角餅が誕生したのは江戸時代。
江戸に急激に人口が増えると、正月に用意すべき餅の量も膨大になり、効率よく大量につくるために生まれたのが角餅なのだとか。
大きくのした餅を切り分ける方法です。
ところがこの方法は、切り口からカビが生えやすいのが弱点。
温暖な西日本では広まらなかった…ということなのだそうです。
詳しくは、以下をどうぞ!
まあるいお餅は西日本、しかくいお餅は東日本。これってどうして?(2ページ目)
4,769 Viewお餅といえば、どちらを思い浮かべますか?
西日本では丸餅、東日本では角餅が つくられるようになったワケ
正月に食べる雑煮は汁の味付けも具も地域によって多種多様だが、メインである餅の形は、西日本では丸餅、東日本では四角い角餅と二分される傾向にある。
なぜ、東西で形が違うのだろうか。
この違いが生まれたのは江戸時代だといわれている。
それまで餅の形は全国共通で丸かった。
餅を食べるのは正月やお祭りなどの特別な日、いわゆるハレの日だったため、「円満に暮らせるように」と願いを込めて、一つひとつ手で丸めてつくったのである。
ところが、江戸に幕府が置かれ、大都市へと発展し、急激に人口が増えると、正月に用意すべき餅の量も膨大になった。
現代のように優れた保存技術もない当時、正月用の餅を短期間で大量につくらなければならない。
そうなると、一つひとつ手で丸めていたのでは時間がかかりすぎる。
そこで、編み出されたのが、大きくのした餅を切り分ける方法だった。
こうして、江戸で角餅が誕生したのである。
もう一つ、江戸で角餅が主流になった背景には、武家社会だったことが大きく関係している。
角餅は別名「のし餅」ともいい、「敵をのす(討つ)」という意味に通じるとして、縁起がよいとされた。
つくり方も容易で、しかも縁起がよいということで、たちまち角餅は江戸周辺にも広がっていった。
こうして角餅は東日本に広がったわけだが、ある疑問が浮かぶ。
つくるのが容易なら、関西でも角餅が広まってもよさそうなものである。
にもかかわらず、どうして関西では丸餅がつくり続けられたのか。
関西を中心に西日本で角餅が受け入れられなかったのには、ある理由がある。
角餅は切り口からカビが生えやすいという弱点があったからだ。
寒冷な気候の東日本ならともかく、温暖な気候の西日本では、どうしてもカビは生えやすくなる。
そのため西日本では、江戸時代以降も、丸餅文化のままだったというわけだ。
出典:『関東と関西 ここまで違う! おもしろ雑学』(三笠書房/2019年刊行)
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