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公開 2023年02月11日  

まあるいお餅は西日本、しかくいお餅は東日本。これってどうして?(2ページ目)

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お餅といえば、どちらを思い浮かべますか?



角餅が誕生したのは江戸時代。

江戸に急激に人口が増えると、正月に用意すべき餅の量も膨大になり、効率よく大量につくるために生まれたのが角餅なのだとか。

大きくのした餅を切り分ける方法です。

ところがこの方法は、切り口からカビが生えやすいのが弱点。

温暖な西日本では広まらなかった…ということなのだそうです。

詳しくは、以下をどうぞ!


西日本では丸餅、東日本では角餅が つくられるようになったワケ


正月に食べる雑煮は汁の味付けも具も地域によって多種多様だが、メインである餅の形は、西日本では丸餅、東日本では四角い角餅と二分される傾向にある。

なぜ、東西で形が違うのだろうか。

この違いが生まれたのは江戸時代だといわれている。

それまで餅の形は全国共通で丸かった。

餅を食べるのは正月やお祭りなどの特別な日、いわゆるハレの日だったため、「円満に暮らせるように」と願いを込めて、一つひとつ手で丸めてつくったのである。

ところが、江戸に幕府が置かれ、大都市へと発展し、急激に人口が増えると、正月に用意すべき餅の量も膨大になった。

現代のように優れた保存技術もない当時、正月用の餅を短期間で大量につくらなければならない。

そうなると、一つひとつ手で丸めていたのでは時間がかかりすぎる。

そこで、編み出されたのが、大きくのした餅を切り分ける方法だった。

こうして、江戸で角餅が誕生したのである。

もう一つ、江戸で角餅が主流になった背景には、武家社会だったことが大きく関係している。

角餅は別名「のし餅」ともいい、「敵をのす(討つ)」という意味に通じるとして、縁起がよいとされた。

つくり方も容易で、しかも縁起がよいということで、たちまち角餅は江戸周辺にも広がっていった。

こうして角餅は東日本に広がったわけだが、ある疑問が浮かぶ。

つくるのが容易なら、関西でも角餅が広まってもよさそうなものである。

にもかかわらず、どうして関西では丸餅がつくり続けられたのか。

関西を中心に西日本で角餅が受け入れられなかったのには、ある理由がある。

角餅は切り口からカビが生えやすいという弱点があったからだ。

寒冷な気候の東日本ならともかく、温暖な気候の西日本では、どうしてもカビは生えやすくなる。

そのため西日本では、江戸時代以降も、丸餅文化のままだったというわけだ。


出典:『関東と関西 ここまで違う! おもしろ雑学』(三笠書房/2019年刊行)

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