらいこの流れをせき止めてやりたくなるのは自然なことだと思っている。
だからこそこうして、いざ腰を据えて「買おう」と決意した時が買い時なのだ。
きっとそうに違いない、と思いながら会計を済ませた。
ビューラーのゴムを交換したら驚くほどまつげがぐんと上を向いた。
まつげが上がらなくなったのはまつげの老化かと思っていたけれど、ゴムの劣化だったらしい。
アイシャドウのふたを開けると、そこはかとなく、現代的な感じの色に見える。
瞼に乗せたら、ハッとするほど顔色が明るい。
なんなのこれは。
魔法?
調子に乗ってマスカラも開封して、睫毛に滑らせるとなんということでしょう。
思わず「時代!」と叫んでしまう。
この数年の間にテクノロジーは研鑽を重ねて、こんなところまでやってきたのかと感嘆した。
SNSで大バズりするはずだ。
そのマスカラはとても自然に、つやっと睫毛を長くしてくれて、まるで私の睫毛が生まれつきそんな風だと思わせてくれるような素晴らしいものだった。
なんだかしっくりこない、と思ってつい手を抜くようになってしまったアイメイクだったけれど、しっくりこないのは古の化粧品をしぶとく使い続けていたせいだったのかもしれない。
さて、かくして私がつるんとしたかは主観でしか判断できないんだけれど、お化粧を少しアップデートして以降、なんとなくスキンケアを丁寧にするようになって、なんとなくお肌のほうもよくなっている気がする。
それになにより気分がいい。
とってもいい。
すっかり枯れていた自分にお水をあげるているみたい。
背筋が少ししゃんとして、口角が少し上がる気がする。
肝心の息子はそんなことにはもちろん興味がなく、なにひとつ言及しないけれど、それはそれだしこれはこれだ。
とりあえずしばらく、アップデートしたお化粧を楽しみたいと思う。
私は今、確かに潤っている。